2004/9/26(日) 曇り時々晴れ後ポツポツ雨。


今日から旦那さんは日勤です。
ということで、6時に「ガクトどぇす♪」を鳴らかしました。
妻はスッキリとは起きれなかったわけですけど、慌てて目覚めた旦那さん、時間がわかると「なんだ、まだこんな時間か。ったく、ガクトめ〜」とブツブツ言うとりやした。( ̄▽ ̄)ざまぁ〜みさらせ。(爆)
「6時半になったら起こして」と言って、また寝てしまったのですけど、妻もなかなか起きて来れず、それでも何とか10分にはゴソゴソと起きて身支度をし、お弁当の用意をいそいそと始めましたよん。
ああ、明日は息子と旦那と二人分のお弁当の用意しなくちゃね。

今日はいつものプラントではなく丸合さんに買い物行きました。だって日曜は卵58円の日だからねん。さすがのプラントさんも卵がその値段になることはない。たぶん。(^^;
ついでに冷食も4割引だったので二つほど購入しました。

でね。

チャリコロで向かったわけですが、途中で踏み切りをわたるんですよ。
で、この間もふらチーズで掲載した一本だけポツンと咲いていた彼岸花がすでに枯れてしまっていたのです。対して向こう側のプラットホームの下に群生していた花はまだ枯れてなかった。
なんかそれ見てたら悲しくなってしまいましたね。
つい、花も一人ぼっちだと元気をなくしてすぐに枯れてしまうのかなあなんてことまで思ってしまいました。そんなことないとは思うけど。

孤高にスックと立ってたのに───

その他大勢の花たちは、そんなに花もデカクもないし、あまり目を引くってわけじゃなかったんですよ。といっても、彼岸花自体はどんな花でも目を引く花なんですけどね。
それでも、一本ポツンと咲いてた例の花は、すごく大きくて立派だったんです。
それなのに。
なんかさ、太く短くという言葉がピッタリかなあなんて思ってしまいました。

私は、細く長くが理想かなあとは思っていますけどね。

そうそう。
今日は一冊本を読了しました。
横溝正史の「血蝙蝠」です。あとでちょっとした感想を「ふら天」(笑)で書きますね。

で、その「血蝙蝠」を読みながら「秋のBSSまつり 大感謝祭」というのをTVで聞いて(爆)ました。でね。それでゲストで歌を披露した飯国優子(いぐにゆうこ)さんという方の歌声がめちゃくちゃキレイで、本を読みながら番組を聞いてただけだったんですけど、その歌声に惹き込まれてしまって、しばらく画面に釘付けになって聞き入ってしまってました。
「森」という歌を歌っていましたが、私、ぜひともこのCDがほしいと思ってしまいました。会場でもおっしゃっていましたが、どうやらサイトを持っているらしいということで、ぐぐってみました。→「飯国優子の部屋」
そちらのサイトで森のMP3を公開していらっしゃるので、ぜひ聴いてみてください。ゾクゾクするくらいにキレイな声なんですよ〜。(><)

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これはまあ私の優先事項の選びそこないなんだとは思うんですが、なかなか中島さんの日記が読み進められてません。(^^;
今のところ10日で止まっています。というのもね、読んでいくうちにいろいろ中島さん発言で「そうそう、そうなのよねえ」ということが出てきてしまって、それにからめての私の思いというのを書きたくなるわけなんですよ。そうするとけっこうまとまった時間がいるんで、とりあえずはいったん置いておくってことになってしまう。そうすると、どんどん次が進んでいくわけで。なにせ、中島さんはこの4年間ただの一度も日記が更新されなかったことがないという人ですので(しかも、これからサイトが続く限り、ネットの環境が繋げなくならない限り、恐らくネタがなくて書けないという日はないという人ですので)読むのを滞っていると追いつけなくなるわけなんですよ。
うーむ。こっちが忙しくてしばらく読まないでいると、あっちゅーまにおいてけぼりを食ってしまう。
まあ、中島さんの日記は私的には大好きなんで、やっぱね、ついじっくり読みたいよなあ、いろいろ考えたいよなあと思ってしまうから、そうなってしまうんですけど。だったら、なるたけ一日も欠かさず読むようにしなくちゃなーと思うんですけど、中島さんの日記読んじゃうとそれについて書きたくなって結局長文になってしまうわけで。けれど、日によっては、ほかのことで長文日記を書きたくなることもあるわけですから、それを一緒に書くわけにはいかないわけですよねえ。いくら私は長文でいくわよ〜と豪語していてもですね、やっぱ、あまりに長くて読む気が失せるという方もおられると思うし。しかも、私の書く長文っていったら、たいがいの人は関心ないようなことだと思うしね。(そんなことないよって?)

でまあ、またしても前置きが長くなったんだけど。

その中島さん日記の10日にこんなことが書かれていました。

『たとえ1日に1時間しゃべったらそれで100万円くれる、ひと月に3,4日きのうのような1日を過ごしたらそれで生活できてしまう、そのかわりに「小説を書くのは禁ずる」といわれるとしたら、私はたぶんただの1秒と考えるひまもなく速攻で断ると思います。まったく考える余地はない。』 by 中島梓

これはまあ、講演業は自分には向いてないっていうことや、芝居はやるけれど映画はやらないということから出てきた言葉なんですが。
中島さんは講演業に向いてないということでこう言ってます。

『結局私は「人当たり」する人だし、一瞬出ていって空中に消えてゆくことば、というものより、紙に書き留められて記録に残ることば、というものが好きなんですね。』 by 中島梓

中島さんは、講演の依頼がきた場合、芝居の稽古とかが入ってたら稽古はやめにするだろうけれど、もしこれが小説のクライマックスを書いている時だったとしたら、激怒してしまうだろうって言ってます。
で、それは別に芝居のほうを軽く思っているわけではないと言います。

『私のなかの芝居している人間は小説書いている人間よりずっと「普通の人」だから、というだけのことなんですが。』 by 中島梓

↑を読んで思ったんですが。
中島さんにとって芝居も小説を書くのと同じくらい好きなはずなんですよ。
ただ、芝居をしてる中島さん、小説を書いている栗本さんが、間違いなく別人格であるというのが↑に書かれていること読んだときに納得できると思うのです。まあ、それでも眉唾だと思う人は思うんでしょうけど。

中島さんは普通人。
栗本さんは特別な人。

そんな感じかな、少なくとも私にとってはね。
だから、前にも書いたと思うけど、中島さんには共感と親しみを感じ、栗本さんには尊敬と畏怖と恋心を感じているわけです。(笑)

中島さんはこう言ってます。

『私のことを知りたかったら、私の講演なんかきかないで、私の本を読み、公演を見に来て下さい。そのほうがずっといいもの売ってますよ』 by 中島梓

はい、その通りですね。つーか、公演はなかなか行けないんですが〜。(ρ_;)
中島さんの公演とガクトさんのライヴは、今の私にとっては一番行きたいとこの二つかなあと思う。
本当にいつか行けるのだろうか。(´ヘ`;)

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そうだったのか 10:30

トリッチ・トラッチ: 判官びいきの奥にあるもの(リンク切れ)

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判官贔屓については、旦那の講義では義経のことが上げられたわけだが、元々は三国志の劉備さんのことから発展したわけだ。
フラチな日記で書いたように中国人さんがゲームで劉備さんになってゲームすると言ったことからそういう話になったわけであるけれど。

あたしのメル友さんのお母様は「判官=浅野内匠頭」だと思っていたそうで、友達は「微妙にズレてる」と言ってた。うん、義経や劉備は似てるなあと思っても、確かにそれは違うよなあなんて今ならそう思えるかな、さすがのあたしも。(爆)

義経と言う人は身内に恵まれない気の毒な人生だったなぁとは思うが、立派な軍人である。彼の身に降りかかる不幸は、彼自身が引き起こしているのではなく(兄に疎まれるなんてのは間接的にはそうかもしれないけど)抗えない宿命のように感じる。そのような不遇の中でも健気に精進しているところがますます憐れみの情を呼び起こすのかもしれないけど。

ゆっけさんがこう書いているように、義経は才能ある人間であり、そして、劉備にしたって才能のある人間であるに違いない。
まあ、だからといって浅野内匠頭が才能のない人間とは言えないのだけれど、浅野内匠頭は部下に恵まれなかったわけじゃなかったよね。
そう言うと、じゃあ劉備の周りはボンクラばかりかと言ったら、それは確かに違うんだけど、だんな曰く「劉備は子供に恵まれなかった」と言っていた。

あたしは三国志を読んでないので詳しいことは知らないけれど、一時期人形劇の三国志を見てたことがある、半ば強制的に。(笑)
というのも、旦那が三国志が好きだからということで、当時TVでやってた人形劇も見たいから録画しろと言われたからだ。で、それを一緒に見てたから。
けど、最後まで見なかったな。阿斗(あと)という幼い息子が出てくるところくらいまでは見たかな。だから、阿斗がどんなことしでかしたかは知らない。

メル友さんも言ってたが、「三顧の礼」というのも知らなかった。(^^;
けれど、厳密に言うと言葉自体は聞いたことはあった。
それに意味のほうも別のところから知識として持っていた。ただ、この二つが繋がっているというのは知らなかったわけで。(^^;
いや、たぶん、三顧の礼というのはこれこれこういうことでという知識はどっかで取り入れたけれど、頭の中でそれが分解してしまったのが真実じゃあないかと思っている。

前置きが長くなったが。(えっ、前置きだったの?^^;)

私はこういう人よりも、もっと救いようの無い馬鹿の肩を持ってしまう。子どものころはどちらかと言うと弱いものいじめをするタイプだったように思う。ドジで間抜けで頭の悪い子をからかったりしていた、いやなガキだった。

あたしが一番取り上げたかったのは↑だ。
あたしもゆっけさんと同じような子供だったんだよね。
今思うと、ほんとに自分ってなんてイヤなガキだったんだと自己嫌悪しまくりなんだけど。

それがどういうわけか、思春期を越した頃から、そういうことにすごく嫌悪感を覚えるようになった。良心の呵責かもしれないけど。たぶん、ドジで馬鹿で間抜けな人が疎ましかったのは、自分もそうだから・・・。

けれど、↑の文章を見て、ああそうだったのか───と思ったよ。

自分もそうだったから・・・

それだったんだなあって。
そうなんだよね。
あたしも母親にいつも叱られてた。ちゃんと頼まれたことができないって。
それでドジでマヌケ(なカメ^^;)で、なんであたしってこんなにトンマなんだろうって思っていた。
たぶん、そのウップンを外で晴らしていたのかなあって。

ゆっけさんのこの文章見て、ちょっとだけ救われたよ。
ありがとう。(^^)

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こんばんは、トラバありがとうございます。
そうなんです、けっして優しいいい子じゃなかったんです、私は。
今でも意地悪ですが(笑)
私の場合うっぷんを晴らしていたというより、なんかイラつくというか自分が投影されてやりきれなくなるんでしょうね。
自分はやってるくせに人がやると腹がたったりして。<からかい
だから、いじめとかやる子どもは、自分と同じ気持ちじゃないかと思ったりもするんです。
大人になってもやってるのを見ると、しょうがない人だなあって呆れちゃいますけど。

posted by ゆっけ | 2004/09/27 12:25 AM |

ゆっけさん、どもです〜♪

はい、あたしも優しくもないしいい子でもなかったです。
あたしはわがままで目立ちたがり屋だったですねえ。
人ができることが悔しくて。
けれど「やる!」とも言えず。
それは失敗したら嫌だからで。
だから、裏でこっそり特訓したりして。(^^;
それがちゃんと認められないと腹が立ったり。

私の場合、幸せだったのは、周りの大人も子供たちも評価してくれたことですね。
ただ、やはり全ての人が同じ評価をしてくれるわけではなく、中には決して「いい」とは言ってくれない人もいるわけで。
子供にはそういうのは理解できない。
こんなに努力したのになぜ認めてくれないのかが理解できない。

最近までけっこうそういうところがありました。
というか、まだちょっとそういう愚かなとこがあるかな。
でも、昔よりは荒れなくなったのが救いかなあと思ってます。

たぶん、ほとんどの人が今の私のことも「しょうがない人だなあ」と、あきれてると思いますよ。(苦笑)
でも苛めはしてないですけどね。
そんな暇ないですもん。
…暇だったらやるんかいっという突っ込みはなしです。(爆)
posted by 天慈 | 2004/09/27 8:54 AM |


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