2009年01月10日(土)08:29
雨とか雪とか、わ、雷まで。(><)

昨日の仕事、うちの部署以外はそれなりに忙しかったけど、うちの部署は金曜にしては忙しくなくて、Sさん曰く、これまでに金曜にこんなことはなかった、前代未聞だ、なんて騒いでた。(^^;
けどまあ、他が忙しいから、うちから応援が出て何とか5時まで。私はそっこーで帰ったけど、みんなは半までだったんだろうな。昨日も旦那に送り迎えしてもらったんだけど、今日も今朝一本上がりで帰ってきた旦那、夜に出勤だからどうやら送り迎えしてくれるみたい。よかった。今、かなり外の天候は荒れてるから。雪は思ったほど積もってない。でも鳥取方面はすごいらしいよ。

それにしても、ほんと体調よくならない。喉痛いし、左腕は痛いし。昨夜、あったかいお風呂に入ったら腕の痛みも多少和らいだ。ああ、やっぱり神経痛か。寝てる時も目が覚めてくると腕の痛みがつらくて寝てられない。寒いのってほんとイヤだ。これからどんどんこういう状態があたりまえになっていくのか。やっぱり年は取りたくない。まあ、ガクトさんあたりなら「鍛えれば?」って言うだろうけど。(爆)
まあ、確かに多少のストレッチなどはいいんだろうけど、ガクトさんがやってるようなのは、本当に身体にいいのかどうかわかんないよなあ。うん。彼のはちょっとやり過ぎなような気がするし。

昨日は息子は学校帰りに眼鏡屋さんに寄ってメガネを引き取ってきた。それからちゃんとメガネかけてる。今日から三連休。それがあけたら学校でもちゃんとかけるんだぞー。(笑)


『死にたくないから生きてる
これにつきるんじゃないの?
ごたごたと長々書いてるけどw
目的も目標も意味もないから、よし!死のう!と思う人は一部だと思う』

↑のようにコメント書いている人がいた。私もわっさーで「生きるために生きている」なんてワケわかんないこと書いたけど、自分がもし自殺するとしたらどんな時だろうと考えてみた。
死にたいと思う時は、ものすごい痛みや苦しさを感じている時、これもたぶん原因が取り除かれれば死にたいとは思わなくなるだろうとは思うんだけど、痛みがなくなり普段の生活が戻った時、結局生きているということは、いずれはまたあの痛みを感じる時もくるだろうということ。それをまた経験する根性は私にはないだろうということ。けれど、生きている限りは絶対に経験しないというわけにはいかない。でも、もしかしたらまったく経験しないまま時は過ぎていくかもしれない。そういった賭けのようなものが人生なのかなって思う。で、もしその時にこの世に何の未練もなくなってしまってたら、私は死ぬかもしれないなって。「目的も目標も意味もないから死のう」っていうことと、そう変わりはないかもしれない。つまり、叶えたいことを叶えてしまい、もうそれで満足してしまったら、生きていく意味はなくなる。それなのに生きていくことで、何かすごく痛いことに遭遇してしまう危険性があるとしたら、今のこの目的達成した至福の達成感を感じたまま死んでいくことはこの上ない幸せなんじゃないかって。これもね、感情のある人間だから存在する心理だと思うんだ。感情が見られない動物たちは意味とかそういうもの関係なく、生きているから生き続けていくだけだもの。人間だけだよ、辛いから死ぬ、幸せだから死ぬっていうのは。

いつだったか、女子高生だったか中学生だったかが二人首吊って死のうとしてひとりは助かったけどひとり死んでしまったということがあったけど、あれも苦しさから逃れたくて死ぬではなく、すべて満足してしまったから、だから死ぬっていう書置きがあったんじゃなかったっけ。ちょっとうろ覚えなんだけど。でも、確かにいじめにあっていたとか、辛い目にあっていたから死ぬってわけじゃなかった。周囲も彼女たちの行動を理解できないと言ってたし、その時は私も理解できなかったけど、あれからいろいろ考えて、私もそういうことあるかもしれないって彼女たちの気持ちが理解できるようになった。

こんなふうに体調が悪い時は、どうしてもそんなネガティヴな気持ちになってしまう。けれど、年取っていけば、さらにあちこちいたしくなっていくわけだから、本当に私はちゃんと生きていけるだろうかと思ってしまうんだよなあ。何とか頑張りたいとは思うけれど。だから、願い事が叶うことは本当にいいことなのかなって思ってしまう。たくさんの願い事があればまだマシなんだろうけれど。




画像提供サイト/Pearl Box

inserted by FC2 system