2004/7/5(月) 暑いんだけどね〜夏だからね〜(−−;
以前日記でも書いたと思うけど、郷土の新聞でも眉村卓さんの連載をしていたことがあるんですね。 ガンと闘う妻を励ますためのショート。で、そのときも、これが本になったら通して読みたいよなあと書いた覚えがあるんですが、このたびやっぱり本になったそうですね。といっても、書いたもの全てを本にしたわけではないらしい。 「美談の闘病記にはしたくなかった」という眉村さん。 タイトルは「妻に捧げた1778話」だそうです。 この本を紹介している新聞記事に書かれていたことを読んで思ったんですが。 眉村さんと奥さんは眉村さんが就職して2年後に結婚されたそうですが、小説家として独立するために仕事を辞めたそうです。その後押しをしてくれたのが奥さんだったそうで、眉村さんが小説を書いていると機嫌をよくしていたということ。 それを読んで、何となくなんだけど、私と旦那にもなんか当てはまるかなあと思った。 私の場合、仕事を辞めた理由の一つに、作家になりたいなあという気持ちがあったことは確かです。そのときはね。 今はその気持ちも少し違うかもという気持ちがないではないですが、それでも「書き続けたい」という気持ちだけは、以前よりもっともっと強くなってきているんですよねえ。 旦那は強くは言いませんけれど、ときたまふっとしたときに「本当に作家になる気があるのか」とボソッと言うことがあります。 昨日もババさまを交えて話していたことでもあるんですが、彼は家庭の都合で自分の夢を潰された経験があり、そういうこともあって、昔、4人兄弟の末っ子が「大学に行きたい」というのを全面的に賛成し、手助けもしてやると言い切ったことがありました。 自分が夢を叶えられなかった悔しさを、弟には味わわせたくないという気持ちがあったからです。 そういうこともあり、彼は私が「作家になりたい」と聞くと、その夢を反対しようとはしませんでした。 けれど、夢を見続けるのは死ぬまで見てもいいとはいえ、果たして私はこのままで本当にいいのだろうかという気持ちも出てきています。 眉村さんは作家になって本を出し、それが売れていったからこそ「眉村卓」という有名人になったわけです。 才能とかそういうものって、文章がうまいからとか、いい作品を書けるからとか、そういうことだけじゃなく、本を出すことができる機会が与えられるということも才能っていえるんじゃないでしょうかねえ。 ちょっと話はズレてしまいましたが。 眉村さん、こう言われてました。
内面を隠して書くということは物書きにとっては非常につらいことです。 表現者であるからこそ、全てを露にして書き綴りたいと思うのが本当の物書きであると私は思っているので、眉村さんが当時重圧を感じていたことは手にとるように私にはわかりますもの。 けれど、眉村さんは自分を救うためではなく、あくまで奥さんの心を救うために、それだけのために物語を書き綴っていったわけです。 眉村さんは言います。
それでも、私は内面告白タイプの小説をこれからも書き続けていくでしょう。 でも、私だって眉村さんの言われることはわかっているのです。 人を幸せにする小説とは、夢いっぱい、愛いっぱいなものでないといけないと。 ドロドロの内面告白型小説でも救われる人は救われますが、それは他人よりも書いた人自身を救うことのほうが多いと思います。 楽しく気楽に書くことが一番の願いである私ではあるけれど、どうなんだろう。 内面ではつらくてつらくてしかたなくて、普通ならそれをそのまま創作にぶつけて発散するんだけど、それを抑えて楽しく夢のある物語を道化人になって書いた作品と、心から楽しんで夢や愛を謳歌した物語を書いた人の作品と、そのどちらがエンターテイメントとして良質であるか───む、比べること自体が無駄なことかもしれないな。 どちらがいいかって、そりゃもう読んだ人の好き好きだものねえ。 ほんと、この世界は数学のように割り切れる答えが出るわけじゃない。 考えれば考えるほど、言葉の迷宮にはまり込む気がする。 なんも考えずに物語を紡ぐほうが、一番いいのかもしれないな。 ++++++++++++++++++++++++ とまあ、そういうことで身辺整理の第一弾(爆)、TOPはジオ一本でやってくことにしました。 日記を二重にUPしてたんですが、そういう手間をはぶきたくなったわけです。 ただサーバーは容量が無制限だったんで痛いなあとは思ったんですが、もしかしたらそのうち有料で借りることになるかもしれないし……とりあえずは昔みたいにジオでやってくことにします。 ただサーバーでリンク張っておられる方はアドレス変更願います。 とりあえず、本日分の日記だけはただサーバーでも上げておきますが、明日からはただサーバーでは日記は更新しませんので。よろしくお願いいたしますね。 |