2004/06/22(火)台風一家(一過)でいい天気〜♪


またまたやっちまいました。
ゴミ出し忘れちゃいました。(^^;;;
今朝は、とにかくリカバリCDを作成しなくちゃと思ったので、旦那が出勤する前にゲクトの電源をつけて作業をおっぱじめたんですよね。
これがけっこう時間食っちゃって。で、すーっかりゴミ出しを忘れてしまってたという。あう〜。(T-T)

そういえば、昨日はPTAの学年部さんから電話がありました。いつだったっけ、今度茶話会があるそうで、それに出席するかどうかってことだったんだけど。んで、手紙が来てたはずだというんだけど───覚えがない。。。いや、もしかしたらもらったかもしれないけれど、そのままにしてたかもしれない。(マテ)
結局は「欠席します」なんだけどね。。。なんかもうすでに投げやりになってます。小学校のときはそれでも最初だけは出ようと思ってたけれど、今はもうすべてにPTA関連は考えたくもないし協力も……正直な気持ちしたくないという感じです。足を引っ張るようなことはするつもりないですけれど、人数がいないからという理由で役員をさせられるのだけはカンベンしてほしい。私は基本的にPTA活動には懐疑的なんですから。必要だと思う人がやればいいというそういう考えです。猫も杓子もPTAは必要だ、それがキチンと活動してなければ子供がかわいそうだ、子供がグレてしまうという考えを───まあ、皆さんが持っているかどうかはただの推測なんですが、どうしても興味持てない人間まで巻き込まないでほしい。ええ、ワガママだってわかってますけれどね。
む…でも、ババさまの情報によれば、次は絶対にしてもらわなあかんということだそうですが。ただまあ、私の性質というのはみなさんご存知のようで、さりげなくババさまに「お嫁さんの手に余るようでしたら、お義母さんが代わりに…」なんていう打診が来たそうです。はははは……ババさまさまですかね。
これはね、やっぱりね、執筆がんばって、少しは成果を上げて見せねばなりませんな、と思ってしまいました。

そういえば、お友達が、ガクトさんが言ってた「本気になってもいない内からあきらめるなんて言うな」という言葉で、あきらめるということについての自分の考えっていうのを教えてくれましたよ。

他の人が野望達成のためにしているのに、私は
「あきらめるときの言い訳のために」なのです。
あれだけ努力してダメだったんだから、無理だったんだよ私には。
…その台詞を言うためには命を削る気で努力しないと
いけないんですけどね!アハ☆

つまり、彼女はあきらめるときのために努力しているということで、達成するために努力をしているわけじゃないということ。
これはまあ、自分には「無理だな、これは」という気持ちがあるわけなんだけど、それでもウダウダとあきらめ切れなくてダラダラ夢を追い求めてるんじゃなく、スッパリとあきらめるために「これでいいんだ!」という自分の中の限界にまで挑戦するってことですよね。
まあね、これってね、万が一にも無理だと思っていたものが花開く場合もあったりするんで、別に彼女が言ってたように「歪んだベクトル」っていうわけじゃなく、野望達成のために努力している人たちと何ら変わりはないと思うのです。あきらめるための努力=野望だと思うんで。

でまあ、私の場合もね。

小説を書いて投稿して賞をとるっていうことは、もちろん根底には公で物書く人になりたいっていうのがあるんですが、執筆をするために主婦がやらなくちゃいけないものを免除してもらいたいなあという姑息な気持ちがあったりするんですよねえ。これが正直な気持ちかもしれない。
主婦をしたくないために作家になるっていうのも、また「歪んだベクトル」かもしれないなあって。
そういうことはないとは思うけれど、もし、もしも仮に私が中島さんのような売れっ子作家になった場合、旦那は私のフォローに回ればいいわけで。実際、旦那はそういう私のバックアップが性に合ってるような気がするし。(ようするにマネージャーですよね)といっても、鬼マネージャーになりそうなんですが。(^^;;;

それにしても、ほんと、やっぱ普通の主婦は私には合わないよなあって思います。とにかく、あの雰囲気が大嫌い。
しかしなあ、親になったんだからなあと思ったら、それもいかんのだろうとは思うけれど。。。そういうのもあって、私は一人しか子供は産まなかったわけですし。子供を産むことは人間として、というか動物としては当たり前のことだし(お断り:決して子供を産まない人を人間として当たり前のことをしていないとは言ってませんからね)、話に聞けば産まないといろいろ婦人科系の病気になりやすいっていうし……ただ、子供にまつわる諸々のことが私は嫌いだってことなんですよね。
こういう親に対しては、きっと世間の風は冷たいんでしょうけれどねえ。

そうそう。

そのあきらめるってことで、他のお友達がこんなこと言ってました。

『諦めちゃいけない事もあるけれど、縛られて次に歩を進められない事なら切り捨ててしまう潔さも時には必要だと思います。』

ほんとにそうだよなあ。

その人は『迷うからこそ成長できるのが人です。岐路に立つことが多ければ多いほど、取捨選択の際の潔さや判断力、自由の幅が広がるのではないでしょうか。』とも言ってました。
やはり人間、迷うような場面に出くわすことは悪いことじゃないんだなあって思いました。
けど、迷ってばかりの私なんで、正直言うとほんとは迷う場面は嫌なんですけどね。
ま、これもいやだいやだと思ってても、やってきちまうもんですからして。。。はぁぁぁ…なんとかこの3年、逃げ切れたらいいなあと思うんですが。
悪い親でいるつもりはないけれど、自分を殺してまでいい親なんてしたくない天慈です。
息子のことは全力で守ってやるつもりですが、他人の子供まで守る余裕ないです。それはその親がやるべきでしょ。だから、私はPTAっていうのは嫌いなんですよ───って思ってるんですけどねえ。いけませんかねえ?


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