2009年02月12日(木)10:32
晴れ。

天気に反して今朝は体調よくなくて、今までずっとゴロゴロし通し。日記書く元気も出ずに、ダラダラと録画していたアニメを旦那と見てた。しゅごキャラや絶対可憐とかを。その前に息子が登校するまで「みなみけ」とかいうアニメも見てた。昨日、旦那に無理やり見せられた一話、ちょっとハマりそうなんで今朝は二話を見たんだけど、確かにおもしろい。絵も悪くないし。てーか、みなみけ次女が「おまえみたいー」なんて旦那言ってたんだけど、確かにあのホットケーキ事件(笑)は私かよって感じではあるけれど、私はあんなに活発な女子中学生じゃなかった…横暴さは似てなくもないけど。(爆)
つーか、息子はみなみけすでに見たって言ってるし。なんかほんとーに息子くんってばヲタク道まっしぐらなんですけど。将来が心配〜。まあ、楽しく生きていければそれでいいんだけどね!

昨日は仕事は4時半で終わった。旦那に迎えに来てもらって買い物しに行ったわけだけど、Kさんと本屋あたりでバッタリ。旦那とKさんは話を始めたんで、私は昨日見つけたグイン最新刊125巻をゲットしに。というか、125巻、表紙の裏の梓さんの写真が何と新しいのに変わってた。調べてみたら47巻で写真が掲載されるようになって、今までずっと同じ写真だったわけなんだけど、今回125巻になってようやく新しい写真になるなんて。これ、あれかな、病気になる前の写真なのかな。だって、今は闘病で体重が落ちてるって話なんだけど、わりとふくよかでとても闘病中という感じじゃないもの。それにしても、何と30周年だからってさ、文庫本二冊づつで新装版を出版するそうな。わーそれ、現在出てる巻数すべて出すんだろうか。そこまでは買えないよなあ。ただ、それってあとがきはどうするんだろう、あとがきを新しく書くっていうことなら読みたいけどなあ。でも、さすがにそこまではしないかも。




さて。昨夜は10時からキイナを見た。まあそのせいもあってか寝るのがちょっと昨日は遅くなった。12時になるまでには寝たけど。で、そのキイナ、占い師が7年前にバイク事故で死んでしまった妹の復讐で事故を起こしてしまった当時の妹の彼氏を殺そうとするんだけど、その結婚相手の女性が間違って死んでしまうっていう話だったんだけど、最後に占い師はキイナや殺そうとした男の前で自殺しようとする。けれど、キイナは、妹さんの墓(だったと思うけど)に妹さんの好きな花を毎月月命日に供えている人がいるっていう事実を突きつけて、7年間ずっと死なせてしまったという罪を背負っていたんだという話をして自殺を止め「あなたも罪を背負って生きてください」と言うんだよね。
それを聞いて、この間も書いたんだけど、人を殺したらその罪の贖いは自分の命だというのが私の基本的な考えなんだけど、死ぬことが怖くない人にとっては死ぬということはただの逃げかもしれないなあとも思った。確かに生きていくということは悪いことばかりじゃなく、時にはささやかな幸せも訪れることもある。で、殺された人には悪いことは起きないと同時に幸せも訪れないということで、やはり生きていることは死ぬことよりもいろいろな可能性はある。ただ、死んでしまうとその人は何ももう体験も感じることもできないけれど、生きていくということは、何一つ楽しいことは起きずに一生楽しくない生き方をしてしまうというリスクもあるわけだ。だから、殺さず生かしてずっと自分のしてきた罪を抱えて一生暮らさせるということも十分贖いにもなるよなあって。まあ、もちろんそれはどんな状況でもネガティヴにしか考えられない人だけではあるんだけどね。

それを踏まえて考えてみるに、簡単に一人殺したから即死刑というのもアレだよなあって。つまり、その犯罪者一人一人に即した刑を科すということは理にかなったことなんではないか、と。そうすると、今の法制度は何も悪いことでもないかなあって。やっぱこの手の話は難しい。簡単に「こうすればいい」と決め付けることはできないよなあ。でも、やっぱり殺すにも死ぬ覚悟で殺すっていうのは賛成ではある。以前、ある友達が日記に書いていたことでははあるんだけど「私を殺したければ殺せ。だが、己も死ぬ覚悟で殺しに来い」と言ってたんだよね。私はそれに共感した。そういった気持ちがあれば、簡単に殺人なんてできないと思うんだ。だから、この考えは変わらない。

あうう…熱く語ってしまった。(笑)

でもまあ、それだけ元気になってきたってことです。さあ、今日はお休み。旦那は夜出勤。買い物は昼から行くつもり。つーか、さっき実家の母から電話あり。千葉の叔母さんからボンタンがきたらしい。取りに来いって。うううう、いつだったかもはっさくだかなんかみかん物をもらったんだけど放置したままなんだよね。あれってもうダメになってるかもしれない。ボンタンもそんな運命にならなきゃいいけど。だってさーむいて食べるのめんどくさいんだもーん。←これがいかん。



2004年の5月頃の日記を読み返してて、そこでリンクしていた自分の小説のページを開いてみたんだけど、そこで流しているMIDIの素材サイトに久しぶりにアクセスしてみた。そしたら、「重要なお知らせ」っていうのがあって、読んでみたら、その素材屋さんってけっこうメジャーなお仕事もやってて、サイトで公開していた素材の一部がじゃすらっくに登録されているということで、それはサイトでは流せないってことが書かれてあった。現在の登録曲は確かうちでは使ってないとは思ったけど、以前登録されていた曲の中には私も詩なんかに流していたものもあって、あら、使っちゃダメだったのに私そのまま使ってしまってたよとなったんだけどね。まあ、今は登録が解除されているらしいんだけど、どういう経緯でじゃすらっくに登録されたり解除されたりしたのか、ちょっと疑問に思った。

それにしても、この素材屋さんは素人さんというよりももう玄人さんだと思うんで、やはりじゃすらっくとどうしてもそんなふうに繋がりとかできてしまうんだろうなあ。なんというか、確かにそんなふうに音楽で仕事していくことがその人の希望であったんだろうからそれもしょうがないとは思うんだけど、今まで素材として使えていたものがそんなふうに使えなくなるっていうのは悲しいものがある。
その曲を聞いたことでイメージをもらって詩作とか創作したのに、それを流せないこと。確かに、プロになったのだったら、創作物に対してそれ相当の代価は支払われるべきだとは思うし、理不尽に楽曲を使うような外道なんかもいたりして、そういう奴らの抑制としてのじゃすらっくっていう団体ではあるんだろうけれど。なんかね、どうもあの団体には著作物に対する敬意っていうものがどうしても感じられないんだ。まあ、これも私の偏見だと言われるだけなんだろうけれど。

以前、梓さんの曲をMIDI作成して流したいと思って、そのお伺いを立てたけれど、やはり著作物に関しては誰に対しても等しく同じ対応をしているっぽい回答をもらったことがある。つまりは、ご遠慮いただきたいってこと。じゃすらっくには登録してなかったみたいだけどね。でも、一人に許可したら、みんなに許可しなくちゃならなくなって、果ては無法な使われ方だってやりたい放題にされてしまうこともあるだろうし。たとえば、私が作ったMIDIを勝手にファイルぺちられて使われてしまうってこともないとは言えない。それができてしまうのがネットだってことはわかる人にはわかることだしねえ。

でも、やっぱり「いいなあ」と思う曲を流させてもらえないというのは悲しい。みんなにも「こんないい曲があるんだよ」って教えたい気持ちも私にはあるから。だから、素材として音楽だけでなく画像関係でも提供してくれる素材屋さんっていうのを私は心から愛しているわけだ。閉鎖されてしまっても「ずっとそのまま使い続けていいですよ」と言われると涙が出るほど嬉しい。そんなふうに私のサイトでは今はもう活動していない方々の作品が展示され続けている。いつか、それを作った作者さんが、ふらっとやってきてみて、自分の作品を見た時に「大切に使い続けてくれている」と思ってくれるように。作って良かったと思ってもらえるように。




画像提供サイト/Pearl Box

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