2004/06/23(水) いい天気です、しかもやっぱり暑いです〜(><)いやーん。
いつも読ませてもらっているとあるお二方の日記が、内容は違えども何となく「書く」ということに共通したものだった。だから、いろいろ物思ったことを書こうかな。 読書感想文。 私は得意でした。でも、前にも書いたと思うけれど、得意だからといって評価がよかったわけじゃないんですよね。小学生の時なんか、今でもまだ当時の原稿持っていますけれど、同じ年の頃の息子と比べたらまだマシという程度でありました。それに、文章でほめられたという覚えが私にはないですしね。 本だって中学に行くまではほとんど読んだ記憶がないんですよ。漫画はいっぱい読んでたですけど。 そんな中で、読書感想文で佳作だとかいうものをもらったのは中学1年の時だったかな。あれもね、校内で何人か佳作が選ばれて、その中から一番優秀なのを県だかなんだかのコンクールに出すっていうのだったみたいだけど、当然私のは選ばれませんでした。大勢の中の一人って感じでした。 感想文って、確かに書き方っていうのはあるんだろうと思う。 私はやっぱり人とは違っていたいという気持ちが強いっていうこともあって、こんなふうに書くのよと言われるのが嫌みたい。 そのとおりに書けば、及第点はもらえるんだろうけれど、それに従うのに抵抗を感じてしまう。 それで認められなくても「私は私さ」とどこ吹く風としていられたらいいんだろうけど、まあ、私も人の子、人並みに認められたいという気持ちも出てきちゃって、それで精神的に荒れちゃったりするわけ。 数学とは違い、こういう国語系の評価っていうのは難しいよね。 評価する人によって180度変わってくるし。 それを体験したことある私には、ほんと「文学の世界って出会いと運だよなあ」って思うようになった。それが高校3年の時。 中学の時から私は小説を書き始めたわけだけど、それのおかげもあってか、わりと文章は他の人より書けていたと思う。 けれど、国語などの成績ってあまりよくなかった。テストの点がよくなかったというのもあるんだけど、漢字書き取りとかは得意で毎回ほとんど満点を取ってたのに、それでも成績はよくなかったな。 テストっていうのは、教師がマニュアル見つつ丸付けしてるわけでしょ。それの答えに外れてたら正解じゃないわけですよね。 私はどうやらマニュアル通りの答えをはじき出さなかったらしいんですよ。 まあ、読解力がなかったといえばそれまでなんだけど、なんだかなーとは思いました。 で、当時の国語担当の先生はとにかく作文書かせるのが好きで、毎回のように生徒に書かせていた。書くことが好きな私でも辟易したものだった。だって、10分とか時間を決められてその時間以内に書けっていうやつなんだもん。時間内に書けなくても、書いて来いっていうのがなかったのは助かったけれどね。でも、そのせいで、途中までの原稿がいっぱい残ってる。まったく、ちゃんと書き上げてればよかったよとそう思った。 まあ、子供の頃はね、言われなくちゃしないもんだし(それは私だけ?)、しかたないっちゃしかたないんだけどね。 んで。その頃の原稿にその先生の一言評価が載ってたんだけど、その中で「文章は上手だが、何が言いたいのかわからない」と添えてあるのがあった。 あははは〜、それは今も変わらないよなあって思ったけど。 何というか、私って「夢見る少女」だったわけですよ。だから、客観的に物事を見たり考えたりできないわけで。 そんなわけだから、感想文っていっても、やっぱり大幅に内容からそれてしまって自分の世界に入り込んでしまってるわけなんですよね。 私は、一つのキーワードでいろんなことを思い出したりして、まるで連想ゲームのように話を広げていくのが好きなんです。 だから、間違っても私は評論家にはなれないなあと思いますね。垂れ流しの文章は大得意なんですが。(爆) そうそう。逆に旦那なんかはめちゃめちゃ国語の成績よかったですよ。けど小説は書けない。 だから、国語が抜群にいいからって小説で成功するかっていったら違うんだと思う。けれど、旦那なんかは小説を読んでその批評とかはけっこう鋭いとこ突いてたりするんだよね。 で、話元に戻って。高校に入ってからも国語の教師にはあまり認めてもらえなかったな。やっぱり点数もよくなかったし、ほめられた記憶もない。 けれど、これが3年の時に、ある若い教師に出会って花開いた。(笑) って言っても、その教師だけが認めてくれたというだけで、やっぱり大きく前進するってことできなかったんだけど。 当時27歳だったその先生は、なんでか私が書くもの全てを手放しでほめちぎってくれた。 今でも覚えてるけど、夏休みの読書感想文で「蟹工船」を書いたんだけど、ある日の授業でね、先生ったら教室に入ってきていきなり私の感想文を生徒の前で読み出したのよ。 で、やたらと素晴らしい素晴らしいって言ってくれたのよね。どうしてあの先生がそこまで私に入れ込んでくれたのか不思議だったんだけど、あれから思うに、私の書くものってごく一部のマニアに受けるという類なんだろうなあって、そう思うようになったんだよね。 特に、このネットで物を書くようになって、それをひしひしと感じてる。 まあね、人と違っていたいという自分なんだから、それはそれでいいんだろうけど。でもまあ、なかなか人間ができないもんだから、つい全ての人に好かれたいよなあなんて思ってしまうこともまた正直な気持ちではある。そんなこと無理だってわかっててもね。 でもま、それをちょっとは望んだとしても、私はやっぱり「人とは違っていたい」と思うわけだから、何とか自分の心と折り合いつけて、好きに文章を紡いでいくだけです。 ていうかね〜、その「蟹工船」の感想文。うちの母も、当時「よく書けてる」って鼻高々で、自分の友達なんかに「見て見て」と見せびらかして、挙句の果てに読みたいという人に貸したまま戻ってこずに結局紛失しちゃったのよ。母様〜たのみますわ、ほんと。(ーー;) でまあ、その「書く」ってことでもうひとつの話題。 これも前に書いたと思うけれど、私もね、自分がこうやって日記とかで書いている内容見られて、他人に「あなたはこんな人なんだ」と決め付けられるのって、不本意ではあるんですよね。 ただまあ、この方も言われてるように、私も今はもうこの日記を誰かが読んで「天慈さんってこんな人なんだな」と思われるのも別にいっか〜と思えるようになりました。 というか、確かに「こんな人」だもん。(笑) 私は嘘は書いてないし、人さまよりかなり正直な自分の気持ちとか書いていると思います。 だから、この日記だけを読んで「こんな人なんだ」と思われても、それはそれで確かにその通りと言うしかない。 で、もっと私のこと深く知りたい、忌憚ない胸のうちを聞きたいというなら、メエルとかで密に話しゃあいいわけで。そこからだと思うんですよ、「ああ、日記の天慈さんもだけど、こんな考え方も持ってるんだな」と別の私を発見してくれて、それでどんどん私の真実の姿っていうものを知ってもらうのもね。 まあ、いい人ってわけじゃない私なんで、真実の姿もあまり心安く人さまに見せれるってわけじゃないんですけどねえ。(^^;;; 自分で言うのも何ですが、他人の神経を逆なでする書き方も感動させる書き方も心得ているところがあるので、わかる人には「なんて傲慢な人なんだ」と思われたりしてるんじゃないかと邪推しておりますです、はい。(^^;;; 本来ならね、そういう書き方っていうのは小説でやりゃあいいんですよ、うん。 けれど、ついつい私ってどんなものでもネタ的な書き方しなくちゃ気がすまないところがあるんです。 事実をつらつらと書き連ねるだけは、やっぱ「なんかつまんない」と思ってしまう。 私もね、これ前に書いたと思うけど、自分が読み返したくなる日記を書いているわけです。たまに自分の日記を読み返すと「なんておもしれ〜んだ〜」と、ナルシー丸出しで自分の日記をほめ称えてますもん。わはは。 なんというか───どんなに気をつけて書いてもね、相手次第でそれは善にも悪にも変わりうる。だったら、自分なりに「これでいい」と模索しながら書いていくしかないんだと思うんですよ。 「この人嫌いだなあ、書くものもなんかイヤ」と誰かに思われても、必ずその逆の「天慈さんって好きだー書いてるものもなんかいい!」と言ってくれる人もいるわけで。 全ての人に受け入れられたいという気持ちを捨て去らない限り、私はこれからも人間関係のトラブルは起こし続けるだろうと思う。だから、その気持ちを捨てなくちゃね。 今までもね、何度もね、そうやって「もう気にしない」と宣言しつつも、やっぱり荒れてしまった私です。 そして、それを「またか、いいかげんにしろ」と思ってる人もいるかと思う。 ただ、何となくこれからは大丈夫なような気がしてますよ。(^^) +++++++++++++++++++++++++++ あーちゃんが掲示板でこう言ってた。
それ読んで思った。 あたしが一番嫌なのはね。 自分だって完璧じゃない、完璧な人なんていないもんだよと言いつつ、他人に説教垂れる人。(^^;あうう、ヤバイかも?(爆) そうだな。 以前のあたしもそういう傾向はあったかもしれない。 説教している自覚はなかったけれど、他人にとってはそう聞こえる場合もあるしね。 てか。 うちの旦那さんはモロそういう人なんだよね、実はね。 説教は垂れるわ、ウンチクはクドクドだわ、えっらそーなことばっかり言うけれど、ヤツも完璧じゃないんだもんな〜。(笑) けど、一緒にいたいと思う。それはなぜか。 うん。 今これ書いてて思ったんだけど。 たぶん、人によりけり、言い方にによりけりなのかもしれない。 たとえ説教垂れてても相手によっては許せないときもあれば、真摯な態度で聞ける場合もあるってこと。そういうことなのかなと思ったり。 真摯に言葉を受け止めてもらえるそんな人、あなたは自分自身をそういう人であると思いますか? まあね、全ての人に対してそうあれるはずがない。 ただ、自分が「この人には受けてとめてもらいたい」と思ったら、受け止めてもらえるよう努力はしなくちゃダメなのかなあって思います。 私も頑張ろっと。e(^。^)g …とりあえず、ガクトさんに受け止めてもらうために、腹筋だー。(爆) +++++++++++++++++++++++++++ 朝に100回、昼に100回、夜に100回、寝る前に100回すれば一日400回腹筋したことになるよね、うん、確かにそうだよね、ガクトさん!(−−; いや〜確かに腹筋しなくちゃな、あたしもね。 うん、わかった、あたしもやるよ。え? 一日400回?? まさか。( ̄▽ ̄) まず最初は50回からです。天慈さん、がんばります。ガクトさんにゃ負けられまへん。(いや、すでに回数で負けてるし〜) それとガクトさん。 えーとね〜。あなたがいくらそう言ってもね〜。やーっぱり梅雨はイヤです、あたしは。(`´メ) ガクトさんも古傷いっぱいあるから、梅雨の季節はあちこち痛くて大変でしょ。まあ、ガクトさんは痛みに鈍感らしいので(ああ、悪い意味じゃないですよ?まったく、何言い訳してんだ天慈さんってば)「これも修行じゃあああ!!!」と思って痛みなんかなんのそのってなってるんでしょーがねっ。ダメですよ、あたしは痛みにめっぽう弱いんすからっ。 どーせ「気合が足らん!」とか言うんでしょうけれど。(決め付け) |