2004/5/25日(火)半袖着て外に出てみました、それくらいい〜い天気です。けど〜、日焼けしちゃったらヤだよなあ
今日はいつものスーパーじゃなく、パティオに行ってきました。 ババさまや旦那はパティオより福山(噂)マンション近くのスーパー(つまり境駅裏のターミナル店のことですが)のほうが品揃えがあっていいと言うけれど、それはパティオの食料品売り場の品物の並び方がヘンで、それで見にくいからなんだよね。私はけっこうパティオのほうが品揃えあっていいな〜と思うんだけどね。というか、この二つの食料品売り場のテナント(っていうのかな)は同じとこなんだけど。(^^; その前に市役所近くの本屋さんに行ったんだけど、まだuvは来てなかった。その代わり月刊ピアノの6月号が来てたのでゲットしました。 平井さんの「瞳をとじて」や宇多田ちゃんの「誰かの願いが叶うころ」やラルクの「瞳の住人」などの楽譜が入っててウハウハでした。(爆) そんなわけで、市役所方面に行くときに通る畑道の右側に広がる畑の向こうに、平行して同じような畑道が走ってるんだけど、その道を今日はバイクを押して歩いてる男性がいました。ちょっと遠かったんで、若いのか中年なのかよくわからなかったけど、ガス欠にでもなったのかなあ。思わずチャリコロ走らせつつ「がんばれ〜」と心でエール送ってました。(爆) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 他人に執着できないのは哀しいと、執着しない自分を嘆く人がいる。 その人が本当にそう思っているのかはわからない。 けれど、執着しすぎるのもまたトラブルの元だと思うので、どちらがいいか悪いかなんて誰にも決められないんだろうね。 執着──私は執着してしまう人なんだけど、なんで執着しちゃうんだろうなあ。 その気持ちっていうのは、自分じゃどうしようもないんだよね。 まあ、それ言ったら、執着できない人も「なんで執着できないんだ」と地団太踏んでるかもしれないし。 なかなかうまく行きませんな。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ またまた天慈がツボにはまった文章ご紹介。
私もそうだ。 生きるということは私にとって苦痛でしかない。 もちろん、苦痛だけではないけれど。快楽だってあるはずだけど。 けれど、その苦痛を耐えるための快楽であったとしても、苦痛は快楽がある限り苦痛として感じてしまうものではないだろうか。 よく、苦しいことがあるから喜びが喜びと感じられるんだよと言うけど、私は天邪鬼なので、その逆を考えてしまう。 喜びがあるから苦痛を苦痛として感じてしまうのだと。 苦痛という感情しか感じられなかったとしたら、苦痛は苦痛として認識しなくなるんじゃないかと思う。 DVや虐待を受けた人間が、逃げられる状況になっても逃げられないというのも、もう神経が麻痺してしまっているからなんでしょ? それは痛みをずっと感じ続けてるから、だから神経が麻痺してしまって痛みが痛みと感じられなくなるってことかなあって。 ただ、それはいい状態じゃないんだろうね。 だから、やっぱり私は苦痛から逃れたいと思う。 逃れられるところまで逃れたいと。 けれど、飛鳥の言う「苦痛から逃れるより大切なもの」って、私はなんだろう。 たぶん、これだということは何となく予想はついてるけどね。
自分の目的だけに。 誰かに強いられたわけでなく。 自分の意志で。 そうなのかもしれない。 世界のために、とか、誰かのためにという気持ちを決して否定するわけじゃないけれど、けれど、私はやっぱりまず「自分」を大切にするところから始めなくては、誰も救うことはできないと思う。まず自分を救わなければ。 「世界なんてどうでもいい」と言い切れる強さを持ちたいなあと思った。
何となくわかったよ。 キミがそうであること。 私が好かれる理由。 そして、私もそうだよ。 自分がしたいからやってる。 ただそれだけなんだということ。 それを忘れなければ、淋しがることなんかない。 それを忘れなければ、誰も私を必要としてないと嘆くこともない。 私は必要とされてるんだ。 私は誰かの心に確実に残るんだ。 それは、私がしたいことをしたいようにしてきたから。 その姿を嫌悪する者もいるだろうけれど、たまらなく好きに思ってくれる人もいるんだと。 好きになってくれる人を抱きしめよう。 ううん、もう抱きしめてるよ。 ……なんてったって、抱きしめるの大好き天慈さんだからね。(笑) 天慈さんに抱きしめられたい人、よっといで。(^^) +++++++++++++++++++++++++++++ いわゆる「結果を残して大切な人に届ける」ですかな?(笑) ********************* ガクトさんのフラチオHPが更新されてたので読みに行ったんだけど、それに書かれていたことを見てまたしても「おや、シンクロ?」と思いました。(笑) 去年は弁護士になりたい女の子に「集中力をつけたい」と言われ、それに対してガクトさんはアドバイスしてたわけなんだけど、その「集中力」のことをまたこの間ラヂヲで喋ってたみたいだね。 今回のは、頑張ってるのにいいことがないという人のことを「間が悪い」と言っていたのだけど、その「間が悪い」っていうのが、「集中しなくてはいけないときに集中してない」ということらしい。要するに、ガクトさん曰く『集中力がないという人は、集中力がないわけではなくて、集中するポイントを間違えているんだよね…。』とのこと。 ふむ…つまりこうか。 ここぞというときに一生懸命頑張り、力抜く所は抜くってことかな。 そういや、無駄なこと大嫌いな旦那さんによく言われるんだけど(爆)、「お前は、優先事項の選択が間違ってる」と。ということは、私も集中するポイントを間違えてるのかもしれないね。 私は今何をやるべきか──それをよくよく考えて、無駄なところに集中するんじゃなく、ここぞというところで集中しなくちゃならんよな〜と思ったよ、うん。 それにしても去年のガクトさんの言葉『結果を残さないと意味ない』は、妙に今の私にシンクロしちゃいました。結果──残さなくちゃなあ。待ってる人たちのためにも。。。もっとも、もう待ってないかもしれないけれどね。(^^; |