03/04/13(日)晴れ。だよなあ。お花見行きたいよなあ。あああ、お花見〜。(爆)


11:08

夢を見た

遠くで佇むあなた
たくさんの人にまぎれて
不安におののいて
立ちすくむあたし

大切なものをなくし
人を傷つけ自分をも傷つけ
涙流しすぎて瞳は乾き
けれど心で涙流しつづけてる
あたし

また傷つくこと怖れ
遠くから人々を見つめてる
そんなあたしを
じっと見つめてくれてたあなた

走ってきてくれた
まっすぐあたしのところまで
びっくりしてるあたしに
とびきりな笑顔で

「淋しがりやさん」

そう呟いて
抱きしめてくれた

「逢える時だけでも」
「こうやって抱きしめてあげる」
「君だけを想ってあげる」

その瞬間
あたしは大声で泣き出したの
抱きしめられてる間中
ずっと流れていたその歌

"悲しそうな顔はやめて"
"君の笑顔を見せておくれ"
"誰より素敵な僕の大切なその笑顔を"

あなたを知れてよかった
あなたを好きになってよかった
あたしはそれだけで
強く生きていける

そう想った朝だった

この言葉をもう一度
あなたに贈ります

"ありがとう"

12:18

おはやうございます。って、もう昼じゃん。ご飯じゃん。こんなこと書いてる場合じゃないじゃん。と、言いつつ書いちゃう不真面目不良主婦なクレ(天ちゃん)でっす。(^^;;;

といいますかー。旦那さんお休みです。(爆)
まったく…(ーー;)久々に昨夜はお友達のところにマージャンに出かけた旦那。私は夜中2時過ぎくらいまでは起きてたんだけど、それ以降に帰ってきたはず。最近だるいー疲れたーって言ってたんだからさ、何もそんな時に行かなくても、どーせ来月はいくらでも遊べるでしょ。(違)今は夜遊びやめときゃいいのに。。。
休んだからって、お花見に連れてってもらえるわけじゃなし。(いや、そーゆー問題じゃ…^^;)
あーあー、明日はまたしても遠足のお弁当作りだよ。この間の遠足が結局中止になったから、しかたないんだけどねー。まったく、来週はもう修学旅行だし。三万弱の出費は痛いぜよ。(T-T)

とまあ、グチグチタレタレで始まっちゃったけど。ところが、今朝の私はものすごくご機嫌さんなんです。(爆)
いやー、ほんっと神さまっているのねーなんて思ったり。(違?)

夢に出てきました、ガクトさん。(^_^)vいえーい。

まあ、↑のポエムで雰囲気はわかってもらえたでしょーが。さいっこーです。
これも昨夜、靜さんの日記を読んだのと、CDTVで「君が追いかけた夢」がかかってたことと、なんですか、デビュー曲聞きたいランキングベストテンにガクトさんの曲が上げられてたことで、そのおかげで見れたんじゃないかなと。(笑)

私は、こんな感じで自分にとって重要な夢を時たま見ることがあります。
私がライフワークとして書いている小説も、もともとはある夢を見たことが始まりだったし。
あと、リアルで精神的に追い詰められたときは、必ずといっていいほど、生きる希望が湧いてくる夢を見るんです。
高校の時に体調が最悪だった時にも、仕事で死にたいくらい追い詰められてた時にも、毎晩のように素敵な夢を見てました。おかげで夢から覚めたくないくらいでした。寝てばっかりだった時もあった。寝れば必ずいい夢見れたから。(爆)

その中でも、その小説を書くきっかけになった夢は特別で、そして、ちょっと前に見たガクトさんにヘアメイクしてもらう夢と、今朝のガクトさん出てきた夢は特別ですね。だってほんと泣いちゃったもん。(爆)
泣きながら目覚めて、実際涙流してたしー。(^^;;;
いやー、こんなとき、私って世界で一番幸せなヤツだなーって思います。(言い過ぎ?)

確かにね。
別に逢って声かけてもらったわけじゃないんだけど、それでもたったこれくらいの、なんというか妄想チックなことだけでも幸せを感じれるって、それってすごくない?なんて思ったりして。(爆)
他人にとってはくだらないって思うことかもしれない。
けれど、私はそういう自分が自分でかわいいと思うし、こんなやついないよなー、ちょっと人と違ってていいかも?なんて自画自賛しちゃう。(いや、あたしもだよーっていう人いてもいいし、あたしは好きだな、そーゆー妄想人間って)

そしてー、私はこれを創作に結びつけるのだ。
こういうところから、私は創作できる、原動力になる。実際、朝一で詩作したしね。(^^)v
これが昂じれば、小説だって書ける。きっとそう。
がんばるぞ。ふぁいとっ!!!(≧◇≦)ノ

15:25

classicaさんがご自分の日記でショパンのことを書かれていました。
それで思い出したのですが、以前サイトで公開していたエッセイに「死について」というのがあったんですね。
これはひたすら投稿し続けていた期間に書いたもので、新聞社かどっかの雑誌だったか、今となってはどこに投稿したものかは覚えていないものです。たぶん新聞社だったかも。
もしかしたら読んだことある人いるかもしれないけれど、ちょっと転載させてください。ショパンのことを書いているので。


「死」について-軌跡の残香

人はどうしてあんなに強く生きていけるのだろう。

私はつねに「死」を意識して日々を生きてきた。それはもう幼い頃から持ちつづけているものだ。
人間はいつか必ず死ぬ。
それなのになぜ人々は平気な顔をして生きていけるのだろうか。いや、何も感じてないわけはない。きっと考えまいとしているのだ。考えたってしかたのないことだからだ。

だが私はどうしてもその想いが捨てきれない。なぜ私たち人間は死んでしまうのに生きていかなければならないのだろうと。その答えを知りたいとは誰も思わないのだろうか。私は、人間の生には何か意味があるのだと信じたいのだ。

なかには意味など何もないのだと言う者もいるだろう。刹那主義的に生きる者にはそれでもいいのだろうが、私は考えるということをやめることができない。
時としてそれは心をさいなむが、私は「書く」という行為でそんな虚無的な自分を救っている。

音楽家のショパンを皆さんも御存じのことと思う。彼は己の存在理由を問うためにピアノを唯一のものとした。
それと同じように私は書くことによって己を生かし続けているのだ。私から書くことを取り上げたら、大げさにいうと「生きる屍」と成り果ててしまうだろう。現に書くことが出来なかった十数年は私にとってまるで夢のように儚い日々でしかなかった。今になってやっと私は生きているという実感を感じているのだ。

ある番組でショパンの生涯を目の当たりにし、私はこの人も私と同じ魂の持ち主なのだと確信した。
彼の曲、とくにピアノ曲を聞いて、苦しくて切なくて涙がとめどなく流れてしまうのは私だけではないだろう。それこそが彼の想いを受け取っている証なのだといえる。

ショパンは病魔におかされ「死」の恐怖に怯えながら生きていた。それは、私たちのように、ただ漠然と「死」を恐れることとは異質なものだろう。しかし「死」に思いを馳せるという点では同じことと言えるのではないか。
「死」について考えることに後ろめたさを感じることはない。そこから「生きる」という力が湧いてくる。何とかしようという気持ちが生まれてくる。

私はショパンのような天才的な音楽は生み出せないかもしれない。しかし、いつか自分に満足できるものを生み出したいと強く思っている。そして、願わくは私の書くもので、誰かの心を救うことができればこんなに幸せなことはないだろう。そう信じることによって、私は今日も一日頑張ろうという元気が出てくるのだ。

「死」について物思うことを、後ろ向きな暗い考えだと思うなかれ。むしろ「死」をまったく意識せぬ己を恐れよ。すなわち「死」を思考することこそ「生」を考えることなり。

私たちは生きつづけなければならぬ。生きていればきっといつか何かが報われると、私は信じたいのだ。
だからほんの少しの間でいいから、みなさんにも「死」について考えてみてほしいと思う。

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いやはや…なんかこうやって読み返すと、すげーこっぱずかしいっすね。(^^;;;
私はこういう華美な感じの文章を昔は書いてました。これもまあ私がナルシー天慈だったからっていうのもあるんだけど、中島さんの文章に追随していたといった感じです。まあ、そんなこと言ったらば、中島さんに叱られそうですけども。(笑)
書くことで自分を生かしている──これだけは今もまったく変わらないと思います。

詩とか小説とかも私は生きていく上で大事なものですけど、音楽もまたそうですね。それは大好きなガクトさんなどが生み出す歌とかもなんですけど、クラシックでも間違いなくそうです。
私はベートーヴェンをこよなく愛しています。どうして彼がそんなにも好きかというのはよくわからないんですけど、彼の生み出した曲が一番好きです。(といっても彼について詳しいというわけじゃないですけども^^;)
もちろん、ショパンや他の作曲家もみんな好きです。誰が一番とはいえないくらいに。けど、ほんのちょっとだけベートーヴェンが頭一つ分出てるかなって。
どの曲を一番好きかといわれても、また選べない私なんですけど、ドヴォルザークの「新世界より」とベートーヴェンの「皇帝」が私にとって一番好きな曲ですね。このふたつは特別です。私にとって。
昔、ピアノやってたときは、モーツァルトやベートーヴェンの曲は練習曲としてよく弾いてました。けど、ショパンはもんのすごく難しかったです。有名な曲はとても私の技量では弾けませんでした。にしては、ムソルグスキーの「展覧会の絵」弾いてましたけども。(爆)

あー、なんかまたピアノ弾いてみたくなってきましたよ。といっても、リズム感ゼロなんですよねえ。
あ、でもね。この間、作曲家の久石譲さんが言ってましたけど(確か久石さんだったと思う、違ってたらごめん^^;)絶対音感なんてないって、そんなものなくても音楽はやれるとか言ってたよなあ。ということはリズム感なくてもOK?(笑)

21:03

続けて、classicaさんが書かれていた日記を読んで、以前天ちゃん日記で書いてたことを思い出しました。

classicaさんが書かれていた『春の祭典は、一言で言えば、「暴力とセックスを幻想で練りこみながら、そのまま音楽にした」くらいの曲です。』と言う言葉にビビビッとね。(爆)

んで、またしてもレッツラ転載。(笑)

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2003/01/17(金) エロなオレ様音楽…って、ステキっ!(爆)

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鈴木淳史さん(知らん人だ^^;)の「不思議な国のクラシック」

これは『日本人がクラシックを聴くとは、どういうことかを徹底的にこだわった入門書』なんだそうです。
んで。
この著者はクラシックのことをこう言ってます。

『暴力的で誇大で、夢見がちで、くどすぎる人間の欲望の渦!!』

おおおっ!!
まるで天ちゃんみたいだっ!(え?)
そっかー、だから天ちゃんクラシック好きなのねん。(違)
私はもともと歌詞のないフュージョンっつーのが好きでした。
歌詞のついてる歌がいやんってわけじゃないんです。
言葉の意味とかに思いを馳せてしまう天ちゃんなので、歌詞ついてると音楽流しながら何かする。たとえば小説書くってことできなくなるんですね。

歌詞に神経集中しちゃうから。(^^;;;

で、一番執筆に合う音楽っていったらクラシックなんですよね、私は。
と…話がソレそうだ。(爆)
つまり、暴力的で〜というその言葉を短くいうと。

『エロなオレ様音楽』

となるんだそうです。
「エロ」は官能的、「オレ様」は自己主張が強い。
うーーーん、、、まさに天ちゃんだ。(爆)

きゃはははは!!
しかも、これこれ、これ笑えるぅ。
邦楽のことを、

『川の水の流れのように、どこぞへと去っていく』

だってー。(^▽^) ハッハッハ

いえね。
そういうのも好きっすよ?
川の水の流れのようなクラシックだってあるし。ほらバッハとか、バロック調はみんなそうでしょ。好きだよなあ、バッハなんて。
でも天ちゃんが一番好きなのはベートーヴェンだよなあ。彼こそ典型的な「オレ様音楽」だと思うけど。
私は小さい頃からピアノやってましたが(今はもう弾いてないけど)小学生高学年までクラシックって好きじゃなくて、親にコンサート連れていってもらっても、グースカピーと寝てばっかでした。(^^;;;

でも、ある日立ち寄ったレコード店で、親が、クラシックだったら一枚なんか買ってくれるというので、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を買ってもらった。
それからですね。
クラシックって素晴らしい!!
だから私の初体験(違)は彼です。(笑)
初恋の人はいつまで経っても忘れられません。(^-^)
でも曲で一番好きなのは「新世界より」です。(ヲイ)

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とまあ、そんな感じのことを書いてましたな。
はっはっはー。(^▽^)☆(○=(-_-; パンチ
↑のほうで書いてたことと少しばかりかぶってますけどもね。

というか。
またしても転載ブームですかあ?(^^;;;
でもさ。いろいろ思い起こせばっていうのあるもんね。せっかく書いたものをザックリ削除してしまって、もったいなかったなーとか。(だったら消すなよという突っ込みは却下^^;)

自分で言うのもなんだけど、やっぱり自分の書いた物は面白いって思っちゃうんだもん。キューキョクのナルシーですよ、私って。じゃなきゃこーんなにガシガシ文章書きませんって。
つか。
だいぶ昔の天ちゃん節が戻ってまいりましたね。ъ( ゚ー^)
天ちゃんはこーじゃなくっちゃと思ってる人もきっといることでしょー。え?いない?そげなぁーーーー(ToT)
まあ、そんなわけで。
これもやさしい皆さまとガクトさんのおかげです♪(爆)

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