2009年02月02日(月)07:30
晴れのち曇り、になるらしい。

昨日は雨は降らなかった。霧雨みたいなのは降ったけど風もそれほど強くなく助かった。仕事は4時半で終わり。体調もそれほど不調にはならず、かといって絶好調というわけにもいかず、まずまずな体調でよかったともいえる。あれだよな。どうもこの時期は毎年こんな感じの体調みたい。あきらめて凹まないようにしなくては。その凹みが体調に悪影響及ぼすってことは7年前のこの時期にイヤというほど経験したわけだし。

昨日TVで浅間山が噴火するらしいということだった。今朝は噴火したみたい?(この後、とくダネでは午前二時に噴火したと言ってた)

それからさっきめざましでやってたけど、昨日二月一日は定額給付金の基準日で、昨日生まれた赤ちゃんは給付金二万円を支給されるけれど今日以降に生まれた赤ちゃんには支給されないんだって。それ知らなかったなあ。なんかもうほんとに定額給付金って認知度低過ぎ。一万二千円もらえるのは確かに嬉しくないと言ったら嘘になるけど、そんな付け焼刃なものはいいから、もっとそのお金を有意義に使って欲しいよなあ。


「僕だけかもしれませんが - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」 を読んで。

23mmさんの場合は「強い文章」を読んだときの自分の心理を語っている。衝撃を受けてしまって、普通なら「これいいなあ」と思う記事はブクマをしてしまうんだろうけど、彼はブクマできない時があるということ。なるほど、そういう人はいるかもしれない。そういう人がもし、私が書いていたものにブクマできないということもあるかもしれない。過去に私の書いたもので、ブクマつけるのがためらわれるという声を聞いたこともあるし。だから、どんなに誰にも取り上げてもらえないと思っても、ブクマが何百もつかないといっても、この私の書いたものでさえもきっとひとつくらいは誰かの心に感銘を与えていないとも限らないし、何百とブクマがつくということもないわけじゃないんだろうな。だが、実際には実感できないし、多くのブクマがつくなんて起きたこともない。でもまあもういいや。

『「強い文章」を読むと、いや文章に限らず「強い表現」(=音楽でも絵でも映画でもなんでもいいんですが)に触れると、「あぁ、もう戻れないな」と感じるときが僕にはあります。「それ」に出会う前と後では、自分の中で何かが決定的に変わってしまって、「それを知らなかった自分」にはもうなれないんだ、という感覚。無理矢理「変えさせられる」と言った方が近いかも。』

「もう戻れない」とか「それを知らなかった自分にはもうなれない」というのは、私の場合、それを強く思ったのが梓さんの文章との出会い、そして、それ以上に「戻れない」と思ったのがガクトさんとの出会い。梓さんの場合は想像はついた。こんなふうになってしまうっていうのは。それに、多少今は彼女からは遠ざかっている。昔のように彼女の日記を精力的に取り上げて自分語りをしているわけじゃないしね。今は彼女もたまにしか日記は更新していないんで。だが、ガクトさん場合は今は特に目が離せない状態。というか、前に旦那にも言われたけど、ここまで彼にのめりこむようになっていくなんてことは思ってもみなかった。

それなりに昔から好きな歌手とかはいたし、彼らの曲ばかり聞いていた時代もあったけれど、今はもう何年もガクトさん以外の曲を聞くことがない。確かにまったく聞かないわけじゃないけれど、ガクトさんの歌は毎日聞いているわけで。こんなに一人の曲を聞き続けたことはかつてなかったと思う。つーか、いくら好きな歌手だからって、他にも好きな歌手がいたら満遍なく聞くと思う。それが普通じゃないかと。だが、私はヒマさえあればガクトさんの歌ばかり聞いている。よくまああれだけ聞き続けて飽きないもんだとも思う。これもまたガクトさんに「変えさせられた」とも言えるんじゃないかな。そして、今度三月にガクトさんはこの山陰にやってくる。最初で最後のライヴを私も経験する。さらに私が変えさせられるのか少々怖くもあるし、楽しみでもある。生ガクトさん。何とか逃げずに現場(爆)にいけたらいいなあと思う。

さて、23mmさんは「変えさせられること」に時には気分を高揚させもするし、気も重くさせもすると書いているが、そうだな、私もガクトさんのことで高揚することもある。それはもう幻想でも何でもガクトさんとはシンクロ率が高いからということもあり、それでいつも「もしかして」という気持ちが高じてしまうことが高揚とも言えるし。そして、気が重くなるっていうのは、もうガクトさん以外の歌が聞けないっていうこと。他を聞いてもすぐにガクトさんの歌に戻してしまう。それは嬉しくもあり、それ以外が聞けないということで気が重くなるということ。ただ、もう私もそんなに人生は長くないと思うんで、もうね、ガクトさんだけでいいかなと思ってるんだよね。たとえこれからガクトさんの新曲が出ないとしても、今までの歌があればそれで満足だし。そりゃ新曲はもっと欲しいと思うよ。けど、それを望んだとしても、いつかは彼も終わりがくるわけで。それは誰にも、ガクトさん本人でさえも止められることじゃないから。だから、もしその時がきても嘆かないようにしたいと思う。

『最近いくつかの記事をわざとブクマしてません。この歳になっても、まだまだ変わってしまう自分は、ある意味ですごく未熟なのかもしれません。』

だから、現時点では、ガクトさん以外に私を変える人が出てくるとはちょっと考え難い。確かに他にも私を変えてくれる人がいたらおもしろいのになあとは思うけれど、今はガクトさん以外は考えられない。ほんと、ここまでの存在になるとは初めて彼を知った八年前には信じられないことだった。そして、もっと昔の、ガクトさんなんていう人を知らなかった時代の私には想像もつかなかったことだろう。




画像提供サイト/Pearl Box

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