2009年01月11日(日)08:09
曇り、これから雪降るのかなどうかな。

昨日は雪降ってない時も降ってる時もあった。今朝はまだ雪は降ってないけど、これからどうなるかな。どちらにせよ、今日は歩いて仕事行くつもり。旦那がお休みで仕事から戻ってくるのが昼なんだけど、間に合わないかもしれないんで。この分だと自転車に乗れないことはないみたいだけど、帰りは車で帰れそうだから、頑張って歩きで出勤するよ。

それにしても、今朝は左腕だけじゃなく右腕もだる痛い。左腕もずっと痛いってわけじゃなく、ひょんなところで「いたっ!」ってなるんだよね。しかも、変な話、起きている状態だとそんなに痛くないけど、横になるとギュ〜っと痛くなる。だから、夜寝る時に痛みでなかなか寝付けない。まあ、昨夜はそれでも何とか寝れたけど、夜中にトイレで目が覚めた時にやっぱり痛くてしんどかった。

しかも、腕が痛い痛いって騒いでるうちに、いつのまにか風邪までひいてしまってたし。喉痛い。昨日一昨日よりはだいぶ楽になったけど、喉が不快。昨日なんて仕事してる最中にいがらっぽくなってきて、声を出す時に声がガラガラして出しにくくて困っちゃった。腹痛はおさまったけど、他がいたしくて凹むよまったく。

それにしても、昨日は仕事終わって外に出てみればどんどこ雪は降ってるし、旦那に電話してプラントに向かおうとして、長靴じゃないズックで歩くのが無謀だったってことに途中で気づき、仕事場出てすぐのところで立ち往生。電話した時に仕事場まで来てって言えばよかった。旦那はプラントについてしまい、そこから電話してきて、なんですぐに電話してこないんだと叱られた。それからブルーに。自分が悪いのはわかっていても、わかってんなら気を利かせて仕事場まできてくれればいいのにって思ってしまった。あれでちゃんと歩いてプラントまでこれるなんて思わないでしょうがって。はー、昨日はほんとついてない日だったな。まあ、今朝も腕が喉がいたしくて気分が滅入ってるけどさ。

いい日になればいいなあ。


「牛蒡 座る席とか」を読んで、さっきも書いた旦那も気を利かせてくれればいいのにってぷんすかしたことに関係もあるなあって思った。

フェミニストっていう言葉は聞いたことあるけど、意味いまいちわからない。(だったら辞書引けよ)
「二人で歩くとき、男は車道側を歩く」とか「外食時は、壁側の席に女性を座らせ、男性は通路側に座る」とか、つまりは女性優先に気を遣うって人がフェミニストってことでしょ。そりゃそういう人は好かれる傾向あるよね。でも、確かにすべての人がフェミニスト好きかといったらそうじゃないわけで。そういうのわずらわしい、ほっといてくれっていう人だっている。私は気を遣われることが好きな人なんで、やはり私に気を遣ってくれてるなってわかると嬉しいし、そういった人は好きだ。けれど、そんな私でも結婚した相手は、私に厳しい人だった。なんというか、うちの旦那さんは、どうでもいい女(に限らず)には、けっこうフェミニストだと思う。ただ、心では何を思ってるかは別だけど。

昨日の雪道事件(爆)でも、私としては気を利かせてほしかったわけだけど、旦那は「歩けないとなったらすぐに電話してくればこんな無駄な時間を費やさなくて良かったのに。電話してこないおまえが悪い」と言いたいわけだ。確かにそれは正しい。私が悪い。気づいてくれて迎えに来てくれるはずだとか、雪がどんどこ降ってきて傘を差してる状態の上に分厚い手袋してる状態なので、懐に入れているケータイを取って電話しようにも足元のびしょびしょな雪の中にケータイを落としてしまいそうで怖くてケータイが取り出せなかったと勝手に私はそう思って電話しなかった。そんなことは旦那は知らない。けれど、想像したらわかることだろって私は決めつけてるわけだ。そういうことに気がつかないなんてどうなってんの、と。

なんだろう、気を遣うこと気を利かせることって確かに大事なことだろう。それが相手との付き合いの上では大切なことなんだっていうのも。けれど、気を遣うよりも気を利かせるよりも大事なことって、やっぱ「ちゃんと相手に言葉で伝える」ってことなんじゃないかなあって。まあ、伝え過ぎるのも困りもんだと思うけどね。「あなたのそういうところがいやなのよ」っていうのも、場合によってはうまくいく人間関係が壊れてしまうこともあるし。もっとも、そんなことくらいで壊れる関係なんて結ばないがいいとなってしまうんだろうけれど。ただ、積極的に壊すこともないよねえ。ちょっと黙ってるだけでいいわけですから。

で、昨日の私は買い物してる間ずっとムスーッとしてるわけ。ただ、私は自分が悪いってわかっていても、気を利かせてくれなかった旦那にも腹立ててるわけで。コロッと態度変えてさっきのことはなしにしてしまいたくないんだよね。けれど、このままずっとムスッとしてたら、さすがの旦那も機嫌悪くなってくるし、最低な雰囲気のまま買い物することになる。あれ買ってこれ買ってって目的が昨日はあったから、その売り場まで旦那を連れて行かなくちゃならないのに、勝手に行くわけにはいかないでしょ。結局は「ごめん」と謝って、さっきのことはなかったことにして、和気藹々と買い物するように仕向けなくちゃならない。それは私が態度を改めることで可能。

まあ、あれだ。フェミニストの好きな私が、私にだけはフェミニストを発揮してくれない旦那と一緒になってしまったわけだから、それは私が我慢しなくちゃいけないことなんだよなあ。まあ、それが我慢ならないんならとっとと別れてしまってたわけだから、それを差っぴいても旦那はいい旦那さんなんで、ここは旦那を立てて私が我慢しなくちゃね。つーか、ほんと昔の私では考えられない殊勝な態度だと思う。うん。

と、ここまで書いて、しゅうかさんの記事を読んだ。それが「伝えなくてもいいこと。 - オオカミの遠吠え通信」

『伝えるべき言葉が案外少ないことに驚く。
相手に対する好意や敬意。
感謝の気持ちや励まし。
それ以外に伝えるべき言葉があるだろうか。
例えば、不快感を感じた時。
今自分がどれほど不快であるかを伝える為に、私は言葉を選ぶ。
けれど、本当にそれは必要なのか。
少なくとも相手にとって不快ではない以上、敢えて言葉にする必要もない。
ただ、目の前の相手の無神経さを静かに悲しめばいい。
反面教師として、静かに受け止めればいい。
まして忠告など、その大半は傲慢さに満ちて、決して相手の為にはならない。
「あなたのことを思って…」と言いつつ言葉を重ねてみても、それは免罪符にすらならない。
であるならば、思うところは胸の内にしまい、やはり沈黙を守るべきか。
そんなことを考えながら、今日も私は歩いている。
伝えたい言葉はあれど、それは伝えるべき言葉ではない。
そう自身に言い聞かせて、そうして私は歩いている。』

引用じゃなく転載してしまった。ここを彼女が見てるかどうかわからない。もし見ていて「やめてくれ」というのなら正直に「伝えてほしい」と思う。

そうはいっても、しゅうかさんの言い分も正しいと思う。伝えなくちゃならないことも伝えては駄目なことも、それは他人が決めることではなく、自分自身が決めることだっていうのはいかな私でもわかるから。私にも伝えられないことってある。それを相手に伝えたとしても、相手と決裂するわけじゃないとは思うけど、それは伝えるべきことじゃないと判断したから伝えない。けれど、私の基本は「伝える」なんだよね。その上で、例外はあるし、あってもいいというのが私の考え。

しゅうかさんに不快にさせているのが私でなければいいと、そう願いつつ、もし私だったとしても、それでも私は見つめていくよ。そういった強さを身につけたいと思った。てか、勝手なことばっかり言ってるよねえ。ただのくりりんなのかもしれないのに、さ。




画像提供サイト/Pearl Box

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