2003/06/30(月)晴れというよりも曇り。(だったら、曇りって書けば?^^;) 00:18 船長さんの日記、読書感想文第2弾。(笑) 2003/01/04の「母親に寛容な気持ちをお願いするのも、申し訳ないような、親として反省します。」を読んで。 私も子供を持つ資格はないと思い込んでいた人間です。 けれど、親になる資格のあるだのないだのっていうのを考えること自体が、もしかしたらまだマシなのかなーなんて思えるほどにはなりました。 子供のことまったく考えない親なら、そんなことさえも考えないでしょうからね。 私の息子がどんな大人になるか、それは今からわかるもんでもないです。金はなくとも愛情だけはたっぷりありますので(与えすぎるのもマズイですが、うちは旦那という防波堤がありますので、そこらへんはたぶん大丈夫かと^^;)何とか生きていくことでしょう。 ええと。 子供を傷つけてしまう言葉ですか。。。私もたまに言ってるかも。(^^;;; といいますか、うちのお坊ちゃまは、何か失敗したときに笑われるのが非常に嫌ならしく、すごい怒ります。場の雰囲気を和ませようと私は思ってそうするのですが、ついつい息子が機嫌悪くなるってことを忘れてしまうのですよねえ。たぶん、そのたびに彼は傷ついてるのでしょう。申し訳ないこってす。 で。 この間新聞にも書かれてあったことですが。子供が一番親に言われたくない言葉。 『おまえなど生まれてこなければよかった』 『おまえなどいらない、出て行け』 『兄さんに比べて全然ダメ』 『勉強しなかったら高校に入れないぞ』 『どうせおまえがやったんだろう』 『父さん母さんが死んだらどうする?』 『あんたの父さんと結婚しなければよかった』 などなどだそうです。 私は↑の言葉に覚えはないですけれど、どんな言葉で傷つくかなんて人それぞれですからね。絶対に傷つけてない親なんていないと思います。 つまり、そういうことをつい言ってしまうことはしかたないことなんですが、あとのフォローが大切なのだなと思いますね。 とりあえず私は謝り倒します。土下座です。(^^;;; で、思い出したのですが。 私も子供の頃は傷ついてました。 私はグズでトロイところがあり、言われたことをちゃんとできない子供でした。 反対に母は聡明で何でもてきぱきとこなす人でしたので、私のようにグズグズしているのはイライラしてたと思います。まあ、後々そういうことを言ってましたから。隠すということをしない母ですのでね。(笑) ですから、いつも私は叱られてたのですね。 実際子供の頃はほんとに怖い母で、怒鳴ってばかりいる母しか覚えがありません。学校の作文にも「お母さんはとても怖い人です」なんて書いたことありましたから。(^^;;; 反対に父は私がすることなすことに何も口出ししない人で、いるんだかいないんだかわからない人でした。まあ、実際にトラックの運ちゃんしててわりと家にはいなかった記憶がありますし。 でもまあ、怖くても嫌いではなかったですね、母のことは。 だって、私を他人にはとても自慢の子だとはばかってませんでしたから。他人さまの前ではいつも誉めてました、私のことを。親バカ丸出しで。もちろん、言われている私は気分はよかったですよ。(笑) ただ、何事も隠しておけない人ということで、いつからだったかなあ、ちょっと覚えてないですけど、父との結婚生活のこととか自分には本当は好きな人がいて、それを引き裂かれて結婚したんだとか、そういうことを事細かに聞かされたもんです。 そういうこと聞かされててね。その上でいろいろきつく叱られたりしたら、まだ子供な私には「好きでもない父の子供=だから嫌い」という図式になっちゃうじゃないですか。(^^;;; 浅はかなんですけどね。けれど、子供ってそういうもんです。 でも、そういう気持ちが、私はだいぶ大きくなってからもずっと心にわだかまっていたらしく、まだ私が結婚する前だったと思うので20代前半だったと思うんですが、何かのことで母と言い争いになったおりに、言ってはいけないことを私は母に言ってしまったわけです。 「好きじゃなかったお父さんの子供だから、お母さんは私にきつく当たってたんでしょ!」って。 あの時の母の表情を私は一生忘れませんね。 言った瞬間、しまったと思いましたもん。 その時に母は何も言いませんでした、確か。私、あまりにも興奮してたので、そのあとどうなったか覚えてないんだもの。 ただ、そののち母に、私が生まれた頃の母の日記を読ませてもらい、そこで初めて「そうじゃなかったんだ」と気づいたわけです。 父に対しての気持ちがどうであれ、少なくとも私に対してはこの人はとても深い愛情を持っていてくれたんだと、母の日記は教えてくれました。 日記って、だからいいなと思いましたね。 その日記を読んでから、母と私は本物の親子になったんだもの。 それまでは疑心暗鬼に囚われつづけた私でした。 けれど、今は一番この世で私を愛してくれてるのは母であるとそう信じれるようになったんです。 だから、昔いろいろ傷つけられた思い出も、今となってはとてもいい思い出となりました。 子供ってほんと浅はかなんですよね。そして、同じ子供は、その浅はかでバカな子供が嫌いで嫌いでしかたないわけです。 つまり、その浅はかさが愛しく思えるようになったら、それはきっとその時になってやっと大人になったということなんだろうなーなんて思ったり。 そんなことを思ったです。思い出話にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。(^^) 11:40 船長さんがゲスブで「運命共同体」という言葉を使っていたのを見て思い出したのですが、以前私も「運命共同体」という言葉を使って、ある保険のエッセイ募集に投稿したなあってことに。それが「私たちは運命共同体」 これを書いたのもだいぶ前のことなので、少し保険事情もまた変わってきています。 最近ではね、保険ももう万全ではなくなっているでしょ。よくTVでも保険の上手な支払方法とかやってますが、難しいです、ほんとに。私なんて特にめんどくさがり屋だから、そういうことはあんまり考えたくないんですよねえ。けれど、ほんと保険のおかげで助かったことは確かでしたし。わりと安い保険料だったのにいろいろ助けてもらいましたもんねえ。 けれど、今少し事情が変わってしまい、保険の見直しということで、実は長年支払いつづけてきた生命保険を解約したんです。 まあ、ここらへんの決断というものは旦那がしてくれたんですが、正直言うとね、すこおし不安ではあるんですよねえ。(^^;;; ほら、私って身体に自信がないでしょ。(あら、プロポーションじゃなくってよ?……そんなことわかってるって?^^;) いつまた入院、手術なんてことになったら……と思うとね。けどまあ、そういうこと思うってことが病気を呼び寄せる場合もあるかもですし。もっと気楽にかまえればいいのですけれど。。。性格がねえ。。。いまひとつ。。。 とまあ、朝からちょーっと辛気臭い話をしてしまいました。 16:28 今日は(笑)6月最終日。 誰も覚えてないだろうけど、6月っていえばちょっと特別な月だったんだよね。(謎) 私にとっては5月から6月にかけてっていったら、一年の中でも一番の厄月で、ただひたすら無事に終ってほしいといつも願ってるばかり。 まあ、そういうのも、気にしすぎっていうもので、別にヤなことがあるのは他の月だってないってわけじゃないし、6月にだっていいことはけっこうある。この間だってめっちゃおもろかったリローデッド見れたし。今回はトイレなんぞ駆け込むなんていう醜態はさらさなかったしね。(爆) それでもね、わかっちゃいるけど私にとっては「魔の6月」だったわけ。(^^;;; それももう少しでおしまい。 明日からは7月です。 りうしゃん、お待たせしましたよ。(笑) あなたの愛するマリーの短編だよ。らぶらぶ〜だよ。花火上がるよ。マリーがんばったんだよ。誉めてあげて。ジュークもボケボケかましてるしー。しもらーもいつものごとくかわいくて……食欲旺盛だし。(爆) さあ、これから私は「あとがき」を書いてUPの用意をいたします。 |