2009年01月21日(水)08:44
曇り、後雨になる予定。

昨日は穏やかな天気だった。相変わらず寒かったけど。でも前日よりはまだマシだったかな。4時半で仕事が終わって買い物して帰る時もゆっくり自転車こぐじゃなく、早く帰りたいから速めにこいだしね。だから、踏み切りでもタッチの差で引っかからなかった。らっきー。旦那は何とか7時に起きて出勤していった。今日はお昼頃に戻って今日はお休み。私もお休み。

昨夜は9時から「メイちゃんの執事」を見る。一回目はそれほどじゃなかったんだけど、二回目の昨夜の分を見て、かなりはまってきた。水嶋ヒロって「絶対彼氏」の時はそれほどいいなあとは思わなかったけれど、今回の執事役はかなり私のツボにはまってる。他のイケメン執事たちはそれほどいいなとは思わないけれど、水嶋くんの執事はいい。まあ、タイプ的に絶対彼氏のナイトのキャラにかぶってるからなあ。どっちかってーと「絶対彼氏」での水嶋くんって、執事役の理人の弟の剣人のタイプだったよね。ああいうタイプはそんなに私は好きじゃないから。理人タイプの執事ってほんっといいよなあ。昨日の決闘の時のメイちゃんが「勝って」というところの理人のあの表情がたまりませんでしたわ。(笑)

そんなわけで昨夜の夢はドラマの雰囲気な夢だった。これから毎週火曜日が楽しみだ。前日の月曜の「ヴォイス」も楽しみだけどね。

さて、今朝はずっとバラク・オバマ新大統領のことばかりやってる。日本時間の夜中二時頃に就任したらしいから。初めての黒人大統領ということで、どうしても思い出してしまうのが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」あれで黒人大統領誕生のシーンがあったよね。そしたら、スピルバークも駆けつけたって彼の顔が映ってた。
それにしてもオバマ大統領の演説。「インデペンデンスデイ」でも大統領が戦闘に赴く時にスピーチしてたけど、ああいった演説はやっぱいいよなあ。子供の頃、私も小説上で少女に異星人相手に演説ぶっ放すっていうシーンを書いたけど、まだ中学生の私だったから、当時としては満足いくもの書いたと思ったけど、今読み返すとすごくちゃちい。あのシーンを説得力のある演説に仕上げるのがひとつの夢でもある。まあ、まだまだストーリーがそこにたどり着かないんだけどねえ。

今日はどうも体調が悪い。だるいし腹具合もおかしいし、いろいろ書きたいなあということもあるんだけど、どうしても書く元気が出ない。昨日の出勤時に天気の穏やかな中で自転車こぎながら思ったこととか、他人の書いたブログの内容で自分語りしたいなあと思ったこととか。あら、またしてもお腹痛くなってきた。ということで、早いうちに日記更新してしまって、今日はおとなしくするか。


11:38
あれからしばらく録画していた「MUSIC FIGHTER」と「誰も知らない泣ける歌」を編集していた。だいぶ削れるところは削ったんで、この二つだけでDVDに焼くのもなんだよなーと思ってまだ焼いてない。あとは芸能人付けチェックを一緒にできないかなと思うんだけど、まだ途中までしか見てないんだよなあ。息子も見たいって言ってるんで、今夜あたり見るつもりではあるけど。

それでまあ、その「泣ける歌」で紹介されていたのが「野に咲く花のように」なんだけど。これで歌われた歌が後に一般発売され、その時に企画された「卒業文集」に私も投稿して採用され、ガクトさんのサイン入りで私の名前を彼が書いてくれた文集をゲットできた、私にとっても思い出深い歌になったわけだ。

原稿を投稿してだいぶ月日が経ち、忘れた頃に届けられた文集であったもんだから、落選したと思ってしまった私は、原稿をもとにしてブログに掲載したんだよね。ところが何ヶ月も経って採用されたことを知り、こっそり当該部分は削除したのだ。文集の最後には「無断転載禁止」と書かれてあったからねえ。そりゃまずいよなあと思って、それで削除したわけだ。けれど、確かブログに転載したときには、投稿した文章の一部分で実は微妙に嘘を書いていたことを発見してしまい、その箇所を変えて転載したように覚えているんだけど。(笑)
もっとも、文集を持っている人はガクトさんのファンの一部分の人だけだと思うんで、だから何的なことではあるんだけど、自分としてはこれもネタだしという意地汚い気持ちもないわけじゃない。ああ、そうさ、私は何でも書いちゃう人間さ。(爆)まああれだ。もしもガクトさんが見てたらという気持ちもあったりするんで、ちょいと言い訳な日記をここに書いておこうかなと思ったということで。( ̄▽ ̄;ゞ

その問題の箇所はこれ。

『中学校のときは高校に合格して誇らしげだったことは覚えている』

えーと。卒業式の当時の日記には卒業式の次の日が合格発表の日と書かれてあるんだよね。なーにが「覚えている」だ。全然覚えてないじゃんか。(爆)
なんつーか、私ってけっこうこんな感じで微妙な過去の修正をしてしまう文章を書いてしまうことがあるみたいだ。自分としては嘘を書いているつもりはないんだけど、ノって書いていると勢いでその場の雰囲気に合うものを脚色して書いてしまうみたいなんだよね。まあ、実際には次の日にちゃんと合格はしたんで、結果的には嘘ではないんだけど。ただ、卒業式に誇らしげにしていたというのは合格したからではなく、入試を無事に終わらせてしまい、その安堵感と終わらせたんだという達成感で自分自身を誇らしく思ったことは確かなんで(日記に書かれていることを読むとそんな風に取れることが書かれてあったし)表現方法はちょいと違うけど、結局は違うことを書いていたというわけじゃないもんな。と、自分を正当化してみる。(笑)

それにしても、初めて「野に咲く花のように」のピアノバージョンを聞いた時、本当に号泣したよなあ。別にガクトさんが何かしてくれたわけじゃないし、夢を叶えたわけじゃないけれど、間奏部分に「カノン」が使われたことで、もしかしたら、という可能性をも見出したから。それはただの勝手な幻想であり、他人にとってはバカバカしいことだと笑われてしまうことではあったんだけど。それでも私は「きっと夢は叶う」と信じられると思えたから。文集にも書いた。心から私はガクトさんに伝えたい「背中を押してくれてありがとう」って。というか、やっぱりね、こうやって自分の書いた「野に咲く花のように」に捧げる文集、公開したいよなあ。書いたものは誰かに読んでもらいたいという気持ちが強い私だから。駄目かなあ、転載して。無断でが駄目なら無断じゃなきゃいいのかな。でも、誰に許可得ればいいんだろう。ガクトさんに聞いてみても…答えが返ってくることはないと思うし、答えが返ってくるのもちょっとねえ、こんなことくらいで答え返してもらってもなあ。もっと特別なことで答えが返ってくるならまだしも。勝手に転載して、もし見つかって指摘されるっていうパターンでいいでしょうか?(誰に聞いてる誰に)(爆)

ちょっと一旦停止。旦那帰ってきたんで、日記更新ももうちょっとあとで。(ということで、*クリック、どうぞ。文字は反転してあります←問題アリなら指摘よろしくお願いします^^;)


『それでもブログを頑張って、一つ一つ、もっと頑張って書いていれば、読みたくないブログは書かないと、書きたくないと逃げ出さずに一つ一つ頑張っていればと今も、悔やんでも悔やみきれない。たかがブログを書いたくらいで、僕のこのくだらない人生の何かが、どうにか変わるわけではない。けれども、僕にはブログしか無かったし、これから先もブログしか無いのだ。その、ただ1つしかないブログから逃げれば、僕には何もないのだ。そんな事くらい、わかっていたはずだった。』

どんだけ書くことが好きなんだよこの人はって思った。(笑)

書かれていることのすべてが自慢に聞こえる。むかつくと同時に愛しいなあと思ってしまう。だが、それを相手にこれみよがしに伝えるってことはできないよな。私のこの言及とも言えないものも彼にとっては「糞ゴミコメント」に間違いないんだから。
書かれていることを額面どおりに受け取れば、数少ない自分が貴重だと思ったコメント以外のすべてが糞だと言っているわけだから、私の書いたこの感想コメントらしきものだって糞に違いない。だって、彼がどんなコメントが読むに値すると思ったかどうかが示されていないのだからな。それが上げられていれば、自分の書いたものをそれに照らし合わせて、なるほど確かにこれは読むに値しない、そういったものを書けば彼の気持ちに叶うのだなとわかるが、それが提示されていないとしたら、やはり自分の書くものは彼にとってはくだらないものでしかないのだと思うしかないのだから。

『本当は、書きたかった。もっといっぱい、ブログを書きたかったのである。書いて、書いて、書き捲りたかった。だが僕はもう限界だった。

だから、逃げたのである。臆病にも、逃げたのである。読みたくないブログは書かない。そういう風にして、自分の心に背を向けて、生き長らえてきたのである。それでも弁解をするならば、「書かない」ではなく、「書けない」だと僕は言いたい。だがそんな事はどうでもいい。事実、僕は逃げていただけである。』

読みたくないブログ、私でいえば「読みたくない文章」は書かない、それには大いに賛同だ。私も自分が一番読みたいものを書いている、今も昔も。そして、誰が何を書いてこようがどうでもいいと思っている。確かに一度は頭に出刃包丁突き立てられたような言葉を投げつけられたこともあり、その時はひるんで書かないような「フリ」をしたこともある。だが、それはやはり「フリ」でしかなかった。私は結局は書きたい人なんだ。君なんかよりもっともっと書きたい人間なんだということ。言葉というナイフで突き刺されようとも結局は書き続けている。表で書いていないだけで、裏では延々と書き続けていたのだ。だが、私は君とは違う。君は書けば書くほど誰かが反応してくれる。私は反応は引き出せない。引き出したいと思っても引き出せなかった。そんな私には君の言い分は、待てる者の自慢にしか聞こえないんだよ、君がどう思っていようが、自慢なんかじゃない嘆きなんだと言おうが。嫉妬深き人間にはそう聞こえてしまうんだ。うらやましいよ、ほんとに、君が。私には未来永劫、多くの糞ゴミコメントがくることはない。君が嫌がっている読む価値のないコメントでさえも!

もっとも、だからこそ、私は好き勝手に書いていける。それを思えば、今の誰からも反応を引き出せない私が一番幸福なのかもしれないなとも思う。きっと、私は君なんかよりずっと幸せ者なんだ、とね。



画像提供サイト/Pearl Box



卒業式で泣いたことがない。そんな私にも卒業式の想い出は人並みにある。保育所持代は小さ過ぎて覚えてないけれど、小学校のときは卒業式でピアノを弾いたとか。中学校のときは高校に合格して誇らしげだったことは覚えているな。高校のときはやっと卒業ができるとせいせいしていたようだったし。短大のときは何も感慨深く思うこともなく卒業した。なので、私にとって卒業で感慨深く思い出すのは、明日が挙式という独身最後の夜のことだ。子供時代を過ごしたこの部屋から卒業し、新しい生活に入る私が珍しく物思いにふけったものだったから。だから、私にとっての卒業と言えば、その夜のことになる。あの夜、整頓された部屋を見回して、過ぎる日、この部屋で聴いたパッヘルベルのカノンが頭の中で流れ続けていた。その曲にまつわる想い出がぐるぐると回っていたものだった。パッヘルベルやバッハの曲を何度も何度もこの部屋で聴き、その曲で物語を書き続けた子供の頃のことを。幼い頃、共働きの両親がいない家で独り楽しんでいたこと。小学生のときに雑木林を一人で歩き回ったこと。中学のとき、独りで物語を書き続けたこと。高校のとき、大好きな人と話したくて、独りでピアノを弾きながら彼が一人になるのを待った音楽室のこと。何時でも私は独りだった。誰かといても私は独りだった。それが嫌だったわけじゃない。それなりに楽しんでいたものだった。でも、これからは独りじゃない。愛する人と一緒に人生を歩いていくんだ。そう思った夜。そして、次の日、披露宴で雛壇に座った私の目に映ったのが会場の窓から見える海にかかった虹だった。その虹を見たとき、私はこれからの未来に希望を見出したものだった。私は独りから卒業したのだとその時に感じた。だけど、その独りと感じた想い出も私にとって大切な想い出だ。前夜にカノンと共に思い出したその想い出は胸から無くなることはなく、私の歩きに力強さを与えてくれるだろうと。私はきっとあきらめることはないと。目指した夢へときっと歩いていくだろうと。そう確信したんだ。私は確かに名もない花かもしれない。平凡な人生を歩いてきた一人の名もなき花。それでも私にも大事にしている夢がある。夢は叶えるものじゃない見るものだと豪語している私ではあるけれど、それでもその夢のためにがんばってみようと思えるようになった。それはたった一人の放った「決して負けずに強く咲きたい」という言葉が私の心に響いたから。私もがんばるよ。いつか夢見たその場所に辿り着くまで。私はあきらめずに歩いていく。私からもあなたに伝えたい。「ありがとう」と。背中を押してくれて「ありがとう」と。



inserted by FC2 system