2009年02月06日(金)07:37
曇り時々晴れ、になるらしい。

昨日は旦那が仕事から戻ってきた昼前にポツポツと降ってきた。午前中で買い物に行くかどうか迷っていたところ、旦那が戻ってきて「ポツポツ降ってるぞ」と言うんで、午前中行ってくればよかったかーと思ったけど、昼からだんだんと晴れてきてよかった。しかも、寒いかと思って着込んで出かけたら、けっこう暑かった。ただ、帰りは曇ってきてちょっと寒かった。旦那は夜に出勤。昨夜はけっこう眠かったので、10時半くらいにはとっとと寝た。のわりには、今朝は目覚めが悪かった。体調もやっぱりよくない。ゴミ出しに出た時に、外はかなり寒かったし。旦那は一本シフトで明け方戻ってきて今は寝てる。出勤も夜っつーことで、今日は送り迎えしてもらえる。でも金曜で忙しいだろうから、5時で帰るって言わないとねえ。



「『斬(ZAN)』 「アルマゲドン」を観た感想」

斬さんのこの感想見て、いろいろと物事を知ってるっていうのは娯楽を楽しめないもんなんだなーなんて思った。(爆)
いやまあ、漸さんが指摘してることは極めて常識的なことなんだろうけれど、少なくとも私には斬さんが指摘していることをリアリティないとは思わなかった。まあ、小説書くくせにそれくらいわからんでどうするって旦那あたりには言われちゃうんだろうけどねえ。
アルマゲドンを作ってる人たちが、漸さんが指摘してることを知らずにいたのかというの聞いてみないとわからないことではあるんだけど、そういったリアリティに欠けていても、おもしろいもんはおもしろいっていうのはある意味すごいことだし、物書きとしては、考証考証とこだわらなくても可能性が広がって頼もしくはある。そりゃ、考証は大切ではあるんだけど、きっちり考証してるからおもしろいものができるとは限らないんだっていうのは、こういった世界では当たり前のことだもんなあ。




「Web上のつながりを断つこと - インターネットの真の姿とは」

昔に比べて私も繋がらない選択を選ぶことが多くなってきた。以前の私なら、好ましく思った相手にはすぐさまコメントしたりして繋がりを持とうとしたものだったが、今の私は眺めているだけ。まあ、一時期よりはだいぶ絡んでいったりしているが、「この私」ではなく、作り上げたキャラというか、別のHNで絡んだりしている。もっとも、書いてることやキャラの持ち味はこの私をそのままで出しているんで、わかる人には私があの人だその人だっていうのはわかるだろうと思うが。だが、中には繋がろうとしても相手は拒絶してくることもある。それが昔よりだいぶ増えてきたように思う。まあしょうがない。今までの私が引き起こしてきたトラブルを考えたら、その人たちが私を拒絶するのは私の方に問題があるってことで、自業自得。それを嘆くのはただのワガママ。ただ、どんなに自分勝手ではあっても、私は嘆き続ける。それが私の創作のための肥やしになると信じているからだ。まあ、そんな崇高っぽいことじゃなくても、私はただのワガママな奴だからってことで、だだをこね続けることだろうけれど。ほんとヤな人間だよな私ってやつは。

『そこで生じた負の感情というものは、言葉に直すと孤独や、嫉妬、報復などといった種類のもので、とてもいい感情には思えないかもしれないが、これらの感情は時折ものすごいパワーを引き出すものだと私は思っている。素晴らしい作品は健全な精神から宿ることもあるが、狂気や嫉妬心から生まれている作品もまた多いように思う。なんだろうか、そのような感情を表現するとすれば、寂しさと、怒りと、やるせなさと、嫉妬心が混じった、胸から抑えがたい激烈な感情、とでも表現すればいいのだろうか。そのような感情が、人と「つながらない」ことから出てくるように思う。』

私と同じように考える人もいるんだなと思った。まあ、いつだったかは、その狂気から生まれる作品も、もしかしたら健全であれば、それ以上にいい作品が生まれるのかもしれないという考えもあるよなあと思い至ったこともある。もともとは梓さんが言ってたことなんだけどさ。で、狂気から生まれる作品にしても、健全から生まれる作品にしても、そのどちからが素晴らしいのか、なんてことは誰にも決められないんだよね。つまりは、作品なんてものは個々の好みで素晴らしいか駄作かが決められるものであって、狂気から生まれたからとか健全から生まれたからとか、そんなことはただのきっかけであって、何の意味もない。作品は作品。それをあなたは好きか嫌いか、ただそれだけのことなんだ。そう思うようになってからは、狂気も健全もどっちかを大切にするというのもどうでもよくなってしまった。けどまあ、それだからこそ、今の私は今まで書いていたものが書けなくなって、新しいものを書き出したのかなあとも思う。だが、私にも意地があるから、何とかして今まで連載していたものは完結してしまいたい。

またしても話はズレていってしまったが(笑)、繋がりを断つにしても繋がるにしてもその時その時の気分でやっていきたいなあというのが本音でもある。けど、やっば昔よりは繋がりに躍起になってない自分は自分らしくないかもしれないとも思う。昔「コミュニケーションをやめないで」と言ってくれたネットの友達がいたが、彼女が言っていた言葉が今でもずっと心に突き刺さって、繋がりたいけれど繋がってくれない誰かさんを恨めしく見つめながら「やめたくないんだけどね、やめざるを得ないんだよなあ」と呟く私がいる。だから…

『様々なツールを使い、つながりがより濃くなっていく時代である。つながりで安心や満足を求めるのもいいが、あえてつながりを断つことで、余ってくる時間や、負の精神などをもつのもいいんじゃないかと思う。人生を終える時、人は一人なのだし。』

だから、この言葉で救われたような気がする。人は一人か。でもね、私は気づいてしまったんだよ。本当は人は一人なんかじゃないって。私は私の中にいろんな「私」の存在を知っているから。だから、一人じゃないんだよ。その存在を信じてればね。




画像提供サイト/Pearl Box

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