2004/10/30(土)  曇り気味な晴れ。


やった!
今夜からは一人寝じゃないぞ。(爆)

今日は土曜で息子は休みだったのですが、私も7時くらいに起きてちょろっとネットをふろついてました。で、8時半頃になって、ああ、いかんいかん、9時過ぎには旦那さんが帰ってくるから、それまでにご飯食べて掃除洗濯してしまわなければと思い、慌てて息子を叩き起こしました。(^^;
何とか9時頃までは二人ともご飯食べて掃除までは片付いた。あとは洗濯だ〜とそれやってたらいつものように電話が。
そう、夜勤明けの朝は、旦那さんはお友達のK氏のおうちに寄ってから帰るのであります。
それから、旦那さん10時過ぎくらいには戻ってきて、寝ちゃいました。
私はゲクトに向かっていろいろ作業してましたが、お昼になって慌てて息子が帰ってきた。
「おかあさん、すぐに食べれるものにして!」と。
いったい何なんだと思ったら、今日明日は公民館祭なんですね。で、そのお手伝いをしているからさっさとご飯食べてまた行かなくちゃならんということ。ほほ〜そりゃすげーや。(爆)
そいうことやりそうにない子だと思ったんだけど、母に似なかったのだねえ。(^^;
私もね、地域のことにバリバリ参加していた自分の母親に似ずに、そういう地域の催しごとに無関心だったからなあ。そういう私に似なくてよかったじゃん。

結局、旦那さんはあまり眠れなかったみたい。まあ、夜勤明けはいつもそんな感じでほとんど眠れないんだよね。で、そのせいでその夜は早々に寝てしまう。今夜も旦那さんは7時過ぎからねむねむ状態で7時半頃には寝てしまいました。

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夕方、旦那さんと晩御飯の買出しに行ったのですけれど、その時にカーラヂヲから流れてきた言葉「アイリッシュ音楽」というので話が広がりました。
アイリッシュといえば私が思い浮かべるのが「アイルランドのよ〜な田舎に行こう〜♪」(「汽車にのって」注意:MIDIが鳴ります。参照サイトは「コーラス@ホーム 合唱・唱歌をMIDIで紹介します」)なんですが、ケルト音楽とアイリッシュ音楽は同じみたいですね。
ケルト音楽と聞くと、私は真っ先にエンヤを思い出すのですが、とある方のブログが検索でヒットして、ゲームのファイナルファンタジーでもアイリッシュ音楽を取り入れていると書かれてました。→「ちょっと寄って亭: アイリッシュ音楽に魅せられて―。」(リンク切れ)
あと、今のロックはケルトのメロディとアフリカのリズムが融合してできたということが書かれているサイトも見つけました。→「-ケルティック・ハープとケルト・アイリッシュ音楽-」

旦那は、アイリッシュ音楽ってタイタニックであの二人が船の酒場でみんなで踊っていたときの曲がそうだみたいなことを言ってたんですよね。
あの酒場の踊りだしたくなるような音楽より、私としてはオープニングで流れてた曲なんかのあの幻想的な雰囲気がとても好きで、映画を初めて見に行ったときに「あ、エンヤの曲じゃん」と思ったんですよね。違ってたんですけど。
まあ、アイリッシュ音楽が幻想的なものだけとは限らないと思うし、私はアイリッシュ音楽にどういう曲があるかも熟知しているわけじゃないので何とも言えませんが。
まあ、そんなわけで、そこからアイリッシュ・ダンスとかあとフラメンコとかの違いって何?と話が広がっていったわけです。
私はその二つの踊りってアイリッシュダンスは大勢で踊り、フラメンコは一対一でという、ただの雰囲気でそういうものなんだ〜と話すんですけど、そういうわけじゃないみたいなことを旦那に言われました。で、ぐぐってみた。

「アイリッシュ・ダンスについて」(リンク切れ)と「フラメンコ小史」

なんか、読んでみてもやっぱりよくわかんなかった。(爆)
民族が違うわけだから、たぶん特色は違うんだろうけれど、どっちのダンスも私は好きだしね。でもまあ、ジプシーというものがかなり好きな私としては、どっちかってーとフラメンコ寄りになってるかと思う。なにせ、砂漠のジプシーであるガクトさんの対といったら砂漠の歌姫ですからして。(笑)
ただ、「フラメンコの歴史と起源」に書かれていたフラメンコの言葉の起源がアラブの言葉「フェラメングス」であり、その意味は「放浪する田舎もの」ということで、先に紹介した「汽車にのって」の歌でも言われてる「アイルランドのような田舎に行こう」という「田舎」の文字が出てきたということで、何となくプチシンクロ気分を味わっている天慈です。意味はないとしてもね。(笑)

まあ、そんなこんなで長々とアイリッシュダンスだのフラメンコだのと話したわけですが、ダンスとは何かという話になってきまして、ダンスとはまあいわゆる魂の表現方法であるみたいなそんなことを旦那が言ったわけですよ。
で、アイリッシュダンスは見ている観客まで巻き込んで踊ってしまえという感じがあり(ここらへんはタイタニックのあのシーンの影響だね)、フラメンコは一人かあるいは二人という限られた人間が魂の叫びを表現するかのように激しく踊り、それは観客とは隔絶されたところに存在するみたいな、そんな感じがあるかなあと、それは私がそう思ったんですけれど。
で、そこから、フラメンコって踊れない人の心を代弁してるのかなあと言ったら、それは違うと旦那に言われた。(^^;

踊りだけに限らず、創作なんかでもいえることだけど、人々の代弁をするなんてそんなのは芸術じゃないと、そんなこと言ってたな。(またしても、ちがーう、俺はそんなこと言ってないって言われそうだ^^;)
なんだかいろいろとウンチクを語っていたようなんだけど、かなり辛辣なこと言ってたので、これ以上はやめとこ。(^^;
それに、私がかなり曲解してそうな気がするし。創作の話では、まったく旦那と考えが違うというわけじゃないけれど、根本的なところがどうも違うらしくて、旦那と創作話をしてると自分の不甲斐なさを感じますねえ。
頭がもっとよければ旦那をギャフンと言わせることができるんですけれど、なかなか理論立てて話せない天慈さんなんで、旦那さんには太刀打ちできまへんわ。

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最高の批評が欲しいのならば 13:13

kasa's legitimate square「2004年10月29日(金) 真の評価」

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例えば何かの審査を受けた時、自分に実力が有ると思い込んでいるのに落ちてしまって、それで「審査員のセンスが無いんだ」とか言い訳するのは、やっぱりその人に実力が無いんだと思う。

これを読んだとき「アイタタタ」と思ったのはあたしだけじゃないだろうな。(笑)
あたしも以前「タイムカプセル」という短編をいつも投稿している鳥取文芸で認められなかったときに、いろいろいい訳したもん。

まあ、確かにkasaさんの言われることは間違っちゃいないと思うよ。
ただ、それだけが正しいとも言えないんじゃないかな。

あたしなんかもね、なんでか批評っていうのがほとんどこないんだよね。
けれどね、まったくないというわけじゃない。数は少ないけれど、たまにポツッと来るのよね。
で、来るときはとても容赦のない批評だったりする。もちろん、ただの嫌がらせとは違うよ?
なんというか、愛のある叩きっていうやつ?(爆)
それが感じられる批評だったりするんで、かなりキツイ批評でも納得ができるものだったりして、ありがたいなあと思ったりするんだな。

つまり、だ。

批評っていうのは生半可な気持ちではできないわけで。
ほとんどの人が他人の作品には批評はできないと思い込んでいるのじゃないのかな?
批評をちゃんとした批評として受け入れてもらうためには、その批評をする人にも資質というものが必要となってくるからね。
そういうことで、あたしもちゃんとした批評は他人の作品に対してできないので、それだけでも「実力ない人間」と言えなくもないんだよ。
実力のある人間は、他人の作品に対しても「いいところ」と「悪いところ」をキチンと説明してあげることができなきゃならないと、あたしはそう思ってるから。

つまり、批評する側にも「センスが必要」となってくるのよ。

だから、だ。

たくさん批評が来たからといって、それがいいというもんでもないともいえる。
あたしはそう思うけどね。

自分に対する真の評価を知る事は難しい。まずは批評され易い雰囲気作りをする事が肝要だ。

批評されやすい雰囲気作りもいいけどね。
垣根が低くなったことで、下らない批評をまるでゴミ箱に捨てるように投げつけてくる輩も増えたとしたら、果たしてそれでもいいと思うのかな?

あたしゃイヤだねえ。(まる子の口調で)

最高の批評がほしかったら、やはり自信を持たなくちゃならないというのが、あたしの到達した表現者たる姿勢だ。
あたしはそれを信じているよ。
それでいいんだとね。

無根拠に自信満々だったりして、何となく批判を言い難い雰囲気を形成している人

Σ( ̄▽ ̄;

そっそうかっこの自信満々な態度がイカンのだなっ?(爆)
まさにあたしのような人間のことだー。_(^^;)ツ←微妙に小心者天慈さんですた。

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UPして気づいたけれど、タイムカプセルのあとがきではなく、違うとこで言い訳は書いたみたい。(^^;
なんというか、リアリティがないということに対して、これこそがリアリティじゃん、何もわかってないじゃんとか、そんなことを書いた覚えがある。

まさにいい訳。

わからせるほどの実力がないんだから、それに気づけよ自分って感じでしたなっ!(笑)

精進精進じゃ〜♪

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うん。
一番の評価者は、自分自身やったりするんちゃうかな?
あたしが評価されて嬉しくなるのは、
自分できづいてない部分を評価されたとき。
逆に、あかんとこも知ることができたりするしね。


posted by あづ | 2004/10/30 4:30 PM |

うんうん、そうだよね。
自分で気づいてないとこ指摘されるのって
けっこう嬉しいかなあとあたしも思う。
「こいつ、よく見てるじゃん」って。(笑)
あたしなんかまだ言ってくれる人がいるからいいよね。
これがまったく何も言われなくなったら・・・
人間やめなくちゃ。_(^^;)ツ
posted by 天慈 | 2004/10/30 10:14 PM |


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