2004/3/13(土)晴れですね〜ほのぼの〜ねむいけど。(_ _).。o○


『完走しきってこそはじめて価値があるようにゴールした順位とか関係なく、完結させてこそだと思うのです』

これはお友達が言っていた言葉です。その人は、人生はマラソンにたとえられるけれど、執筆もそうなんだと言ってました。
うん、確かにそうだなと思う。私も「地球─テラ─」という小説を書いたことがあるのですが、これなんか17年かかって書き上げましたけれど、書きあがったときは感無量でしたもん。サイトで公開していましたが、投稿を考えてて取り下げたまま、まだ投稿を果たしていません。いつか投稿しようとは思っています。

ううむむむ……どうやら天慈さん、今書いている小説に思考が飛んでるみたいで、何かについて深く考え綴るっていうことができないようです。(へっ、いいわけさっ…爆)

というか、ただ単に日記書きモードにならんってことだと思う。
連載小説は、やっとだいたいこんな感じにしようって固まってきたんですよ。実を言うと「こんなラスト」というのは書き出しの時に決まってました。ただ、そこまでにどう話をもっていくかのエピソードをまったく考えてなかったもので。たんにいきあたりばったり、何か書ければいいな〜という安直な気持ちで書き出したんですよねえ。まあ、この話を書こうと思った詳しい経緯は、いずれ推敲してサイトで公開するときにでも「あとがき」で語ろうとは思っています。

それより、何となくガーディアンのほうの続きとかノナビアスの続きとか書きたいかな〜って思い始めてきています。書けたらいいな、書きたいな。(*^_^*)
↑でマラソン話をしてくれたお友達が言っていたように『自分だけのゴールを目指して』たとえ何年かかっても、死ぬまでには完結させたいなと思っています。がんばるぞー。(^o^)/

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中島さんの昨日の日記を読んで「クトゥルー神話」という言葉が出てきてました。まあ、このことはさしずめどーでもいいことなんですが。(ただ私がラヴクラフトのクトゥルーが好きってだけで^^;)

「小説作成ソフト」なるものについて語っておられました。

いろいろなキーワードをぶちこんで機械が勝手に小説を作ってくれるっていうもののことなんですが、そういうのが出来たとしても、小説を書く人間って減らないんだよ〜みたいなことをおっしゃられていましたね。
で、ソフトで作られた小説と人間が書いた小説とは決定的に違うだろうって。そりゃそうだと思うよ、うん。

なんというか、作曲でもあるじゃないですか、作曲してくれるソフトっていうの。前にフリーのソフトで遊んだことがあるんですけど、コード指定して明るめとか生き生きとか楽しそうとか暗そうとか悲しそうとか、そういう単語を指定したら機械が勝手に作曲してくれるのっていうの。
なかなかしっかりした曲が出来上がって、しばらくいいな〜これーって遊んだんですけど、なんかね、やっぱそれで作った曲を自分が作曲したとは言えないな〜と思いました、しかも愛情感じられないし。(爆)

なんというか、拙くてもサイト開設当初に公開していた私のオリジナルの曲のほーが断然「自分の子供」っていう愛着を感じています。そうですね、今一曲だけだけど「金の夢幻、銀の彼方」の「あとがき」のところで私が作曲した曲を公開しています。それは中学の時に作ったメロディであります。私はメロディはオリジナルで作ったりしますけれど、それに伴奏とかよーつけません。何曲か貴重な伴奏付きのオリジナル曲はありますけれど、ピアノがなければダメですねえ。MIDIで打ち込むことがちょっとできません。一度挑戦したことあるし、たぶん、時間と根性があればMIDIを作成することできるんでしょうが、いかんせん、今そんな根性がないです。つーか、そんなことしてるヒマあったらストップしてる連載小説一行でも書けよって自分突っ込みしてますね。

そのうち、昔公開していたメロディだけのオリジナル曲を披露したいとは思っています。それらは全部歌詞付きで歌えます。昔、ネットのお友達がうちのサイトに遊びにくるといつも口ずさんでるよ〜と言ってくれたのを思い出しますねえ。彼女、今頃どうしてるかしら? 元気でいてくれたらいいなーって思います。

つーか、だいぶ話ソレた。(爆)

文学について中島さんはこう言われてました。

『こういうとてつもなさ、というか、まとまりのなさというか、論理的でなさ、というのが、人間の精神の分析しきれない部分かな、そしてその「不条理」というものが、「非論理性」というものが、まさに「文学」なのかな、と思ったりするわけですね』 by 中島梓

小説ソフトで作られた小説っていうのは、つまりはパターン化したものだということらしいです。
それはまあそうでしょう。つまるところ、機械というのは与えられたものでしか物語世界を構築していけないからなんじゃないかなあ。型通りのものしか生み出せないという。というか、そうじゃなきゃ機械とは言えないと思うし、もし仮に「意外性を」とか「不条理に」とかソフトに打ち込んだとしても、それが果たして「本物の意外性や不条理」かといったら、そうじゃないでしょう。というか、機械が混乱してしまうと思うよ。ほら、延々と計算し続けるコンピューターの話ってあったじゃないですか。あんな感じになって、いつまでたっても「意外性のある不条理な小説」なんて出来上がらないと思う。

で、物語っていうのは、やっぱりね、その意外性や不条理なところに面白みがあるんだと思うのであります。

もちろん、パターン化した物語も安心して読めるってことでそれはそれでまた求めている人も確実にいますので、どっちがいいとか悪いとか決められないと思うんですよね。それはもう個人個人の好き好きってことナ。

私もパターン化したもの、好きですよ、嫌いじゃないです。だけど、そればっかりだと飽き飽きしちゃうのもほんとのことです。というか、どっちかってーと意外性のあるちょっと変わった物語を好んでるほーです。そういうものばっかり読んでて、それでたまーにパターン化したものを安心して読むってのが理想かなあって。

でまあ、結果、中島さんは、

『小説ソフトがかなり高度になっても、世の中の小説が全部小説ソフトで作成されるという時代は来ないだろう』

と言われてるわけですが、これはもう読み手が求めたとしても、書き手がいる限りはなくならないと思います。
書き手っていうのは、少なくとも私の場合は、自分が読みたいと思うものを書きたいがために書いているってとこがあるんで、それを小説ソフトが書いてくれるのならそりゃズボラな私にゃ願ったり叶ったりなんでしょうけど、たぶん、私が究極求めている物語なんぞ、機械ごときが書き出せるものじゃあないと思っておりやす。そんじょそこらの不条理抱えてる人間と一緒にしてもらっちゃー困るがな、はい。(爆)

中島さんもそういう傾向があるし、恐らく、私なんかよりもっともっと複雑なもの抱えていると思いますので、彼女も他人(機械)の書いたものより、断然自分が書いたものが一番だと思っていると思いますけれど、それは私も彼女の足元にも及ばないとしても、わりと自分の書く物ってユニークであると思っていたりします。もちろん、投稿先の選者の方にそう言ってもらえたというのもあるんですが、自信を持ってもいいとは思います。
けれど、ユニークだからといって、ブレイクするとは限りません。私の場合はメジャーとはなりえないユニークさであって、ごく一部のマニアックな方には受け入れられるものかなあと思ったり。ま、今ではそのことに誇りも持ってたりするので、何も万人に受け入れてもらいたいなーなんてはもう思っていません。昔は思ってたですけれどね。

何はともあれ、パータンにはまらない、そんな小説が書いていけたらいいなーって思ってます。たとえ、万人に認められなくても。自分が好きな世界観を書いていければ、それが私の一番の幸せかなーって。(*^_^*)

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でまあ、紹介した中島さんの言われる「不条理」とかの話にも関わってくるんですけど、今日の中島さんの日記に書かれていた「精神の暗黒」「自分の中の暗黒」というのを経験したことない人は怖いという話。

本当にそういう「闇」をまったく経験したことない、感じたことないっていう人なんているのかなあって思ったりします。
たぶん、それは感じたことないってわけじゃなく、感じたことないのだと思い込んでるだけで、全て人間は一人の例外なく「暗黒」は持っていると思います。ただ、目をそらしているだけで、そして、そらしていることさえも気付いていないのでしょうね。中島さんもこう言ってますもの。

『「自分の中の暗黒」など、運がよければ一生気づかずに、その分心貧しく生きてゆけてしまうんですね』
って。

この「一生気づかずに」というのがキーワードです。

気付かないっていうことは、持っているってことですよね? 持ってはいるけれど気付かないってだけで、やっぱり人間は「暗黒面」って持っているもんなんですよ、うん。

そして、それを踏まえて中島さんがこう言いました。

『一生それで通せればそれはそれで幸せかもしれませんけれど、そういう人はどうにもならないほどものごとに対する感性や感覚が浅く愚かしくなってしまいます。結局ひとの「洞察力」というのは、そういう暗黒や苦しみにぶつかることでしか養われてゆかないから、だと思うんですね。といって、辛いめにあったことが逆に当人をすごく硬化させて、いっさい他の人間への共感を拒む、ような方向に進んでしまう、というケースもたくさんあるんですけれども』 by 中島梓

私はいつも思います。なんで私っていつもいつも自分で自分を苦しめるようにしてしまうんだろうって。いわゆる自分で自分の首を締めるってことなんですけど。

私は物事をよく理解できないところがあると自覚しているのですが、もしかしたら、この「洞察力」を養うためにそういう暗黒や苦しみを呼び寄せているのだろうかなんて思ってしまったりしています。

もちろん、避けられる苦しみもあったことでしょう。実際、そういうことを言われたこともありますし。

けれど───正当化するつもりはないですけれど───避けなかったからこそ、私は成長できたんじゃないかななんて今は思ったりしています。全ては「運命」であり「必然」起きるべくして起こった出来事だと。
まあ、巻き込まれた人はいい迷惑なんでしょうけれど、それはそれでその人も何かを理解することの勉強にはなったんじゃないかなと、そう私は思います。
願わくは、中島さんが言われたように、己の心を硬化させてしまい、他人への共感を素直に表現できない人間にならなければいいのになとは思いますが……まあ、これも諸悪の根源である私が言ったとしても、ただ反発されるだけなんだろうなとは思いますが。

けれど、少なくとも、私は辛い目にあったために自分の心を硬化させるようなことは決してならないと、より一層、誰かのことを理解できるのではないかと、共感できるのではないかと、そう思って、自分自身を信じたいと思っています。まあ、だからといって、私がえらいのだと言ってるわけではありませんし、頑なな心になってしまった人がダメなんだと言ってるわけではないのですけどね。

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なんちゃって…ガクトさん話じゃないと、みょーにマジメな話してしまいますよねえ。つか、実はさ、今日も旦那さん休んじゃいました。いえいえ、休むことは別にいいんですよ。ゆっくり休んでほしいって私は思っているし。

どうやらね、やっぱり腸感冒だったみたいよ。(^^;

昨日は全然そういう症状出なかったのに、今朝はトイレに何度も駆け込んで大変そうでした。(><)
うー、私も気をつけなくては。なるべく早めに寝ようっと。

そういえば、今朝は息子が「裁縫道具貸して」と言ったんですね。自分のナップサックが破れたので自分で縫って直すって。おおおーすごーい、天慈なんてよーせんのに。(ヲイ)
そうかそうか、そうやって何もできない母の子供は成長していくんだな。(天慈さん、あなた、それでいいんですかい?)

てか。裁ちばさみで布が切れなくて困ってました、息子くん。(^^;

息子は左利きです。でも私の持っているはさみは右利き用です。なかなかに切りにくいでしょうなあ。でもさ、切れるようにどうやって説明していいか……こういうのって説明しにくいですよねえ。身体で覚えるもんですからして。でもま、旦那がいてよかったです。旦那も左利きですからして。けど、一言余計なことを。(爆)

「でもな、お父さんは左利きだが、右でも切れるぞ」と。( ̄^ ̄)←得意げに聞こえるのは気のせい?(爆)

ということで、本日のBGMはアルフィーのアルバム「夢よ急げ」です。(*^_^*)/

つーか、日記書きモードにならんっつーて、けっこう語り倒してしまいましたね〜。ま、そういうヤツです。(^^;


2004.03.13 16:19



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