2009年02月11日(水)07:21
曇り。

昨日、書くのを忘れてたんだけど、一昨日、旦那とプラントで買い物して車に帰る時、誰かが私に近づいてきて、肩をポンッと叩くので、誰だって思って振り返ったらYさんだった。あ、そうか、今日は月曜だったと思ったのは車中で。

ということで、昨日は5時で終わり。旦那は7時過ぎに出勤して今朝明け方戻る。今朝6時半くらいに就寝。今日はお休み。




今朝は梓さんフリークの私としてはクリップしておきたいものを発見した。

「ルビを付けよう栗本薫:「あのふりがなのおかげで」 - livedoor Blog(ブログ)」

『「………。
 私の家には例の有名な「漱石全集」が全部揃っていたが、私は小学校二、三年の頃にまず第一巻の「吾輩は猫である」を読んだ。………。
 ………。
 何にああいかれたのか、と思うに、まったく「旧仮名使い」というものの美に、である。………漱石の書いていることが半分もわかったとは思えないが、わからぬからこそいかれた、ということもある。そのあととにかく丸暗記するほどに何回も何回も読返し、意味もわからずに調子のよさと見た目の字づらのよさにうっとりしていたのがだんだん意味がのみこめてくるにつれてますます好きになり、だからかえって他の漱石の作品は読みたくなかったらしい。………。
 ………。
 しかしとにかく漱石、鴎(原文は「區+鳥」。引用者注)外だけは「何があろうと」、どんなことがあろうと絶対に「原書」で読まなくてはならぬ。つまり旧仮名使いの、極力漱石の元原稿に近い形である。新仮名に直された漱石なんか何の意味もない、と云い切ってしまいたいくらいだ。あのふりがなのおかげでどれほど字を覚えたかわからないし、第一あの程度の漢字や文章を難しいと思うような頭では次代の日本文化を担う人間なんか生まれてくるわけがないのである。このことだけはなんとしても主張したいなあと思っている。それが、漱石から「日本語の素晴しさ」を教えられた文筆業者のつとめである、と思っているのだ。」
 (栗本薫〈くりもと・かおる〉「実は……」。『漱石全集 第二巻』「月報2」1994年1月、岩波書店、7〜9頁。下線は引用者)』

こんな本手に入るかわからないからなあ。ということでいつもの転載。下線があったけれどそれは割愛。梓さんがこんなことをかつて書いていたのだという備忘録だから。情報提供してくれた方には感謝だし、それをはてブでブクマしてくれた人にも感謝です。




画像提供サイト/Pearl Box

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