2009年01月30日(金)09:10
雨。

なかなか絶好調という体調にはならないけれど、それほどひどい体調というわけじゃないんで、これがデフォという心構えで過ごしていけってことなのかなーってあきらめなくちゃなあ。それなりにやってけるわけだからさ。

でも昨日は旦那が出かける前は身体はだるいし眠いしお腹は痛いし、ほんとしんどかった。ゴロゴロ寝ながら録画してたもの見てたわけだけど。旦那が帰ってきてお昼前に米子に出かけた。灯油も買わないといけないし、米子に行って帰ってくる時にプラントに寄って夕飯の買出しもしてしまおうということで。まあ米子にっていうのは私が「GHOST」を手に入れることができなかったから、それで本の学校に連れてってくれるということでもあった。でもそれだけじゃなかったみたい。どうやらババさまんちの洗濯機が壊れたみたいで、新しいのを買うってことでどれくらいの価格のがあるかの下調べをしようと思ったらしい。本の学校の隣には百万ボルトあるから。そうそう。その本の学校で無事GHOSTゲット。そしたら、その時にメイちゃんの執事のマンガが平積みされているのを見た。あーやっぱりこんな絵柄か。あんま好きなタイプの絵じゃないや。ドラマだけでいい、私は。そういやプラントで仕事場の人に会った。そしたら私がいつもと違うメガネしてたんで最初「あれ?」っていう顔をされた。(笑)

さて。昼から旦那は夜出勤のために就寝。私はネットしながらさっそく「GHOST」をケータイに落として大音量で聞き入る。Wassrでも呟いたけど、これやばい。ヤフー動画でPV付きのを一回だけ聞いた時はそれほど心に響くということはなかったんだけど、やっぱりこういうタイプの曲はヘッドホンの大音量で聞くべきだよね。何だろう、私の好きなタイプのサウンドがうまく入り混じったって感じ。今ならトランスっていうのかな、そんな感じがするし、昔ならテクノっていう感じで、歌に入る前の数小節がかなり好き。歌声が旋律と融合して独立していないのがいい感じ。私としては、ガクトさんの声が前面に出ているのが好きなんだけど、こういうのとは違うんだよね。でも、これはこれでありかなって。生の歌声が感じられなくても楽曲自体が好みだから歌声がなくてもすごくいい。それとはまた逆にカップリングの曲「Blue Lagoon〜深海〜」はガクトさんの歌声がかなりダイレクトに迫ってくる作りになっていて、しかも、旋律も私の好きなタイプなんで、どっちかっていうとGHOSTよりもこっちの楽曲の方が私にとっては「完璧」だと思う。GHOSTは旋律が、深海は旋律と彼の歌声が。ということで、どうしても深海のほうに軍配が上がる。もちろん、これは好みの問題なんで、私だけの「完璧」なんだけどね。それにしても「Blue Lagoon」の意味は何だろうと思って翻訳サイトで翻訳してみてもわからなかった。ググってみたらどうやら「青い珊瑚礁」という意味らしい。そういうタイトルの映画があるんだって。ミラ・ジョヴォヴィッチが出てる。

つーか、やっぱりガクトさん、私が見込んだだけある男だ。って、何お前ごときがそんなことを言うかとせせら笑われるのが落ちか。

昨夜はこの二曲を新しく加えたものを聞きながら寝入った。なんか夢にガクトさん出てきたような気がするんだけど内容覚えてない。明け方に一本シフトの旦那帰ってきた。今日は9時半に起きての出勤。今寝てる。もうすぐにしたら起こさないとね。


『信じ切っているというより、「寝ている間に死んでしまう可能性」になんてハナから思いも至らない、と言った方が近いでしょうか? いずれにせよ、わたしたちは、「明日が来ること」にまるで疑いを持っていない。それゆえに、寝ようと思い立って、寝て、そして仮にそのまま死んでしまったとしても、その間に恐れや後悔の入り込む余地がまったくないというわけです。』

本当に明日が来ることにみんな疑いを持ってないと言えるんだろうか。でも、私なんかももっと若い頃はどうしてみんな死ぬこと怖いって思わないんだろう、私なんて怖くて怖くて、その恐怖を感じたくないから死んでしまいたいって思ってたこともあった。けれど、そんなはずはない。すべての人とは言わないが、たぶん多くの人が私と似たように恐怖を抱えて生きているんだと思う。なるべく忘れるようにして。
「寝てる間にそのまま眠るように死ねたら」と私はいつも思う。どうせいつか死ぬのだとしたら、そんなふうに痛みも苦しみも感じずに死ねたらいいなって。そりゃやりたいことも叶わないまま死ぬとか、今なら「メイちゃんの執事」にはまってて、また似たようなはまれるドラマや物語に出会う可能性が断たれることはいやだなあとは思うから死にたくないよなあとは思うんだけど。だけど、私の理想的な死に方は、何かすごく素敵な夢を見ながら死んで、その夢を永遠に見続けていたいって。(今ならガクトさんが出てくる夢見ながらだなあ…旦那に恨まれそうだ^^;)まあ、それが私の死後の世界ってことになるのかな。

『そして、同じように、「死後の世界はある」とすると、実際にそれがあるかないかにはまったく関係なく、死に対する恐れを取り除くことができてしまうのです。どうでしょうか? あるなしは置いておいて、ひとまず信じてみる、そうしてみる。ここのところがポイントです。もしなかったら……という恐れは、ほんとうは必要がないものなのですよ。』

そりゃ信じれればいいんだけどねえ。どうしても信じられないとしたらどうしようもない。狂信的に信じられる人っていうのはある意味幸せなことなんだろうな。そういった信じ込み方は自分以外の人には迷惑極まりないんだけどね。幸せだよ、「もし…だったら」なんてことをチラとも思わないって人は。そんな人には出会ったことないけどさ。でもどこかにいるんだろうね。うらやましいことだ。




画像提供サイト/Pearl Box

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