2004/11/22(月) 晴れ、穏やかないい天気。
一日ズレてたよ。旦那のスケジュール。そっか、今晩が4日目の夜勤だったんだ。 明日の朝はもしかしたら早めに帰ってこれるかもだって。けど、6時頃?……寝てると思うし。(^^; だって明日は息子も学校は休みだしね。7時くらいまで寝れるかなあって思ってたのに。今日は息子は学校で掃除があるからってことだったけど、まあ、9時までに行けばいいってことだったんで、8時前まで寝てました。_(^^;)ツ +++++++++++++++++ お友達が「FF女性キャラクターチェック」(リンク切れ)というのをやってたんで、私もやってみました。
↑当たってるし〜。(笑) 黙ってればモテるか…よく言われるんだよねえ。(´ヘ`;) つーか、なんですかその…… 電波系美少女度 100% !!! あうあう…やっぱあたくしはそれなんですね〜? あと、「ロリコン度チェック」やってみました。
( ̄▽ ̄) あは、あは…もう何も言えません〜。 性癖倒錯度と二次元的倒錯度がどっちも100%!!ですよっ!(爆) 天慈さん、人間やめた方がいいみたいでつ。( ̄▽ ̄) ++++++++++++++++++++++++++++++++ 10:40 天ちゃんのガクトさんへ向ける愛の形とは ******************* またまたARENA37℃の続き。(笑)
私は、ピアノ習ってたくせに音楽についてはあまり詳しくないのです。 だから、ハードなものとかバラードなものとか言われても、はっきりとした区別ができないわけ。 ガクトさんの歌は、まだ一枚アルバムをゲットできてないのでソロとして活躍してからの全ての曲を聴いたわけではないわけです。 一応マリス時代のことは視野には入れてません。 もちろんマリス時代のガクトさんも考えに入れなくては何も語れないとは思うのですが、前にも書いたと思うけど、今の私にとってはマリス時代のことはどうでもいいのです。でも、どうでもいいとは言ってますけれど大事だとは思っていますよ。 だから、ソロになってから発表された歌で考えてみて、私にとってはガクトさんの歌は全て「ラブソング」であるという見方をしてます。というか、ガクトさんに限らず、他の歌い手さんの歌もほとんどが「ラブソング」ではないかと思っているんですよね、私は。 ラブソング───何も恋人に対して歌う歌だけがラブソングではないし、どんな相手に対して歌ってもラブソングと言えるし。 ただまあ、今回の「君逢い」の場合はごくごく普通の男が歌うラブソングという感じで、それがバラードと捉えられているのかなあと思いました。 つまり、曲調がハードとかバラードとかという括りではなく、歌詞自体をハードかバラードかに分けているのかな、と。 たとえば、今これを書いている最中に「THE SIXTE DAY」を流しているのですが、ちょうど「Secret Garden」をガクトさんが歌っています。この曲も私にとってはラブソングです。ただ、私から聞けばこの曲はハードなものと捉えています。 まあね、いまいちハードとバラードのちゃんとした意味を把握してない私なんで、何かとんでもないことを言ってるかもしれないなという気持ちはしてますが。 そうそう、今流れている「君追い」もラブソングですよ、私にとってはね。 来年発表予定(確定ですがね)のバラード集を出そうと思ったガクトさんの本当の気持ちというのは分からないのですが、彼の激しい曲を求めている人にとっては「またか」という気持ちはあるでしょう。 その気持ちは分からないではないです。 自分が期待しているのとは違うものが出来上がった場合は誰しもそういう気持ちは抱いてしまうものだし、この私にしたって「こんなものが欲しい」という当たりまえの欲求はありますので、それが外れた場合は「コンチキショウ」と思うこともあります。それが人間というものですから、ガクトさん自身だって他の誰かに期待してしまい裏切られた経験だってあるわけで、そういう気持ちを持ってしまう人のことだって理解はできるでしょう。 けれど、彼は彼なりのやり方でしかやれないわけであり、そして、またそうでなくてはならないんじゃあないかと私は思うわけです。 ファンに迎合して作品を作り上げるのも、それもまた一つの創作活動。それはそれでもいい。けれど、ガクトさんはそうじゃない。それが彼の特性であるともいえる。 まあね、私自身は迎合して作り出す喜びというものも知っているし、それはたぶんガクトさんだって知らないはずがないと思うんですよ。 誰かのために作り上げたい、そして、それがちゃんと届いた場合、どんなに自分が満足しているか、その満足感を感じることは麻薬のような心地よさがあるのです。(薬なんてやったことないけど^^;) でも、そればかりやっていると、いつかは壁にぶち当たるんですよ。創作者というものは、たいがいがそうだと思うんですけどね。 誰のためでもない、自分を満足させるためだけに世界を構築していきたいという欲求が。 誰かを満足させるために作り出し自分も満足することと、自分のために作り出し自分が満足するというこの二つのことは、考えてみたら同じことなんですけれどね。結局は最終的に自分が満足したいからやってることに他ならないから。 私は音楽に関しては本当に素人ですから、自分が聴いてみてハマれるかハマれないかで判断します。 その曲がどういうコンセプトの元に作り上げられたかなんて関係ない。 曲調が良かったか、あるいは歌詞がツボだったか、そのハマるきっかけというものはそれぞれで違ってくる。 ただ、ガクトさんの歌の場合は、私がガクトさんの「声」にハマっているということで、ガクトさんが歌えばどんな歌でもハマれるっていうことですね。意地悪な言い方をすれば、どんなに駄作な歌でも「貴方が歌えばOKよ」みたいな。(^^; 他の人にとっては、彼の声は「嫌いな声」かもしれないし、そうなると恐らく彼の歌う歌は全て「嫌い」となるでしょうし。私もそういうことがないとは言えませんが、ただ私の場合「引き出しが多いので」声がハマれなくても曲でハマったり、歌詞でハマったり、下手するとバックミュージックのたった一音だけでハマる時もあります。(笑) 「ここ、ここの一小節がいいのよ〜」ってな具合に。そこが聞きたいばかりにまるまる一曲を何度も何度もリピートさせたりとか、ね。 まあ、ある意味、こんな失礼なファンはいないと思いますよ。だって、ガクトさんの歌の創造性には着目していないとも取れますからね。 けれど、私は音楽はどんな聴き方をしてもいいと思っていますので。こんな私だから「愛がない」だのと言われるのでしょうけど、いいです、誰がそう思ったとしても。私には私にしか分からない「愛の形」があるんで、それをガクトさんが感じてくれればそれでいいんです。ほかの人に何を言われようとも。 だって恋愛は大勢とするもんじゃないでしょ。一対一、それが恋愛の形です。想いを届けたいのは向き合ったその人だけでいい。今の私にとってそのアーティストはたった一人だけ。 それがガクトさんである、と。それだけなんですよ。 |