2009年02月10日(火)09:28
雨のち曇り。

昨日は8時半から11時半まで断水だってこと忘れてた。息子を9時前に起こしたんだけど顔を洗おうとしたら水が出てこなかったということで思い出したんだけど、昨日は息子は学校が休みで、お昼にカレーにしようと思ってたのにご飯もまだ炊いてなかった。しょうがないんで、旦那にローソンに連れてってもらってお弁当を買うことに。旦那はローソンでトイレに入る。私も入ろうかと思ったけど、先客がいたんで、もういいやって思って戻ってからトイレ入った。もう11時半過ぎてたから。それから旦那に仕事場に送ってもらい、夕方5時に仕事終わらせてプラントで一緒に買い物をする。旦那は夜出勤して今日はお昼に戻る。本来ならそのまま連休だったんだけどね。今夜出勤して一本シフトで明日の明け方に戻る予定。で、明日はお休み。木曜は夜に出勤だって。




さて。ちょっと前から考えてたことなんだけど、日記に書く内容について。

今年に入ってからずっと毎日更新している。それはまあ、日常的なことは書くことはないわけじゃないから書いているわけなんだけど、それは私の備忘録ってことでつけているわけで、他人にとっては私の毎日の動向なんてどうでもいいことなんだよね。つまりは、そんなもの誰も読みたかねーよってことで。そりゃ、すんごく奇特な人もいないわけじゃないから、今日は何があったということを読みたいっていう人もいないわけじゃないんだろうけど。でも、ほとんどの人が他人の日常なんてどうでもいいって思ってて、そんなもの読まされたひにゃあむかつくっていう人もいることはけっこう聞いてきたわけで。
それもあって、何か読み応えのあるものも書けば、ここを読んでくれる人にここを読むことも無意味じゃないって思ってもらえるだろうつーことで書いていたわけ。ただ、やっぱり何か書くとなると、誰かの書いたもので「そういえば…」という形でじゃないとなかなか書けないのが最近のスタイルになってきていた。だから、はてブなんかでクリップされた記事なんかを読んでは言及(ともいえない)記事を書いていたわけだけど、それもいつも書きたいってなるわけじゃないよね。だから、たくさん書きたいってなった場合はそれを数日に分けて書いていた。つまり、確実に書けない日も出てくる。それはまあ、書けないのなら書けないで、その日は日常日記だけ書けばいいやって思ってたんだけど、今年に入って今までに何とか毎日言及記事は振り分けて掲載できたから、そうなると意地も出てくる。(笑)
でもさ、ちょっとそれって何だか無理した書き方だよなあって思うようになってきた。

ブログで書いてた頃は、確かにアクセスしてくれる人がいるっていうことで、モチベーションよりは、やはりせっかくアクセスしてくれたわけだから何か読み応えあるもの書きたいよなあって思ったわけだけど、それがなんか自然にできてないような義務感みたいなものになっていったのを感じ、それはもう嫌だなと感じたからブログで書くのはやめたわけなんだけど、これをアクセスがわからないここでまでやる必要はないよなあって。ちょっと、今年になってから今まではブログで書いてた時のような書き方になってしまってたのをすごく気にしてたんだよね。誰に「こんなもん読みたくない」と思われようが、日々の備忘録としての日記は書きたいから書くっていうのにしようって決めたんだから、それをやっていかなくちゃ、やっぱり続けて書いていけないよなあって。

もう更新することない、とゆーか絶対更新なんてしないなと思うから言うことだけど、一時期ブログ論を匿名でずっと書いていたんだけど、そこも毎日更新を掲げて書いていたんだよね。でも、結局は一年ほどしか続かなかった。そのブログのIDはメインアカウントだから削除することはできないよなあと思ってるんで今は放置状態なんだけど、ログを以前のカダスみたいにHTML化してサイト内にこっそり上げておこうかとも思っている。けど、ブログの記事はトラックバックなどをいくつももらったりしているんで、削除しちゃうのもアレだよなあ。しょうがないんでプライベートモードにしとこうとは思うけど、そんなことするくらいなら削除してしまったほうがいいかもしれない。IDは削除できないから記事だけでも。まあ、それはいつでもいいから今すぐどうこうじゃないんだけど。

でも、今の気持ちとしては、誰かの記事を読んで何かを書くっていうの、ちょっとやめて小説を書くほうに心血注いだ方がいいだろうなあっていう気持ちになってきているんで、当分、あまり他人の記事で何か書くっていうのはやめようってことにした。もちろん、絶対にやめるってことではなく、どうしても書きたい場合は書くけれど、無理して書ける記事を探すことはやめようって。ということで、今日は昨日書き溜めていたものを一気に掲載してしまうことにする。

長文になるよ。ご覚悟あれ。(笑)



「牛蒡 考え方のベースが違うとなんか理解してもらえない気はするが」

『ネットに表出している部分はその人の一部分』っていうのは確かにそうなんだろうなあとは思う。だから、不愉快な発言しているけれど、だからといって相手を嫌いになるというのも違うし、私も特定の人で不愉快な発言してても、それでも好きだよなあと思うことだってある。それって、嫌いな人がいいこと言ってたとしても、それでもやっぱり嫌いっていうのと似てるような気がする。嫌いな人は嫌いだ。どんなにその嫌いな人が大勢に好かれていたとしても。それだけ大勢に好かれているってことは「いい人」なんだろうけれど、いい人だから好きになるっていうのも違う。多くの人に嫌われる人だけど、でも自分はどうしても好きなんだよなあっていうの、私はあるからなあ。それってやっぱ変なのかな。

まあ、それはいいとして。

『あれなんだよなー、実際にあった方が受け取る情報は何倍も多い。声音、抑揚、表情、ジェスチャー、そしてそれ以外の雰囲気、話の前後と特にブクマ100文字とは圧倒的に情報量が違う。テレビのニュースなんかで一部だけ取り出してきて印象操作をすることがあるけれども、話の前後というのは実はとてもだいじなんですよね。どういうやり取りでその言葉が出たか、どういう思考をした結果にその言葉が出たか。文字だけではそれは伝えきれない。と、僕は思う。』

私の場合はちょっと違うな。私自身が自分を文字でちゃんと表現できてると思うからだ。確かに一箇所に書いたものだけでは私の性質はわからないだろうが、様々な場所に書き散らしたカラーの違う文章や、あと小説なんかにも自分というものが出ている。すべてを読んで見る目のある人には、私という人間は「こういう人だ」とわかるはず。実際、私のことを理解してくれる人はいるしね。私に会ったネットの友達で「意外とおとなしい」と言ってた人も、私は確かに初対面の人に対してはおとなしいから、それも間違いじゃない。慣れてくると図々しくなるのもネットで見せている私そのものだし。書かれているものには実によく私という人間が反映されているよ。まあ、それだけ私は「書ける人」だと自慢こいてるわけなんだけど。普通の人は自分というものを文字では描ききれないみたいだからね。それだけ私はやっぱ文章書けるんだろうなと思っているもの。

そう。あなた(ここを見ている人すべて)が感じるその「私」は、間違いなく「私」だよ。どんな「私」を感じたのかはわからないけれど、それでもそれは私。あなたの感じたままの「私」。

それにしても、びせいそーさんの嫌い話を読んで思ったのだけど、私のことを、嫌いではないが自分の書いたものを読まれたくないと言っていた人も、びせいそーさんみたいな見方で私を見ていたのかもしれない。つまり、私の書いたもの読んでみて、嫌悪感みたいなものを感じて、こんなふうに言及されたくないと思ったのかもしれないな、と。それはまあ、そんなふうに相手が私に読まれたくないということを知った時に気づいたことではあったんで、過去のトラブルを思い起こして、それ以上は深入りしないようにはした。ただし、拒絶されることはやっぱりイヤなことではあるんで、こんなふうにことあるごとに蒸し返しては話題にしちゃうんだが。

びせいそーさんは『文章で自分のすべてを表現できるか』を、文章でできるなら会話でできるはずなのだが、と書いている。だが、会話でできないから文章でする私は、できると答えるよ。実際、私はさっさきも書いたように文章にすべて自分を出している。一部分ではなくすべて。口で語れないのだから、そうするしか私には自分を語るすべがないから。自分の頭に浮かぶすべてを吐き出しているからだ。頭に浮かばないことは私の中にはないに等しいから、それは私を表していない。だから、私が書くことは私のすべてだ。確かに「これは書かない」とか「書く」とかもあるが、別のキャラがそれをどこかで書いている。私のすべてのキャラを把握している人は、私のすべてを熟知するわけだ。だから、私は表現してるよ、私を。

どこまでも?
ああそうさ。私は全てを曝け出している。
それは間違いない。

もっとも、私のすべての書き物を知ってれば、の話だけどね。

『あくまでも一面を非常に精密に記述することは可能だろう。しかしすべては不可能だ。そんなに簡単にたかだか数メガ、数ギガ程度の文章で記述できる程度の人間であるわけがない。そうじゃないですか。僕は少なくともそんなに小さい領域に自分をおしこめたくはないし、相手も押し込めようとは思わない。だから理解することは放棄しないし、すべてが書かれているとも思わない。』

びせいそーさんのこの言葉は確かにそうだと思う。それが普通だと。ただ、びせいそーさんが『数メガ、数ギガ程度の文章で記述できる程度の人間であるわけがない』と、優しくも言ってくれているが、他人はどうあれ、私自身は表現できるくらいに小さいという単純な人間なんだよね。以前、私のことを「深い」と言ってくれた人がいたが、私は深くないよ。浅い人間なんだよ。文章ですべてを表現できるくらいに浅過ぎる人間。間違っても私は深い人間ではないし、小さい領域に鎮座するお山の大将でしかない。

それが私という人間だ。



『で、その「affinity」にはそのまんま「親近感」を感じたサイトさんを登録しているのですが、このフォルダだけが他と動きが全然違うことに気がついたのは使い始めて少し経った頃のことでした。何が違うかというと、更新が止まるかサイトが消えてしまうのです。だから消えてしまったところも大事に登録したままにしています。

そうしていくつかのサイトさんを見送っていくうち、読むことができたのは奇跡のようなことだったんだと思うようになりました。重たすぎる経験や強すぎる感受性や暴力みたいな繊細さを持ってなんとか世の中と折り合って生きていくときに独り言のように書かれた無名の誰かの文章。続けて書いていくのは難しい吐き出すような心情。

そうして書かれたのはひとの中にあるフォルダの幾つかの一部に過ぎないけれど、覗き込めばそこは深く、使い分ける社会性というひとの側面は並べてしまうとパラドックスに陥り、過去にあったはずのことが書いたことで現在となって甦ってくる。

― 書くことにはそんな魔力のようなものがあるのかもしれないと思ったりします。

キレイにフォルダを分けるようには、見やすいファイルを一冊つくるようには、ひとはできていないけれど、思考という方法では及びもつかない次元のシステムがもう既にあるのならば思い切って任せてしまうのもいいのかもしれません。

隠しても隠し切れないことは滲み出るし、ばらばらのようでいて繋がりはどうしたって見えてしまうのなら、その仕組みに。』

またしても長い引用。(笑)

いいなあ。こんな雰囲気の文章。好きだな。こんな文章が。のきさんがどんなブログを「affinity」に登録していたのかはわからない。私も放置してしまったブログがいくつかあるが、もしかしたら、その中に私の放置ブログも登録されているのかもしれないが。なんてね、そんな都合のいいことはないか。そのブログでのきさんの書いたものを取り上げていたとしたら、可能性はないとは言えないが、取り上げて書いた覚えはないからなあ。だが、もし、そういうことなしででも、私の放置ブログをのきさんが登録していたとしてら、それはそれで不思議な繋がりだろうなあと思う。

書くことには魔力が。うん。そうだね。確かにそうだ。だから私も書くことはやめられない。



「いっちゃ悪いがアンタも悪いよ」

元増田の記事は、友達だった男の子に告白され振ったら避けられて前みたいな関係に戻れなくなったというのだったんだが、彼女としては友達としては大好きだったのに、どうして避けるのかが納得できないようだ。まあ、それはもうしょうがないとは思うが、それでも告白されたのは彼女のせいじゃないし、勝手に向こうが女として好きになったというだけで、彼女の立場であれば勝手に告白してきて勝手に避けてる、あの楽しい日々を返してよーと思うのも無理はない。

で、その元増田を見て書かれた益田の記事。

『「彼」のことを「友だちとして好き」だった増田の見ていた「彼」像は、「彼」があなたに対して必死にアピールしていた姿です。「下心だけ」とか別のレスの人には無茶苦茶言われてるけど、好きな人に振り向いて貰いたくて努力するのは、雌雄のある生物なら普遍的に見られる行為です。』

そうなんだよね。下心っていうのはまあ付属品(笑)ってだけであって、やっぱ好きな女の子には自分を好きになってもらいたいから頑張って自分のすごいところを見せちゃうもんだ。それで思い出したのが私の旦那もそうだったなあって。
私も元増田みたいに付き合う前の旦那に対しては友達以上の目は向けてなかった。つーか、ぶっちゃけ旦那も私に対してはもともとそういう気持ちは持ってなかったはず。でも、私も仲間の中のある人に好意を寄せてて、その人にかわいく見てもらいたいからと、元増田に告白した男の子のように自分をアピールしてたわけだ。で、旦那がそれに引っかかった。(爆)
旦那も仲間の中のほかの女の子に思いを寄せてたわけだが、途中から私に気持ちが移ったわけ。で、今度は旦那が私に対してアピールしてくるわけよ。でまあ、いくらアピールされたからってそれを受け入れられるかどうかっていうのはまあやっぱり運とタイミングでしかないんだよなあと。で、旦那と私の場合はそれがうまく合致したというわけ。私は旦那の告白を断れなかった。一緒にいると楽しい。けれど、それが恋なのか、それとも友達として楽しいだけなのか、わからなくて。ただ、もうね、私に断られたら私の前から姿を消すって言われて、それでそれはイヤだなあと思ったんで、交際を承諾しちゃったわけ。でも、その時の決断は私にとってよかったようだ。いまだにずっと仲は続いてるわけだからね。しかも、昔よりもっと今のほうが関係は良好だ。

これは私だけの事例だから、元増田が私と同じように相手の気持ちを受け入れ交際したからこうになるとは限らない。それにもう元増田は断ってしまったわけだからねえ。でもさ、私みたいに受け入れたおかげで幸せな人生を送った人もいるんだよっていうのは忘れないでいてほしいなと思う。

それにしても増田のこのたとえはおもしろい。

『だから増田の言ってることは、端から見ると

(1)『♂クジャクが♀クジャクの前で羽をぶわーっと広げました。』

(2)『♂「どう?俺の羽、イカス?」♀「まあ、素敵な羽」』

(2)『♂「いい感じ?ちょっと俺と付き合ってください」♀「バカスwwwwww羽キレイって言っただけwwwwwキモwwwww」』

(3)『♂「(羽をたたんで無言で去る)」♀「あ、ねえ、ちょっと!もう羽見せてくんないの!ケチ!インケツ!」』←イマココ

…と見えるわけ。』

このたとえ、かのせさんも書いてたけどおもしろい。でも、的確に表現してるよねえ。(笑)




画像提供サイト/Pearl Box

inserted by FC2 system