2004/10/3(日) 昨日の雨は?曇りのち晴れっぽい。


〇ょうこちゃんが〜
結婚してたよぉ〜(T▽T)←なぜ泣く?(爆)

昨日、いつものようにプラントに、旦那と雨の中買い物に行ったんですが、〇ょうこちゃんがレジにいました。♪ d(⌒o⌒)b♪
で、並んでたんですが、何だかいつもと違い表情がコワイんですね。まあ、昨日は土曜でお客さんもすごく多かったし、忙しかったんだろうなあ、疲れちゃったんだろうなあと思ってたんですが、彼女の表情のことを旦那に言ったら、

「お前と同じでアノ日なんじゃない?」

と。(−−;.........殴ったらか。
ロクなこと言わんわ、こいつ。(`´メ)
まあそれで、精算してもらってたわけなんだけど、なんかね手元がキラリンと光ったのですよ。ん? 今のは何だ? どうやら指輪みたい?
じーっと見つめていたら(笑)左の薬指に銀の指輪がぁぁぁぁ〜。
間違いない、結婚指輪だ、あれ、きっと。
そっか、まあ、そうでもおかしかないよねえ。
けど、ちょっとだけショック。(なぜ?)
でもまあ、かわいいからいいや。(それかいっ)

そういえばね、昨日はお昼にいつも見ている所さんのトホホ人物伝を見てたんですよ。そしたら、見ちゃったんですよー。(≧◇≦)ノ

ガクトさんが縛られてるCM!(爆)

ああ、いやいや、誤解を受けるような言い方でしたな。(^^;
い〜ま〜の新しいCMです。最初、ショッカーが「イーイー」カラオケしてる場面が出て、まったく〜何よこのCM〜と思ってたら、ガっガクトさんがっ!
いや〜あれですか、天慈さんがいつもトホホを見てるって知ってて誰かが流してくれた?(ないない)
つーか、あれ見た旦那さんが言うた。

「京本にモンク言われっぞ」( ̄▽ ̄)

意味のわかった人、あなたも仲間ですな。わはは。

それと、昨日はとーとーハガレンが最終回。
まあ、詳しい感想はここには書きませんけれど、録画しながら結局親子三人リアルタイムに見てました。ほっ、よかった〜、これでガクトさんのポスター焼かれなくてすむし〜禁ゲクトもとりあえずお流れだ。(^^;
でね、見たんだから普通なら消すんだけど、なななんと、ガクトさんのぷっちょCMの「いつになったら編」が流れた。うおおおお〜これは消すなってことっすかぁぁぁ〜。ま、いっけどね。ハガレン最終回だから、とっといても。つーか、いやだわ、あたしがハガレン見てるってこと誰か知ってて流してくれたのかしら。(* ̄m ̄)ノ彡←思い込み大王天慈さん健在なり。(爆)

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中島さんの日記にこんなことが書かれてありました。

『「やってないから気になってたまらないこと」ってのは、有無を云わさずとにかく「やってしまえば気が済む」というのも確かだなあとあらためて思いました。』 by 中島梓

夜中の思考は危険だということも言ってましたね。
けれど、やっぱりこの「やってないことが気になる」っていうのが、一番危険な考えに向いてしまうことらしくて、ああ、それってあたしもそうだよなあと思いましたです。もちろん、これは全ての人に当てはまるというわけではなく、中島さんや私のような人間に限りなんでしょうけれど。
ということで、気になってたことをやることにしました。中島さんの日記を現在まで読破〜。(爆)

『性善説も性悪説も私はとらない、そんなふうにきっぱりと2分できるシンプルな人間というものなんてそもそもいない、おなじ人間があるときは天使にも、あるときは悪魔にもなりうるのが「人間」というものの面白みであったりすばらしさであったり恐ろしさであったりする、と考えるのですが』 by 中島梓

そうなんですよね、キッパリと分けられるもんじゃないんです、うん。
人間だけが恐ろしい大量虐殺や無残な殺し合いや、なんかかんかやったりしてるように取られがちだけど、一番非情なのは自然界だと思うんですよね。まだ人間って情で殺さなかったり、許してしまったりというのがありますけど、自然界では模範的であれば死ななくてすむとか、こういう善行をやったから助かるとか、そういうことは一切ないわけです。どんな悪人だろうが、どんなに清き人だろうが、運が悪ければ死んでしまう。まあ、殺されてしまうっていうのには、相手が人間でもあるんで、とりあえず恨まれるようなことしてれば確立は高くなるわけで、恨まれないようにしてりゃ殺されないとは思いますけれど、でも決してゼロというわけじゃない。自分は恨まれないようにと思ってても、とんでもない理由で殺されちゃったりするもんですし。
ただ、自分を殺そうとしている相手が人間じゃない場合、それがクマのような動物か、車のような機械か、台風・地震などの災害か、そういうものだったとしたら、そこには一切の同情・憐れみはないわけです。
中島さんもこう書いておられました。

『自然だってきわめて非情だし、そもそも「非情」なのが当然で、自然には「情理」というものはない。』 by 中島梓

まったくだと思いました。

『自分を「どう見せようか」というだけの客観性があれば、逆に「どう見られているか」ということも理解できるわけだし、それと「本当の自分」とのギャップとか、そこから「自己」と「他者」という認識も出てくる、それで苦しむことも増えてくるかわりに、世界というものは自分の想像しているのとは違うのだという理解も出来るはず』 by 中島梓

↑の言葉は、何となく惹かれた言葉でした。
中島さんは、

『強烈な幼児性によってなされる事件というのは、なんら客観性の入る余地がありません』

と言ってました。で、↑の言葉に続くわけなんですが。そして

『きっとそういう理解を一切持てずに「自分」の世界のなかにしか生きてこなかった人、というのが、最初に本当に逃げ場がなくなって他者とかかわるときに、こういう事件が起きてしまう』

とも言ってました。

何となくね、今の私にとって、とても励みになる言葉だなあと思いました。どうしてかは、たぶん誰にも分からないとは思いますけれど。私自身が知っていればいいことですしね。ただ、どうしても、中島さんの言われていたことを「そう思ったんだ」という記念に残しておきたいと思っただけです。

『季節ごとに、ちゃんと季節感も大切に、自然と密着して、そしていつも生き生きとこまごまとした行事もこなしながら、毎日の何もない生活に手を抜かずに、きちんと掃除し、きちんと片づけ、きちんと料理を作ってきちんと食べて、きちんと後かたづけをし、きちんと保存食をやりくりしたり食べ物をムダにしないようアタマをつかい――というようなことをしてたら、「主婦」なんてものは、とてつもないエネルギーと時間と体力を使う、それこそ「専業主婦」なんていってられない大変な大仕事を引き受けていることになってしまうと思うんですね』 by 中島梓

ちょっと長い引用となりましたが、これを読んだとき、一時期専業主婦のことが巷でいろいろと話題になっていましたが(今でもなのかな?)、私もちょろっと主婦って大変なんだぞーって書いたと思うんだけど、中島さんが実に的確なこと書いてらしたんだなあと、それもあってれっつらご紹介しちゃいました。すみません、ほんとに相変わらずの天慈で。(^^ゞ

中島さんは「ちゃんと生きることの偉大さ」ということで、↑のような言葉に続いていったわけなんですが、けれど、やっぱり今の私たちは少しづつ手を抜いて生きていってるわけです。ちゃんとしているという中島さんでさえも、ご自分のことも「ちゃんとやってるとは言えない」と言っておられる。
彼女がそうだったら、他の人はともかく、私なんて絶対にちゃんとしてはいないんですよねえ。うわ、ヤブヘビだった。(^^;

『事実はフィクションよりすごいかもしれないけど、だからこそ、フィクションは事実が与えることのできない訴えや感動やテーマ性や圧倒的なドラマ性を持ってなくちゃいけないんだと思ったりします』 by 中島梓

これは、実際に巷で起きている凶悪犯罪と、舞台でフィクションとして起こしている殺人などのことを比べて出てきた中島さんの言葉ですが。
私も物書きのはしくれ。まったく評価されないとしても、語録の足りぬヘッポコ物書きだとしても、自分なりの世界観をフィクションで表現したいと願い続けている者として、中島さんの言われることに「ああ、そうだよなあ」と共感したりするのです。
私だって、感情のある人間、一歩間違えば抑えきれない情動に突き動かされるままに犯罪に手を染めてしまうかもしれない。
けれど、それをやらないですんでいるのは、こうやって捌け口があるからなんですよね。
どうしても惹かれてしまうこと、人を憎むという感情、悲しい気持ち、嬉しい気持ち、そういった様々なプラスやマイナスの想いを、たとえ自慰行為でしかないと言われようとも、自分なりに創作にぶつけることは、私自身を救っていることに他ならない。
そして、それを誰か他の人が読んでくれ、たった一人でも何か感じてくれれば、それは意味のない行為とは言わないだろう。
いや、誰も興味を示さなくても、たった一人、それが私自身だったしても、それは意味のないことじゃない。私さえも見向きもしなくなったら、それは無意味になってしまうんだろうけれど。
とまあ、そんなことを思いました。ほんと、すごい物を書きたいなあって、ね。(笑)

ということで、駆け足で約一ヶ月間の中島さんの日記を読んでまいりました。
最近ではまったくメエルはお送りしていないのですが、言い訳はしません。ただ、ひとつ言わせてもらえるとしたら、私には私の優先事項があり、私は時間の割り振りがまったく上手にできないということです。そのために、結局はメエルでお送りするようなことを日記で書いているというような有様で、中島さんがお読みになるはずはないと分かっていても、ついここで私信めいた感想を書いてしまっているわけです。(小説なら、今はそれ専用のブログを借りているので、これからはそちらで書くことになりますけれど)

ともかく。

私はどうあっても中島さんが大好きなんだなあということだけは、きっと中島さんに届いていると信じております。


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