2004/11/2(火)曇り曇り曇り〜ちょっとだけ晴れ〜


母について考える 16:16

「ShadeLOG 実まじめに母親について」を読んで(リンク切れ)

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トラバ返しというわけではないんだけど、INさんがトラバして語っていることにさらに思ったことを書きたくなった。

もちろん、それは母親のことについて。

もっとも、母については日記やエッセイでも書いた覚えがあるので重複するかもしれない。つーことで、適当にスルーして読んでやってくださいな。

INさん、引用させてもらいます。

“人間的には理解できないが、親としては尊敬する”

↑の言葉に今回はビビビっときました。(笑)

あたしの場合はあたしが理解できないというわけじゃなくて、たぶん、母のほうがあたしを理解できないんだと思う。
それがよーくわかったのが、一昨年の春に胃カメラを飲まなくちゃならなくなったときのこと。あの時に母があたしのことを理解できないのだということに気づかされたわけなんだよね。と同時に、幼いときから感じてきた違和感というものも、その無理解からきていたんだと思った。

母はとにかくどんなことでも「たいしたことない」と思う人だ。

前にも書いたけど、母はかなり苦労してきた人だ。
まあ、あまりクドクドと母の苦労話を書くことはアレなんでやめとくし、母くらいの年の人はみんな似たり寄ったりの経験はしてると思うので、母と同年代(60代)の人たちはあたしの印象では精神的にも強い人たちが多いんじゃないかなあ、なんて思う。
もちろん、それはあたしがそう感じるだけであって、弱い人たちもたくさんいるかもしれないけれどね。

一昨年の春、あたしが胃カメラが怖くて怖くて、そのことばかりに神経が集中してしまったがために、結局は胃を荒らしてしまったことを、母は「なんでこんなに肝細かな〜」とそう言った。「カメラなんてたいしたことありゃーせん」と。
母は父と違って病気一つしない人だったんだよね。
風邪引いたこととか数えるくらいだったし、寝込んだ母をあたしは見たことがなかった。あれだけ免疫力のある人間をあたしは知らない。それほど母は超健康体だったのだ。

だからね、当然、母には病気の人の気持ちというものはなかなか理解はできないと思うんだ。それは身体的なことだけじゃなく、精神的なことでもそうだ。
母は人前で何か喋ることも得意だし、社交的であるから、内向的な人間の気持ちも理解はできないと思う。
もちろん、母は母なりにそういう人たちに思いやりは持っていると思うのだけど、根本的なところが違うので、本当に理解できているはずがないのだ。

それはもうしかたないことだ。

それはもう事実として受け入れるしかないし、あたしも子供の頃のように母にあたしのことを理解してほしいとは思っていない。
昔は、理解してもらいたくて、とにかくあたしの気持ちをわかってもらいたくて、それで母に酷い言葉を投げつけたこともある。

以前書いた覚えがあるけれど、母は好きな人と別れさせられて親の決めた相手と結婚した。母はそういうことを隠している人じゃなく、本当に何でも思ったことや過去の話をしてくれる人だ。そこらへんはあたしも母の血を受け継いでいるかもしれない。(^^;
母は文学少女だったから、別れた恋人もそれに相応しく文学青年だったようだ。
そんな二人のことを聞かされれば、やはり母はその人と一緒になりたかっただろうなとか、父のことを軽蔑してるかもしれないとか、いろいろ子供心に悪い想像ばかりしてしまうものだ。
しかも、父が尊敬できる人間であればそんなことも思わなかっただろうけど、これがねえ、父は悪い人じゃないので人間的には好きなんだけど、尊敬できるかといったら───残念なことに尊敬ができないわけで。
そうなると、ついつい母の元恋人と父を比べてしまう。
さあ、そういう思いが心にわだかまってるとね、いざ、母に不満とか出て口喧嘩するときに、それが出てしまうわけよ。

「好きな人の子じゃないからあたしを嫌いなんだ」と。

あれは今思うと本当に暴言だった。
うん。ほんと穴があったら入り込みたいよ。

あたしが生まれた頃、母は父の実家で酷い目に遭ってたようで、父ものらりくらりしてたから母はそれにブチ切れてあたしを連れて実家に戻ってしまったらしいよ。
そこらへんのことが母の日記に書かれてあって、父には呆れただの、娘さえいればいいだのと、そういうことを見たら「ああ、あたしは母に愛されてたんだなあ」と思えたのだ。
母はどんな相手の子であろうが、生まれた子供は等しく愛せる人間なんだと思えたのも、その母の日記を読んだおかげだ。

母の日記は何十年とつけてきた家計簿のメモ欄に書かれているものだった。

母がそれを毎日のようにつけていたのは知っている。
それを読ませてくれと言ったこともある。
だけど、母は絶対読ませてはくれなかった。まあ、ようするに、母も「日記は人に読ませるものではない」という考えだったのかなあと推測したんだけどね。
ただ、あたしが小説を書いて投稿してることを知った母は、なぜかあたしに日記を読ませてくれたんだ。

だから、あたしは少し母を理解し、近づけたのだと思う。

ただ、やはり気質やら何やらが違うので、あたしはどちらかというと父親のほうが理解できるんだよね。同じように身体がポンコツで、病気ばっかりしてるしね。(^^;

けれど、あたしは父を理解できても尊敬はできない。

そしてね、INさん、あたしは思うんだけど。
別に無理して理解しようとしたり尊敬しようとする必要もないんじゃないかなって。
親と子供は別個の人間。気質も違えば考えも違う。
争うことさえしなければ、どんなふうに相手を思ってもいいじゃないかとあたしは思うんだ。

だから。

絶対幸せになってね。d(^-^)ネ!

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でまあ、ちょい補足。

旦那である父の実家をおん出た母だったけれど、父は娘のあたしをことのほか愛していたらしく、自分も実家をおん出てあたしたちを追ってきたんだって。
それからはとにかくあたしのためにと一生懸命働いてくれたらしい。
結局はその仕事(トラックの運ちゃん)のせいで父は身体を壊したわけで、だから、母はきっと父に感謝してるんだと思うよ。

男として愛してはいなかったと思うけど、たぶん、あたしの父親としてとか、人生のパートナーとしての愛情というものを、母は父に対して持つようになったのかなあって。
母はつまりは「女として生きる」ではなく「母として生きる」ことを選び、昔の甘い想い出は想い出として心にしまいこんで、父との人生を一生懸命生きたのだろうなと。

ほんとに、あたしは母を尊敬してるよ。

あんなに超ポジティブな人間はいないと思う。
その超プラス思考が、母の身体を健康体に保ってるのだろうなあ。

+++++++++++++++++++

なんですか?
それはあたしへの挑戦ですか?
おー受けて立とうじゃあないかっ!
ガクトさん!(爆)

わはは。
またしても意味不明な書き出しでした。(^^;

えーとですね。今日はですね。某掲示板でも話題に上がっていたORICON STYLEの雑誌がないかなーと思い、ツタヤさんとか他の本屋さんに行ってきたのですよ。チャリコロで市内を回ってきました。が、ありませんでした〜。(T_T)
まあ、でもないもんはない。しかたないや。

つーことで、他の雑誌にガクトさんのコメントが載っていたので立読みしてきました。(爆)

でまあ、そこに書かれていたことによると、年内にもう一枚アルバムを出すつもりだったこと、それはできるはずだったんだけど、ファンの出費のことを考えて来年に回すのだということが書かれてありました。
そのアルバムのことは某掲示板から情報はゲットしてきてました。けれど、どんな内容かは知りませんでしたので、その内容のことがこの雑誌には書かれてあって(なんていう雑誌だったか忘れた)「おおー!」と思いつつ立読みしてたわけなんですが。

そこに書かれていたことを読んだために冒頭の言葉が出てきたわけですよ。(爆)

なんと〜全てが新曲であり、そして、全てが───

Love Songだそうですよっ!
しかも!
ご自分の恋愛体験満載のっ!

うっきゃー(≧◇≦)ノ
これはもう、その歌をモチーフにして恋愛小説を書けと言ってるようなもんですなっ!(思い込み天慈さん炸裂中)
そっかー、そかそか〜逆パターンなわけですね……(謎)
ええ、ええ、わかりましたともっ! 喜んで書かせていただきますわっ!

ゲクト・シリーズ、怒涛の更新のヨ・カ・ン♪

でまあ、手始めに、今回の「君に逢いたくて」で一本書こうと思っている天慈さんどぇす♪(まだ書いてない…ヲイっ)
きっとそのアルバムには「君逢い」も収録されていると思われるしね。手始めに「君逢い」でゲクト話を書こ〜。今妄想始まってるし。

それにしても。

私の思い込みの激しさは定番ですが(定番だったのかっ?)、この間トホホ人物伝で見た野口英世を見て、ああ〜同士よ〜と叫んでました。(爆)
あれでさ、坪内逍遥が書いた『当世書生気質』に自分と似たような人物が書かれていて、それを読んだ英世は「坪内先生は僕を知っているんだ、僕を見ているんだ」と言い張ったということをやってたんですけど、なんかさー、私もついついそう思い込んでしまうところがあるんだよねえ。なんかさ、ほんとひとごとじゃないなあって思って、妙な親近感を野口英世に抱いてしまいましたよ。(^^;

英世クン、我が魂の双子よ、ってか?(爆)

そういえばその雑誌に書かれていたんですけど、今回のオリンピックも全然ガクトさんって見てなかったんですってね?
何でも、もらったメエルに「谷選手が金とりましたー」と書かれてあって「谷って誰?」となったんだって。(笑)
やわらちゃんが結婚したことも知らなかったそうですよ。
まったく……そんなこと聞いたらまた旦那がなんこそ言うじゃあわかりまへんがな。(爆)
それだけ聞いたら、まるで私みたいじゃないですか。物知らず大王天慈さん。(^^;
けどまあ、旦那曰く「おまえとガクトは似てるかもしれんが、行動的かそうでないかの違いはあるよな」と。うーむ。でもまあ、私はガクトさん目指してはおりますが、彼のようにそこまで行動的になりたいかと言えば……ノーかもしれない。(ダメじゃん)

だってねー、これもこの間やってたトホホ人物伝の紫式部と清少納言の話を見てて、むーん、私って紫式部タイプだよなあって。(^^;
紫式部って人付き合いが嫌いで男嫌いだったそうです。なのに、稀代のプレイボーイ光源氏を作り出したというのがすごい。普通なら、理想のタイプを物語のキャラにすると思うんだけど、紫式部は光源氏を書きながら「男ってさいてー」と思ってたらしい。そっかー、そういう不満をぶつけてたわけねん。
けれど、その源氏物語が人気となったために、したくなかった宮仕えに駆り出されたようで───そこらへん、私もちょっと経験があるんで「あいたたた」となったわけですが。やっぱ紫式部って私に似てるよって。といっても、彼女のように私の作品が大人気だというわけじゃないんですけどねえ。(やや自虐的)
反対に同じ宮仕えの清少納言はすごく社交的で男好きで明るい人間だったそうです。
ふーむ。もしかして私って紫式部と清少納言を足して二で割った性格かもしれないなあなんて思ったり。

むむ、ここらへんが野口英世ばりの思い込みの激しさなのかもしれませんな。つーことは、紫式部と清少納言と野口英世を足して三で割った(どこからくるその数式はっ)性格なのかもしれないねっ!


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