2004/9/27(月) 曇りのち晴れりんこ〜♪


息子が学校から帰ってきたのは6時過ぎ。(半だったっけ?)
その息子が言うた。「おかーさん、お弁当箱間違えたでしょ」( ̄▽ ̄)ゞあれれれ??
いや〜申し訳ないっす。どうやら、今夜の生ガクトさんのことが朝から頭から離れなくて、それで間違えたらしい。(違)

とまあ、そういうわけで。

見ましたよ。ヘイヘイヘイのガクトさん♪
そのせいで日記書くのがひっじょーに遅くなりました。しかも、意味なしカキコだし。これなら別に今日は書かずに明日に持ち越せばいいのにね。
さすがにネタもないんだけど。ガクトさんネタで盛り上がるのはここじゃないし。(爆)

というか、ちょっとだけ。(笑)
ガクトさんネタじゃなく、そのヘイヘイヘイでは、けっこう昔の歌をみんなが歌ってて、つい一緒に熱唱してました。ともちゃんの歌も好きだし、ポルノの歌も好きだし、パパパパフィ〜(笑)の歌ももっちーの歌もいいよね〜うんうん。

……カラオケしたくなってきた。。。(ρ_;)←なぜ泣く。

ああ、そうそう。
今度の1日は映画の日だね。
ちょうど旦那さんも休みなので、映画見に行ってきますです。いや〜見たいのが目白押しでしたよっ!
「ヴァン・ヘルシング」に「LOVERS」に「アイ・ロボット」───全部見たい気はあるけれど、それは無理なので「ヴァン・ヘルシング」を見ることにしました〜。

わくわく…久しぶりの映画だー。頑張っていってきまぁーすね。(笑)

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そうだったのか2(爆) 11:41

小悪魔的日常記「主婦の悲しみ発言」

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専業主婦は3食昼寝付きの仕事ですが、悲しみだってあるのよね。
家事は家族にしか認められない悲しい仕事とも言えるでしょう。
家族すら認めてくれなかったら、孤独な1人芝居の仕事です。ぁぁ。

孤独な一人芝居!!

小悪魔さんっ!
なんて素敵なお言葉なんだっ!

と、今朝は小悪魔さんの「主婦の仕事は孤独な一人芝居」という言葉に…

わしづかみっ!(ぐわっし!)

そうか、そうだったのか〜。
一人芝居だからやる気が出ないのかもしれないなあと、ちょっとそう思ってしまった天慈です、こにゃにゃちりんこ〜♪(ゆうこりん風)

あたしは努力することは嫌いだから、だからこそ努力したことを評価してもらえないと不機嫌になってしまうというとんでもなくワガママ人間なんですね。
まあ、努力したからといって、ちゃんとした結果が出なくちゃ、そりゃあ誰も評価しちゃくれないんですけれど。

家事などは、小悪魔さんも言うてるように、誰でもができる仕事です。
ちゃんとできたからって特別な評価をしてくれる人がいるわけじゃない。
確かに「できてあたりまえ」と言われるのがおち。
努力していろいろ家事をやったとしても、恐らく「あたりまえ」と片付けられることだろうと思う。
としたら、あたしがやる気を失うのも───考えられるよなあ。(^^;

そうだね。

料理にしたって確かに嫌いではあるんだけど、旦那や息子に「これおいしかった」と言われれば嬉しいし、また作ってみようかなとも思える。
ちょっとばかしうまくできたときなんか旦那さんは「よしよし」と頭撫でて褒めてくださるので(笑)、やっぱそーゆー時はかなり嬉しいし。(ノロケりんこ)
もっとも、あたしの舌はちょいと特殊らしくて(いいほうに特殊じゃないのが悲しいんですけど)味付けではなかなか褒められることはないけれども。
しかも、包丁はキチンと扱えないし、物は壊しまくるクラッシャー天慈さんだし、計算もダメダメだし、物は知らんし、慣用句も知らんし(ヲイヲイ、家事から遠のいてるぞ^^;)……む、いいとこなしですなっ!(−−;

けれど。

誰にでもできる仕事だからこそ、みんなやりたくないんです。
その面倒な仕事を引き受けねばならないのが、主婦の使命です。
仕事そのものが大変なのではなく、ここが大変なのだと思うのです。

↑というように小悪魔さんが書いておられますが、旦那も同じようなこと言ってたなあ。

「お前が家のことしてくれてるから俺は仕事できるんだ」って。

たまに家事をするのは新鮮でいいけれど、それを毎日しようかと思ったら、旦那さんでもウンザリすると言ってた。
だから、それを毎日してるあたしに「ありがとな」と言ってくれた。

ふむ…あたしは家事はやっぱ好きになれないけれど、その旦那さんの気持ちを忘れなければ嫌々するってことはなくなるよなあと、そう思ったよ。うん。

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血蝙蝠

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↑のリンク先でも紹介されている角川から出版された文庫を古本屋で手に入れた天慈です。
初版で昭和56年となってました。解説は中島河太郎さんです。

「花火から出た話」
「物言わぬ鸚鵡の話」
「マスコット綺譚」
「銀色の舞踏靴」
「恋慕猿」
「血蝙蝠」
「X夫人の肖像」
「八百八十番目の護謨の木」
「二千六百万年後 」

9編の短編集だったんですが、表題作の「血蝙蝠」はそれほど私にとってはツボな作品ではなかったですね。
私の好みから言うと「花火から出た話」は素敵な恋愛物という感じで「X夫人の肖像」は思わずじぃーんとくる話でありました。
全体的に描かれている男性像が実に私の好みであるなあと思いました。とっても紳士的。今の男性にはない奥ゆかしさと品の良さが感じられて、こういう男性を自分も書いてみたいよなあと思わせましたね。
横溝さん自身がそういうタイプなのか、あるいはそういう男性像がお好きだったのか、そんなところかなあとまで勘ぐってしまいました。

そして一番に上げたいのが、横溝さん唯一のSFである「二千六百万年後 」です。
私の好みでいくとそれほど大した内容ではなかったし、最初、とある箇所で思わず突っ込みを入れたくなったんですが。

アメリカの作家リーコックを真似て修養書を枕にして理想郷へと旅立つ主人公の話なんですが、二つのユートピアが出てくるんですね。
一つは有翼人の世界。もう一つは卵生動物となった人類の世界。
その有翼人の世界で目覚めた主人公が運良く考古学者に拾われて彼の案内で空飛ぶタクシーに乗り込むんですが。
私はその箇所を読んだとき、「有翼人にそんなタクシーがいるのか?」でした。何だか、変だよなあと。でも、よく考えてみたら、たとえ有翼人でもどこかもっと遠くに行きたい場合、ずっと自分で飛び続けるのは疲れるだろうし、それに酔っ払って飛んだりしたら危ないだろうし、と。
そうか、そう考えると空飛ぶタクシーもありかなあと思い直したわけです。
そして、卵生動物となった人類のことですが、卵から孵化した子供は今のような何もできない赤子ではなく一ヶ月で言葉を覚え、二ヶ月で学校に入り、まったく親の手を煩わすことがないということです。
女性は結婚して更年期まで毎年卵を一個産むのだけど、必ず全てを孵化させることはない、ほしいだけを孵化させ、残りは国家が管理する。仮に何らかの有事で人口が激減した場合はそれを孵化させて補充し、戦争などではそれらを孵化して危険な仕事に従事させたりする。
うーむ……こういう内容ってけっこうSFでは取り上げられてたりしてますよねえ。何も目新しいことじゃないけれど、書かれたのが昭和16年というのは、ちょっとすごいかも、と思いました。

あとこの「二千六百万年後 」でも引用されていた岡本かの子という作家の小説に書かれているという『人間四十の声をきくと元の根にかえるものだ』という言葉と『四十は古来不惑とよんで、この年ごろになると、あまり人生に迷わなくなる』という言葉の対比の書き方が、さすがだなあと思ってしまいました。
こういう引用の仕方ができるのが今の私の理想なんですけれど、そのためには語録を取り入れていかなければいけないよなあと、そんなことを思いました。日々修業ですな。


【追記】

岡本かの子をぐぐってみた。なんと、かの岡本太郎のご母堂ではござりませぬか。
そういえば、以前TVで岡本太郎の特集したときに見たような気が。母親は作家で、まったく子供の世話をしなかったとか。そんなことを思い出しましたよ。

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