2009年01月05日(月)10:24
今朝、目が覚めたのが5時前。まだ旦那帰っていない。あーもしかしてーと思った。それからまた二度寝。次に目が覚めたのが6時前。トイレに行って、ファンヒーターつけて、またしても布団にもぐりこむ。それからうとうと寝て7時になったんでそろそろ起きる。ああ、やっぱり一本が潰れてしまったのねと思う。それから顔を洗ってたらケータイが鳴った。顔を拭きながら慌てて出る。旦那だった。「今、倉吉。やっぱり帰れなかった。昼頃に帰るから」だって。ったくもー。誰だよ、休んだ奴は。旦那、昨日も余計に走らされ、今日もまただよ。一応、明日明後日連休だけど、この分だとその連休も危ないよなあ。


2009年01月05日19:56
雨。

やっぱり旦那の連休潰れた。旦那、私が出勤間近に帰ってくる。「連休潰れたー」って。今夜は一本で夜中に戻る予定。あくまで予定。今夜こそは一本で帰れるように祈りながら寝なくては。で、明日はそのままお休み。ただ、明後日夜中に出勤してお昼に戻ってくるシフト。でも、本当なら明後日もお休みだったのにさ。明後日ちゃんと帰ってこれたら、新学期で登校した息子が戻ってきしだい、息子のメガネを買いに行く。

さて、私の今日の仕事、普段なら月曜なんで遅くなりそうなんだけど、今日は4時半で帰れた。同僚のTさん、どうも最近ずっと胃の調子が悪いらしい。気になるからどこの病院で診てもらうのがいいかNさんに相談してた。「ガンだったらどうしよう」って心配してた。胸やけがするらしいんだよね。で、そういうのってほっとくとガンになったりするからってことで、それで不安になっているらしい。Tさんって他にも掛け持ちで仕事してて、夜遅くに食事したりは当たり前だから、そのせいで胃もたれしてるんじゃないかってNさん言ってた。なんともなければいいな。

どうも頭痛してるし。さっきご飯食べたあとに鎮痛剤飲んだ。今夜は早く寝よう。旦那も夜中に戻ってくる(予定だ)し。(^^;


Live Your Life - 「で、みちアキはどうするの?」を読んだ。

みちアキさんは「404 Blog Not FoundNews - 開けたくもないし、ましてやめでたくもないけど」を取り上げて、戦争で死に行く子供たちは運が悪いだけで、それについて罪悪感を持たなくてもいいということを書いている。もちろん、それは彼のスタンスであり、それを他人に強要するわけじゃない。自分はこう思う、だから何もしない。しなくていいんじゃないかなと自分の考えを提示しているだけだ。

どっちかっていうと、私もみちアキさん寄りの考えの持ち主。戦争だけじゃなく、難病で死んでいく子供たち、交通事故で死んでいく人たち、無差別殺人で死に行く人たち、すべての理不尽な事柄で死に行く人たちはただ運が悪かったというだけだ。それだけじゃない。みちアキさんも言っていたが、幸運な出来事に見舞われることも、たとえば宝くじに当たるとか、私みたいにガクトさんのライヴチケットに当選するとかも、運がよかった、それだけのこと。すべての出来事は運・不運で動いている……というわけじゃないよな。(笑)
すべてじゃないか。ものよっては、こう動いたから、このときに考えを変えたから、それだけで運っていうものは変わっていくこともある。あの時、胸騒ぎがしてこの車に乗らなかったおかげで今の自分は生きているっていうことも聞いたことあるけど、そういうことは運・不運とも違うような気もするけどね。そう思うと、紹介されている写真の子供だって、その死の瞬間に何があったのかはわからないけれど、たとえば好奇心から物陰から顔を出したせいで死んでしまったのかもしれなくて、顔さえ出さなければ死ななかったかもしれない。それは、その子の性格で左右される行動だ。運・不運では決められない。そういうこともあるだろうな。

さて、みちアキさんは、運が悪かった人たちに運が良かった人たちは別になにもしなくていいんじゃないかと言う。運が悪かったのはその人たちのせいじゃない、と同時に自分たちの運のよさも自分たちのせいじゃないということで、なにかしてあげることもないということ。そう言われれば確かにそうなんだけど、そう思える人ばかりじゃない。いわゆる心やさしい人たちは、そう思ってしまう精神構造を持ってしまったんだから、どうしても罪悪感からは逃れられない。みちアキさんは、その罪悪感は精神的に不健康だと言うが、果たしてそうだろうか。なにもしなくていいんじゃないかと思う人にとっては不健康になるんだろうが、罪悪感を持ってしまう精神構造の人にとっては、罪悪感を持つことで精神の均衡を保っているように私には思える。罪悪感を否定することこそ不健康なんじゃないかなあ。そういう人たちにとっては。

みちアキさんは、自分の幸福を手放してまで他人になにかをする必要はないと言っている。そうだね。手放してまでする必要はないと私も思う。けれど、私はワガママだから、自分の幸福をつかんだまま誰かも幸福にしたい。どちらか一方じゃなく、どっちも幸せになれる行動を取りたい。ただ、私もみちアキさんも忘れてはいけないのは、自分の幸福を手放してまでも他人に何かをする人はいるってこと。そして、はたから見たら「自分の幸福を手放して」るように見えたとしても、その人にとってはその行為は幸せなんだということ。何もできないで嘆いていることよりは、その人は何かができるということで幸せなんだということ。だから、それは幸福を手放してるわけじゃないってことを忘れてはいけないんだ。幸福というものは、どんな状況に置かれても自分は幸福なんだと思えることが幸福。それは忘れちゃいけないと思うよ。




画像提供サイト/Pearl Box

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