03/05/08(木) 12:36 あのね。 今日のあなたの日記読んで思った。 声をかけることできない時、どう伝えていいかわからない時、そういうことってあたしにも確かにあったなって。 でも、あたしは幸いにも普通の人より言葉を紡ぐことに長けていた。けど、それはそれでまたトラブルの種になる場合もあるんで、あたしのやることがいいことかといったら疑問もあるけれど。 昔は相手のメールが来なくなった時、カキコに来てくれなくなった時、言葉の端々で「あ、嫌われちゃったかな」と思って凹んで騒いでってことよくやってたよね。それがあたしの悪いとこ。素直になるのはいいことだっていうけれど、あたしは素直すぎた。かまってもらえなくて悲しくて辛くて──それがかえって相手を追い詰めるってことに気づいてなかった。
うん、そうだね。 きっとみんなそうだったんだ。 そう信じようって思えた。
なんだよね。 何度も何度も繰り返すあたしのバカも、きっと少しづつ前進して、きっと少しづつ穏やかになって──けれど、大好きな人が言ってくれたように「天真爛漫」なところは残して、少しでも気持ちいいヤツになっていけるとそう思えた、今日は。 大好きなガクトさんに「おまえもやるじゃん」って言ってもらえる、そんなステキな人間になりたいなと、それを心に抱いていけば、きっと変われるよね。 きっとそうだよね? 14:11 「あたしが男が嫌いだった理由」 …なーんていうと、なんだなんだ?と駆けつけてくる野次馬いるかもね。(笑) こっちは雨だよ、寒いよ、どーでもいいけど「雨」って打ったら「飴」と出てきて、飴が降ってきたらいいなあって思ってしまった。最近、いろいろな飴をなめるのがあたしのお気に入り〜♪ 昨夜は日本放送で公開されているガクトさんのコーナーの『Gackt語録』を読んでたんですが。まだ全部は読んでなくて、でもピクピクっと反応というかまたしてもシンクロっちゃった言葉がありました。 できたら向こうに飛んで読んでもらったほうがいいと思いますが。(日本放送ですよ(^_^)v) えーとね。なんとっSMについての言葉があったんですわ。(爆) やー、なんか思わず( --)/\(^^ ) ナカマ!!って言いたくなるほど、SMについての考え方が同じだったんで、やっぱ運命の人だよなあって思っちゃいました。(勝手に言ってろ?^^;) 詳しい事はここで書くのもマズイと思うので(別に内容がじゃないけどね)書きませんけど、ひとつ言えるとしたら、あたしが日頃から言ってる精神的SMをガクトさんも思ってたということで、なんかほんと「この人っていいなあ」って思いました。(^^) んで。なんでタイトルが「男が嫌いだった理由」か。 あたしはちゃんと昔から好きになる人は男でありました。それは間違いございません。けれど、一度だってうまくいって付き合ったという経験はありませんでした。でもね、きっとうまく相思相愛になったとしても付き合うことなかったんじゃないかと思う。 その理由は以前「天ちゃん日記」を読んだことある人なら覚えはあると思うけれど、あたしは幼い頃に男性に対して幻滅するようなことを経験したからです。 それ以来あたしは男性恐怖症になりました。ハッキリ言って父親や親族までをも「そーゆー目」でしか見れなくなったんですよ。 けれど、なんで男の子はキッチリ好きになれたか。 それはあたしが夢見る少女であったということと、好きという気持ちだけはどんな経験をしたって消せなかったから。 誰かを好きでいるという、それがあたしを癒す──あたしはそういう形で必死に少女の頃を生きていたんだと、今はそう思います。 でまあ、あたしがこうやって旦那と結婚できて、人並みに普通の夫婦の営みができるようになったのは、ひとえに旦那を含めた男の友達のおかげだったとあたしは思います。男ってそんなに怖いもんじゃない。すぐに襲い掛かるような狼ばっかじゃないと、そう教えてくれたのが彼らです。 もちろん、人生のかなり早い段階から、あたしは男はそーゆーこと考えてるもんだっていうのは理解してました。だから、それを出さずに接してくれた彼らをあたしは全面的に信頼したわけです。 あたしは若い頃は結婚なんか絶対しないぞーと思ってたんですが、そんな彼らと付き合っていくうちに、いずれ本当に結婚しなければならないとしたら、彼らのうちの誰かとするだろうという確信は持ってました。でまあ、その中でガンガンにアタックしてきた旦那と一緒になったわけですが。(なんかあとで突っ込み入れられそうだな^^;) だから、あたしには「運命の人」はたくさんいるわけです。ガクトさんだってそうだし(言うだけはタダだもーん^^;)、旦那だってそう、友達みんなもそうだし、ネットで知り合った人たちもそう。 えーと、誰だったっけ、同じ様なこと言ってたと思うけど。 好きがたくさんあるのと、たった一つだけの好きでは濃さが違うみたいな感じで取られがちだけど、そうじゃないって。 一つに対する濃さを分配してたくさんに分けるって考えじゃなく、その一つの好きはそのまんまの濃さで、それをそのまんまたくさんの人に向けるのが、あたしの好きかなあって、そう思っている。 あたしはそれっくらい「好き」っていう気持ちを大切にしてるし、それを知ってもらいたいって思う。今はただ知ってもらいたいって、それだけかなあって思うな。 |