2004/3/4(木)雪、曇り、日の光も差して……はっきりせんかいっ!(爆)


ガクトさん、だあいすき♪

ああ〜いきなりなおバカな出だしですが。(爆)
ある方の書かれたものを読んでですね、なんかそう言いたくなったわけです。その方は恋愛の複雑さを書かれていたわけなんですが、そうですね、はっきり言って私はガクトさんに恋愛感情を持っているわけではありません。

私はガクトさんが好き、それだけです。

私にとっての感情って、ただ、「好き」か「興味なし」かの二つだけです。(まさか、ほんとにそれだけ?^^;)
いやいやいや、普通は「好き」の対極は「嫌い」なんでしょうが、私の中の感覚では「好き」の反対は「嫌い」ではないんですよね。「嫌い」の反対は「好き」なんですが。これの意味ってわかります?(^^;
ただのこじつけかもしれませんが、私にとって「嫌い」という感情は、いつか「好き」に変わるものでもあるんです。たとえば、うちの旦那さんに対しての私の心の変化というのがその代表。
けれど、私は今まで生きてきた中で「好き」が「嫌い」に変化したことは誓ってありません。堂々と胸張ってそれは言えます。そうですね。好きだと言ってたのに「あんたなんか嫌い」っていうことも少なからずさすがの私でもあったりしますが、それはまあいわゆる言葉のあやっていうやつでして……ううむ、言い訳じみて聞こえたりしますが。。。でも、私にとって一番冷たい態度というのは「無関心」というものですので、まだ「あんたなんか嫌い」なんて言われた人はマシだと思いますが。もっとも、言われた側としては「冗談じゃない」なんでしょうがね。ま、私は「あまのじゃく」ですから。そういう人間です、はい。(やなやろ〜だな〜天慈って)

ああ〜またしても話がソレまくった。(いつものことだ)

私はガクトさんが大好きです。リアルの私はとにかくガクトさんを人間として好きであるわけです。そして、それだけではなく、ガクトさんという存在は私にとって夢見せてくれる存在でもあります。私は、夢なくては物語や詩を紡げない人間だからです。夢や恋を感じていないと私は何も書けません。
そうですね、旦那との関係においても、物を書くことはできます。けれど、旦那とともに作り出す創作物は、もちろん私の中に内包されているものではありますけれど、私の目指す創作物とは少し違うところがあるんですよね。
私は───切なく儚く崩壊的で退廃的で耽美で苦痛で愛しくて身を切られそうな、そんなものを書きたい。旦那もそういうものを好んでるところがありますが、どうも少し私とは感覚がズレているかなあとも思います。そうだな、私は最近になって乱歩が好きになったけれど、旦那は昔から好きだったみたいだし、でも、ラヴクラフトのことは旦那は知らなかったみたいだし……私はどっちかっていうと日本より外国の邪神ものが好きだったからなあ。そこらへんでちょっとだけ感覚がズレているのかもしれない、なんて思ったり。
というか、旦那本人のキャラが、そういう耽美で退廃的とはかけ離れているので〜、旦那との関係においては夢は見れませんね。しかも、私は現実世界では夢のような暮らしなんてまっぴらだと思っているし。(爆)
そんな暮らししてたら私は物書いてませんよ。現実に不満があるからこそ私は物語が紡げるんです───と、思ってます。(^^;

ガクトさんの存在は、私に夢や想像力を与えてくれるんですよね。彼が作り出した世界や、彼自身の内的宇宙を垣間見るとき、私はその世界の住人になって物語を創造します。で、ガクトさん曰く「想像力を駆使して僕の世界を楽しんでほしい」と言ってるように、私も彼の世界で自分に合った想像を繰り広げているわけです。たとえ、それがガクトさんが思い描く世界観ではないとしても、そのことは彼はあまり気にもしないでしょうし。というか、そういうこともどっかで言ってたような気がする。自分なりの世界を作ればいいよって。
私ね、それを聞いたとき、ああ、この人だ、この人こそ私が求めていた人なんだなーって思った。
私は、好きとなったら、その対象について考えて考えて想像して想像して語り倒してしまうところがあるんだけど、それを好きに突っ走ってやってしまうと、それこそ相手の望んでいないことまで書き立ててしまうことがあるんですよね。
私に好きになられた人間っていうのは、ある意味不幸かもしれない。私を黙らせることは無理だと思うんだもの。
私に書かれたくないと思ったら、私から離れるしかないと思う。私は相手のことで嘘なんか書かないけれど、かなり自分の世界に入り込んで大仰に書いてしまうので、そのギャップに苦しめられることもあると思います。「私はこんな人間じゃないのに」と。それは、悪い意味の表現でなくても思ってしまうものです。というか、むしろ、いい人間として描かれるほど人は苦しむかもしれない。
でも、ガクトさんはきっと、私が書くガクトさん像をもし読んだとして、「楽しんでくれてるようだね」とか苦笑しつつも許してくれそうな、そんな気がしています。そういう懐の大きさを感じています。だから、とくに、今の私はガクトさんのことを日記で書くのがとてもとても好きなんですよね。とりあえず、雑誌とかラヂヲとかで語る彼の言葉を取り上げて、私の考えや想いとかを書く分にはクレームつけられることはないと思うし。
今まで「書いていいよ」と言ってくれた人の、書いてほしくないことを私が書いて、それでトラブルに発展してきたことを考えると、今の私にとって、ガクトさんについて語り倒すことができることはこの上ない幸せなことだなあと思っています。

私が今少しばかり関心を寄せている方が書かれていることを読んで、本当なら書かないと決心していたことをちょっと蒸し返そうかなと思いました。

物を書くということは怖いことです。けれど、それでもどうしても書いてしまうのが物書きなんではないかと思うのであります。何度か私は自分の書いたもので他人を傷付けてきました。そして、それを反省し、そのことを日記で書いてきたわけであります。そういうことを書くと人はやさしいので「あなたは悪くないよ」と声をかけてくれます。私はそういう心優しい人々の言葉でいつも感激し、人を傷付けてしまうような自分でも存在していていいんだなと勇気付けられ、そして泣かせていただきました。
今の私には、その方のように表立って「あなたは悪くない」とか「あなたは一人じゃない」とか「苦しいときは叫んでもいい」と言ってくれる人はいません。
けれど、まったくないというわけではない。ちゃんとそれぞれの場所でそっと囁いてくれているということを私は知っています。
それでも、掲示板というものは少しやっかいなものなんだなということも今の私には実感しているところがあります。掲示板で交わした言葉で、以前私はひどい誤解を受けたことがあったので、ネットを初めて初期の頃、精力的に掲示板でカキコしていた自分が、果たしてあれでよかったのだろうかと誤解を受けた頃から思っているところがあったりします。そういうこともあって、今の私は確実な場所でしかカキコできなくなってしまいました。
少し淋しくは思いますが、まあ、それも私に訪れた変化ということで、静かに受け入れているところです。

そういえば、その方が書かれていたことでもうひとつ思い出したのが、今、私は3月の日記編集を20日頃まで終わらせたのですが、2002年の今頃は例の「死にたい病」がしきりに勃発していたところでしたね。
どうもこの時期は私にとってはよくないのかもしれない。この間もまたしてもちょっと喉の異物感が出たことを旦那に話したんですが、「あの時も丁度この時期だったな」と言ってました。「季節の変わり目がお前にとってはダメなのかもな」とも。それはそうかもしれません。
けれど、今の私はもうほとんど「死にたい病」は出ませんね。時々出てくる喉の異物感で、吐き気が起きても、以前なら「こんなイヤな思いするならいっそ…」なんていう気持ちに囚われることがあったのですけれど、今はそこまでひどく鬱にはなりません。
これも、私や息子のために一生懸命働いてくれる旦那のおかげでもあるし、そして、ガクトさんが其処に立って頑張ってるんだという、その存在感のおかげで、私も死にたいなんて言っちゃおられんわ〜と思うからであります。

だから、ガクトさんが、今この瞬間、私の生きているこの世界で間違いなく生きているのだという確信があればこそ、私もきっと何にも負けないと自分自身を信じられると思うのです。

ありがとう、ガクトさん、そこに生きててくれて。

というか、ガクトさんという存在を知ることができたということは、私も運がいいとも言えませんかね?運も実力だって、ガクトさんそう言ってたじゃん。じゃあ、私も運はいいと思うよ。だってガクトさんを知れたんだもの。(^^)
だから〜、これからも好きに書かせてね。(それかいっ)

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今日もいっぱいお仕事した天慈です。旦那さんにほめてもらおっと。(爆)

おお、そういえば。昨夜もサンドイッチ他惣菜パンやメロンパンをおみやで持って帰ってくれた旦那さん。売れ残ったのね〜?(T_T)
でも嬉しい。惣菜パン大好きな天慈でした。(笑)


2004.03.04 16:41




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