2004/10/4(月) もう秋な空でした。青さが優しいのです。(^^)


今日は息子の長袖のパジャマを買ってきました、お昼前に。
とにかく急激にデカクなってきたので、着るものがなくなってきてねえ。ほんというと、旦那のパジャマも買いたいなあと思ったけど、来月までちょっと待ってもらおう。ごめんね。(^^;
その旦那さん、疲れがたまってるらしくて、えらそうでし。(;_;)
肩こりがひどくてね、頭痛もしてて、夜勤だから夜中ずっと起きてるでしょ、お腹の調子もよくないのですよ。便秘気味で。
肩もみしてあげても、全然やあらかくならなくて。。。
それでも、さっき、出かけていきました。心配だー。(><)

心配ごとがあるととたんに夜眠れなくなる天慈さんなんで、昨夜も執筆モロモロしてたんですけど、なんぼなんでも寝なくちゃなあと思い、お友達の掲示板でゲットしてきた情報「ホットミルクを飲むと眠れる」というのを試してみました。というか、昨夜はすでに2回目。(笑)
一昨日の夜中、どうにもこうにも眠れなかったので、試しに飲んでみたんですけれど、これがぐっすりんこと眠れましてねえ。しかも、朝すっきり爽やか起きれました♪
今度から毎晩飲んじゃいそうです。(^^)

そうそう。
ガクトさんの新曲「君に逢いたくて」とーとー聴きましたよっ!
といっても、ほんのちょびっとなんですが。しかも、よくわからんかった。(^^;
某掲示板ではこの間のCDTVでちょろっとだけ流れたということが書かれていましたが、それよりは長く流れたと思います、今日の「ザ・ワイド」のエンディングで流れた分は。でも、やっぱりよく聞き取れなくて。
早く何かの歌番組でしっかりと聴きたいものです〜。

今日はね、いつものようにプラントに買い物に行き、シチューの材料を買いましたよ。ええええ、鉄分補給にとニンジンも入れましたけれど(爆)、もちろん、ほとんど自分のには欠片がちょびっと入ってるだけという…皿に盛るのは私ですのでねえ。って、鉄分補給になってないじゃん、との突っ込みは却下。(爆)
ふふふ。今日はプラントも人がほとんどいなくて、レジもそれほど忙しくなかったようですよ。
あたしなんてぇー、〇ょうこちゃんにぃー、商品袋詰してもらっちゃったあ。_(^^;)ツ
今日はとっても素敵な笑顔でしたよ♪

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いちのせクンのブログで知ったこと。姫神の星吉昭さんが亡くなったと。
ちょっと前に、私もあまのじゃくブログで姫神のこと書いた。書いたといっても、フュージョンの話題を書いたわけなんだけど、私はシンセサイザーの音色がとてもとても好きで、好きな曲はたくさんあるんだけど、姫神ももちろん好きだった。一時期、必死になってCDを集めまくったことがある。その中でも一番好きな一枚が「まほろば」だ。

これには想い出がある。鬼の舌震へ行ったときの想い出が。
旦那に告白される前だったか後だったか、ちょっと定かではないけれど、まだ付き合うとは決めてなかったときだったことは確かだ。
いちのせクンとA君と旦那と私の4人でまだ雪の残る鬼の舌震に分け入った。
足元の危ない場所を歩いたよなあ。旦那は手を繋いでくれた。あの時の手の温もりは今でも忘れない。
そうそう。
そこに行くまではまったく雪なんてなくてね。天気はいいし、どこだったけ、ダムだったっけ?景色眺めててふざけあったよなあ。
私は、車で聴けるようにと姫神の「まほろば」をカセットに入れてきてた。
というか、あの姫神の曲も、確か友達のTちゃんが「これすごくいいから」とダビングしてくれたように覚えている。私が絶対好きになるからって彼女言ってた。確かに好きになったよ。ほんと、彼女とは趣味が合致したんだよなあ。谷山浩子といい、ジュリーといい、百恵ちゃんといい。(笑)

今夜は「まほろば」を聴こう。
過ぎ去り日の優しい思い出に浸るために。
そして、星吉昭さんのご冥福を祈るために。

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増殖する幸せ 13:57

いつかあの青空の心に:多角化

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同じく、幸せも複数持っていたい。
もしひとつの幸せが壊れても、
まだ終わりではないから。

たとえ幸せが壊れても、幸せはひとつじゃない。
当たり前のことなんだけど、今この時にこの言葉が聞けたということに少し感動している。

あ、いや、別に幸せが壊れたってわけじゃないんだけどね。(^^;

ただ、何となく、心に響いたというか何と言うか。
昨夜はちょっとだけ、もしガクトさんという存在がいなくなったら、あたしはいったいどうなるんだろうかとふと思ったから。
それに加えて、これはまあ、ずっと前から思ってたことなんだけど、自分の父親や母親が亡くなったとしたら、とか、息子や旦那がもしあたしより先に───と考えたとき、あたしはどう思うだろうか、どう感じるだろうかってことを。

その都度嘆き悲しむことは火を見るより明らかだ。
けれど、今まで生きてきて、何人も知り合いが死んでいくのを見てきた。
その中には祖母や祖父もいるし、舅もいるし、学校の先生や同級生もいる。
人間だけじゃなく、飼っていた猫や犬、ウサギやツバメもいる。
自然に死んだもの、事故で死んだもの、病気で死んだものや自殺までと様々な死に方はあったけれど、時が過ぎれば疼く気持ちが残るくらいで、あの頃受けたショックは薄らいでいく。
彼らに対する気持ちが薄れるわけではなく、新しい出会いや新しい繋がり、新しい大切に思う気持ちが生まれてくるからでもある。

それ以上ではなく、それ以下でもなく、同等の気持ちを注げる何かが、必ず用意されているのだと確信している今。

それだけでも、長く生きてきたことは無駄ではなかったなと思う。

少し前までは中島さんがあたしにとって全てだった。
ところが、今ではガクトさんも全てである。
気持ちが移り変わったのではなく、同じく愛情を注げる対象が増えたに過ぎない。
そうやって、ひとつづつ愛しいものが増えていき、たとえ、それがなくなったとしても世界が終わったのだと思わず、残されたものを愛する。

好きはたくさんあったほうがいい。

あたしがそう思う所以は、こういうことなのかもしれない。

もしひとつの幸せが壊れても、
まだ終わりではないから。

silent_soulさんの言う通りだ。
自分が生きてる限り、幸せなんていくつでも作れるし掴める。
自分にその気さえあればね。

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最近失った命といったら、去年の12月(ああ、もうそろそろ一年になるんだなあ)に死んでしまったハムスターのジャンなんだけど、一番嘆き悲しんだのはこのあたしだった。
最初は乗り気じゃなかったんだよ。
とにかく、旦那が飼いたくてしかたなくて、あたしの了解得ずに勝手にもらってきちゃって。
だから、せっせと世話をしてたのも、息子や旦那だったし、あたしはまったく世話なんかしてなかった。
ただ、旦那が前の仕事辞めて、新しい仕事に出るようになって、それがほとんど家にいないような仕事だったから、どうしてもあたしが世話をするしかない状況になったわけで。といっても、餌をやるくらいだったんだけど。
それに、あたしが世話したのは1ヶ月か2ヶ月くらいだったと思う。
まあ、それまでにはもうだいぶジャンのラブリーさにノックダウンしちゃってたんで、世話するのも別にいやじゃなかったんだけどね。

死んだ日のことは今でも忘れない。
その日のことを思い出すとやっぱり涙が出てくる。

あたしは、死というものに引きずられる傾向があるなあと思う。
嬉しいことや悲しいこと、痛いことから気持ちいいこと、そういう感情というものにかなり過敏なんじゃないのかと。
自分はわりと鈍感なとこがあると思ったんだが、過剰反応を示すということは、やっぱりそういうことにも過敏になってしまうんだろうな。

これはとっても辛い。

たぶん、過剰反応示さないことも訓練次第ではできるのかもしれないけれどね。
ガクトさんなら「できないことはない」と言いそうだし。(^^;


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