2009年01月08日(木)08:54
曇り、時々晴れ…になる予定。(笑)

今朝も体調不調なんで、今のうちに日記更新してしまう。今日も引き続きお休み。この間火曜日は久しぶりに連休前の至福…とまではいかないまでも、体調のこともあって連休はありがたいなあと思った。ずっと忙しかったし、手もだいぶ痛かったしね。昨日もダラダラ過ごしたけど、今日もそのつもり。昨日は、録画してた「悪魔の手毬歌」を見たし、いろいろ録画していたもの見た。あ、そういやガクトさんが恋愛話を語っていたという「MUSIC FIGHTER」録画したけどまだ見てないや。これ更新したら見ようかな。でも旦那が帰ってきたら見れないし。(笑)今、旦那はKさんちに行ってるけど、さっきまで「コードギアス」の一話目を見てた。ルルーシュが特殊能力を獲得した内容のやつ。旦那がKさんちから帰ったら、今度は「クリスタルスカル」を見るつもり。そんなふうに今日もダラダラ過ごそうかなって思ってる。明日は忙しいだろうから。頑張るためにもね。まあ、体調はたぶんまだいまいちなんだろうけれど。ほんとなかなか調子戻らなくなってユウウツになってしまう。

昨日は、結局息子は昼までだったらしくて。11時半くらいに私のケータイに珍しくメールじゃなく電話してきた。「昼までだった。今から帰る」だって。それですぐに帰ってきて、お弁当食べてた。それから、1時半くらいかな、散髪屋に電話した。頭髪検査は昨日じゃなく金曜だったんだって。3時前に来てくれって言われたんで、息子は散髪に行った。いつもは30分くらいで戻るのに、結局1時間くらい経って戻ってきた。遅かったねーと言ったら、このバカ息子、友達と電話で話してたって言う。ふんとにもー。それから旦那と息子と私とで市役所近くのメガネ屋さんに向かう。以前、私も息子もメガネを作ったとこ。視力はずいぶんと落ちてしまってた。これも常にメガネをかけてなかったせいだ。今度、新しいのができたら、とにかく四六時中かけることを約束させた。つーか、ほんとにメガネかけてるほうが男が上がるのに。旦那はまったく視力には問題のない人だからメガネには縁がないんだけど、昨日もたくさんあるメガネで気に入ったのをかけてみたら、やっぱりメガネかけたほうがいい感じなんだよね。いいよねえ、男って。私も似合わないとは今は言われないけれど、それでもやっぱりメガネかけてないほうが女は上がると思うんだけど。まあ、もう現役は引退してるんで、女を上げる必要もないけれど。それでも、やっぱいつまでも「かわいい」と言われたいじゃないですか。(笑)

それにしても、いろいろなメガネ見てたら、私も新しいのがほしいよなあって思っちゃいました。そしたら、旦那が「これ、おまえに似合うんじゃない?」ってオレンジ色のフレームのをかけてみろと言う。かけたらこれがけっこうよかった。「おまえ、オレンジ似合うよなあ」だって。そうなんだよね。昔はオレンジなんてものあまり好きじゃなくて身に着けようとは思わなかったんだけど、今はけっこう好きで、オレンジのものってついほしくなる。まあ、昨日は、さすがに息子のを新調するっていうことで、私はまた今度ってことにしたけど、だんだんあのオレンジのメガネがほしいなあってなってきている。まあ、息子もだけど、メガネって一本だけじゃなく、せめてもう一本は予備として持ってたほうがいいとは思っている。私ももう一本持ってはいるんだけど、そっちのはサイズが合ってないのか、ずっとかけてると頭痛くなってくるんだよね。昔勤めてた時に作ったベッコウのやつでけっこう気に入ってたんだけど。サイズ合わせて買ったはずなんだけどなあ。息子のも、今までのフレームに新しいレンズ入れればと思ったけど、今までの分は蝶番のところが壊れてしまってて、修理出すより新しく買ったほうが安くあがるってことで、今度近いうちにまたもう一本メガネを買ってやるつもり。となれば、やっぱ、私のは当分先になるなあ。

さて、今日の言及もどき、これもこの間読んだブログ記事で思ったことをメモとして書いてたんでご紹介。これでストックはなくなったな。ここ数日、体調がいまいちなんで他の人の書いたものもあまり読めてない。当分、言及もどきは書かないかもしれない。元気になるまでは。まあ、元気じゃなくても「書きたい」って思ったら書くとは思うけどさ。(笑)


「「健康」ほど、あてにならないものはない。 - 琥珀色の戯言」を読んだ。

紹介されている鴻上尚史さんの言葉、インターネットの問題点は簡単に慰められることだそうだ。それは一理ある。だけど、それを完全に否定することはできないし、それこそ完全に否定することこそが問題なんじゃないかなあとも思う。じっぽさんが次のように言っているのだけど。

『そうやって「見知らぬ誰かに慰められたり、ネット上の人格としてポエミーなことを書いて自分の存在を再確認できる」というのは、「治らなくてもいいや」という感情を増幅させてしまうのではないか?

でも、もしネットがなかったら、この人の無力感はさらに酷くなり、最悪の選択に向かってしまうのではないか?』

そうなんだよね。じっぽさんの言う通り、もしネットがなかったら、慰められないことで最悪自殺してしまう人もいるだろう。それを阻止するということで悪いことでもないと思うんだけどね。ただ、物事にはいい面ばかりじゃないわけで。自殺を食い止めることもできるが、自殺を促してしまう場合もある。それはもうしかたないことだろうなとも思う。なるべくなら食い止めるほうが多くなることを祈るばかりだ。というか、そのために自分にできること、たとえば声をかけ続けるとか、生きる気力を培う文章を提示し続けるとか、そういうことをしていけばいいんじゃないかなあ。私自身も一時期はネットに依存し、慰められて何とか生きていくことができた。私は生きる気力をもらい、そして、ちゃんと仕事ができるようになった、いい例だよね。

それにしても、紹介されている鴻上さんの言葉に、居酒屋で否定だけを語り続ける人は無視されるということ、それは現在のコメント0とは違うみたいなことを言っているけれど、おかしいなあ、確かに数値化ということとは違うけれど、無視される=コメント0でしょ。現実もネットも「冷酷に知らされる孤独」じゃないですか。頭いい人でもこんな変なこと言うんですねえ。同じことだと思うのに違うだなんてさ。

じっぽさんが『「簡単になぐさめられる世界」があるのなら、そこで生きるという選択は否定されるべきものなのか?』と言ってますけれど、たとえが悪いかもしれないけれど、終末医療みたいに、死ぬまでそんなふうに慰められ続けることも悪くないと思うんですよね。もっとも、生活していけなくなったら、何としてでも治らなくちゃならないわけですけど、余裕のある人はそういった生き方もいいんじゃないかと思う。

じっぽさん『ネットに「逃げた」はずの人たちも、そこで「慰めてもらう」ために頑張らなくてはならないというのが、この世界の現実なのだ。もう、逃げ場なんて、どこにもない。いや、最初からそんなものはなかったのかもしれない。』と書かれているけど、逃げ場はあるよ。いくらでもね。逃げ場がないと思い込んでいるから逃げ場がないと思うだけであって、逃げ場は性格で作り出せたり作れなかったりするものだ。逃げ場を作り出すのはその人自身。もちろん、作り出せない人もいるから、作れと言って作れるものじゃないから、すべての人に対しては言えないことではあるんだけど。でも、逃げ場はある。必ず。

『息子よ、お前のせいにして悪いが、お前のミルク代を稼ぐためということにして、今年も、いや、とりあえず今日もがんばって働くよ。』

それでいいと思います。たいそうなものなんて掲げなくていい。生きていくってそういうもんだと思う。この子のために、この人のために頑張るよ、頑張って働いて生きていくよっていうのが。私も、そして旦那もそうですから。みんなそれでいいと思う。まあ、誰かのためじゃなく、自分のためにも頑張って生きるっていうのもいい。




画像提供サイト/Pearl Box

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