2004/5/24(月)暑いようだけど、朝や夕方はそんなに暑くない晴れでした


今日は銀行に行く用事もあるし、ちょっとツタヤさんにも行きたいしと昼からチャリコロで出かけた。

すると、ちょうど「はまるーぷバス」がやってきて、ババさまの団地のところの道路わきに止まった。時間的にもしかして〜と思ったら、やっぱり仕事から帰ってきたババさまがバスから降りてきて「どこ行くだ?」と聞いてきた。「銀行とツタヤの本屋さんに」と言ったら「帽子かぶりゃ〜ええに」と言われ「や〜忘れた〜」と言ったのだけど、実は忘れたわけではない。(爆)
天気がすごくいいから、確かに帽子はかぶったほうがいいとは思ったんだけど、風もけっこうあって困るんだよね、帽子が飛んじゃって。たぶん、そのこと言ったら「帽子にヒモつけりゃいいがな」と言われるに決まってるので、言いたくない。(^^;

ヤだもん、帽子にヒモつけるの、ダサくて。(><)

だから、普段はしないお化粧もちゃんとして出てきたのにさ。
ツタヤさんには、Uvを買おうと思って行ったんだけど、あとで気づいたこと。Uvは24日発売だったよ。しまったよ。発売当日に手に入るわけないじゃん。は〜、ツタヤさんに行くのって、けっこう決死の覚悟がないと行けないんだよね、今の時期は。(^^;
途中の歩道に植わった青々と茂った木々が怖いの〜。何かが上から落ちてきそうで。(><)
だから、冬にあそこを通るのは何ともないんだけど、この季節は通りたくないのであーる。

結局、ツタヤさんには何の収穫もなく、いつものように福山(噂)マンション近くのスーパーで買い物して帰路に着いた。それからガシガシと連載小説第17回目を書き上げたところで息子が帰ってきた。
え? なんで? どうやら中間テストが近いらしく(まだなのか?)部活が停止になってるということ。それと今日は5時限でおしまいだったんだって。
そういや、今朝は息子くんに「たまにはパン注(パン注文)してみたいから、弁当はいい」と言われ、それでもパンだけじゃ足りんだろうとオニギリを二個持たせたが、やっぱり「腹減って、オニギリ食べた」と言っていた。聞けば注文したパンは一個だけ。そりゃー腹も減るわな。この育ち盛りがパン一個で足りるかいってんだ。やっぱ、お弁当持たせるがいいよねえ。てか。給食にしてくれるのがいいけどなあ。(諦めの悪い母)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ある人の日記を読んで思い出したことなんだけど。

この間、息子をケータイで写真に撮ろうとしたら、嫌がって顔を覆い隠そうとしたんだ。それはまあ前からそういうことはあったんで何も今驚くことはないんだけど、とにかく彼は写真に撮られることを嫌うんだよね。
私も自分が写真に撮られることは嫌いなんだけど、私と息子とでは理由が同じようでいてちょいと違うというのがミソ。(ミソ?)

私の場合は、今はもう写しても美人にもかわいくにも写らないから嫌なんだよね。まあ、ちょっと前までよりは痩せたんでだいぶ見栄えはよくなったんだけど(それでも最近またしてもちょっと体重が増えてきちゃった)、5年前の元旦の市報に写真が掲載されたときは、穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい思いをした。だって、写った顔がモロにパタリロなんだもん。(けど、しっかりその市報は残してる)

ということで、そのときに掲載していただいた文章をれっつら転載。


【夢が叶うことを願いながら】

1999年は私だけでなく、すべての人たちにとって特別な年だ。それは2000年という未知の年代に突入する前の年だからだ。
さて、私にとって今年は自分の干支であると同時に、結婚して10年目を迎えるという感慨深い年である。自分がこうして人並みに結婚をし、かわいい息子を授かることになろうとは、実はいまだに信じられない。文章を書くことしか能のない私が、10年も他人と一緒に暮らすことができるとは、昔の私だったら信じられなかったことだ。
私はこれからもずっと、夫や息子とともに平穏に暮らしていくことだろう。だがその反面、平穏とはかけ離れた生活を願ってもいる。
ウサギが飛び跳ねるように、今年こそは己の夢が叶うことを願いながら、文章にもっと磨きがかかるように頑張ることにしよう。(1999年1月1日)

もっと若い頃は、自分でもそんなにブサイクな顔ではないとは思っていた。人々には好みとかあるだろうから、私の顔が万人に受け入れられるとは思ってはいなかったけれど、それでも実際に、私の写真だけ見た友達の知り合いの男性とかが「かわいい」なんて言ってたという話を聞いたりすると、それなりに自惚れたりすることは否めなかった。
だから、きっと私はそんなにブサイクではないんだろうし、自分でも昔の写真の中では「お、これいいかも」と贔屓目だけでなく、客観的に見てもイケてる写真だってあったものだった。まあ、そういうのを選んで文通相手に送ったりしたこともあったんだよね。(^^;

けれど、決して私は自分の顔はタイプじゃない。

私の顔はどちらかというと派手な顔なんだけど、私の一番好きなタイプはのほほーんとした顔なのね。まあ、全体的にやさしい感じとでもいいましょうか、ようするにアクが強くない顔がタイプ。男性もそういうわけで、アクのない顔がタイプのはずなんだけど、なんでか好きになるのは派手な顔の人ばかりだ、ガクトさんとか、山崎務とか、嶋田久作とか、レナード・ニモイとか。(爆)

たぶん、顔で好きになるわけじゃないからなんだと思う。

で、息子なんですが、この子がまた父親母親に似て派手な顔。目が大きくクリッとして女の子もまっつぁおなくらいのクルクルカールなまつげ。私とリアルで逢った人ならわかるでしょうが、私のまつげよりもっとすごい量のまつげに、そして、マッチが何本も乗るくらいのカールなんだよね。
そうだな〜、どちらかというと、うちの息子はジャニーズ系の顔でしょうかね。たぶん。(笑)

その息子は自分の顔が嫌いらしい。

写真をなんで撮られたくないのと聞いたら「だって、ブサイクだから〜」と言う。最初それを聞いたとき、決してブサイクな顔じゃないのにそんなこと言うのは、もしかしたら誰かに「おまえ、ブサイク」と言われたのだろうか、すわっ、いじめかっ、と思ったのだけど、どうやらそうではなく「誰にも言われてないよ。僕はこの顔がブサイクだと思うんだ」と。そっか…自分の顔が嫌いなんだ、それでか〜。

まあね、自分の顔を心から好きになれる人ってなかなかいないとは思うけどね。
だけど、私は息子の顔は大好きなんで、もちろん、言ってやりましたよ。「お母さんは、お前の顔は大好きだな〜。一番かっこいーと思ってるよ」ぎゅーっと抱きしめながらね。(抱きしめるの大好き天慈さん)
しつこくしつこく「好きだな、お前の顔は。かっこいいな〜お前の顔は」と言うと、だんだんとテレテレしてくる息子が大好きでっす☆

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

本当の強さって何だろうね、と昨日は友達にメエルしたんだけど、またしてもシンクロっちゃった方がいたんだ。
最近、日記才人を通じて私の方から先に登録させていただいたある方の日記に「自分のダメなところも知っているというのが強い」ということが書かれていた。ふむ、それは確かにそうだなと思った。

そして、メエルした友達が言ってたことは。

巨木と草があるとする。
そのどちらも強いのだという考え。

友達曰く、

どっちもそれぞれの強さと弱さがありますよね。
大きな木は草みたいにひっこぬかれたりしないけど、
その代わりに台風の突風で折られちゃったりするじゃないですか。
強さがそのまま弱さに、弱さがそのまま強さになりえてしまうと思うのです。

で、友達は言った。

そのとき選び得る最良の手段を選べること、とか、弱さがそのまま強味になってしまうこと、とか、何もか全部飛び越えていってしまうしなやかさがある、とか、そういったこと。

強さと弱さは表裏一体。

納得。

強さも弱さも、「これがそうなのだ」という決め付けはできないということだね。様々な強さ弱さがある。それを認めていくこともまた強さの一つなのかなあって、そう思ったよ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

お友達のある人は「切なさのないものに惹き込まれない」と言ってたけれど、切なさってどういうものが切ないと言えるのだろう。

私も以前「あなたの書くものは切ない」と言われたことがある。

それは、たぶん、私が詩のような日記を書いていたところからそう言ってくれたのだろうと思う。そういう詩的な表現をしている日記というものは、好きな人はたまらなく好きなんだろうと思う。
だから、そういうのを主として書いていたライコス時代(天ちゃん日記じゃないとき)は、似たような日記作家さんが集まってきたものだった。今は切ないとは言えない日記を書いてるけどね。けれど、これは本来の天慈の日記スタイルだ。これがオリジナルだと思う。まあ、それでも、時々ポエマーになったりするんだけどさ。(^^;

お友達のあーちゃんにも言ったことだけど、私が一番惹かれる日記は「おもろい日記」だ。

読んでてパンチがあって、楽しくなって、マニア受けするようなことが書いてあり、思わずニヤリとしてしまう、そんな日記。
けどまあそうは言っても、詩的表現の切ない日記も好きだし、小難しいことが書かれているものだって好きだし、何というか、私は「こういうのが好き」と断定して言えないところがあるかな。
自分の中にいろんな要素がある天慈なので、読んだ日記の何がツボにハマるか私にさえも「こうだ」とは言い切れないから。

でまあ、切ない、だ。(笑)

あーちゃんが日記で書いてた言葉。

自分は切ない日記を書いているわけじゃあないと。

けれどね、あーちゃんにも言ったのだけど、私はライコス時代から読める限りのあーちゃんの日記を読んできて、こんなに切ない日記はないよなあと思ったよ。
あーちゃんは、おもしろおかしく日記を書いているけど、時々、詩的表現の日記も書くことがある。
心情を素直に吐露したときだってある。そんなあーちゃんの日記は、私の琴線にビビビっと触れた。(笑)

これからもあーちゃんの日記は読んでいきたい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

天慈のハマった文章ご紹介コ〜ナ〜。(笑)

『震えながら、まっすぐに歩いていくのだ。彼が仕える主とはそういう人だ。決めてしまったら後は進むだけ。退くことも、怯むこともない。』 by 「風になる刻」(清竜明)

こういう人が自分にもいたら強くなれるよなあと思った。
もっとも、いると感じているけどね。(笑)

+++++++++++++++++++++++++++++++++

ということで、ポエマー天慈、いっきます。(爆)



+++ キミとともに  +++


応援してるよ
アタシも応援してるよ
キミのことを

キミに届いているか
それはわからないけれど
心でキミの心を包んでる

キミの太陽になりたい
かつてキミに包まれたその優しさを
アタシは忘れてないから

独りじゃないよ
キミは独りじゃない
空と木々と風と太陽を優しく感じられたら
この星を好きだと感じられたら
キミは確かに独りじゃないんだ

キミの優しさを
アタシは忘れない

忘れないよ

キミとともに歩いた日々を
キミに抱きしめられた日々を


〜華見さんへ送る返詩〜




inserted by FC2 system