2003/3/31(月)晴れ・・・かと思ったら雲ってきたし、しかも夕方から雨?早々に買い物に行かなくちゃね。


13:57

私が短大生の頃、一年の時は強制的に寮暮らしをさせられていたが、二年になったら念願の汽車通学が出来る、ワーイと思ってた。(^^;;;
うちから短大までは快速で一時間、どんこうで三時間近くかかる場所だった。(なぜ?)
だから、ほとんどの学生が短大近くに下宿をしたもんだった。
だけど、私は不便でも自分の家が一番くつろげるとそう思って通うことにした。

とにかく、寮にいたときは日記がまったく書けなかったので、一人になれる空間と家事などの雑事から逃れたいという気持ちがあったから。なんだかんだいっても母は私が本を読んだり物を書いたりすることに寛大であったから。自分ができなかったことをすべて私にさせてやりたいという気持ちだったんだろうと思う。だからといって私が家事が嫌いになったというわけでもないと思う。父は私がこんなになってしまったのを母のせいだと言うが、私はもともとこんな性格だったんだろうと思うし。だいたい母よりも父のほうに私は似ていると思うから。

前置きが長くなっちゃった。(^^;;;

で、日曜日などは家でゆっくりできるわけだから、本読んだり、本屋とかに行ったり、日記を書いたりとやってたわけ、自分ちで。
母はいつも家にいなかった。いろいろやってたからなあ。
父は父で、日曜とか関係ない仕事だったし、弟も家には寄りつかんかったし。
だから、いつも家で一人マターリとしてた。誰にも邪魔されたくなかった。

けど、そんなときにいつもいつもやってきたのが祖母だった。
母の母親で、近くに住んでいたのね。まあ自分ちにいたくない気持ちからフロフロ出てきてたんだろうけど。(詳しく書かないけどさ、だいたいわかるっしょ)
とにかく、玄関のところに座り込んで(上がればいいのに、すぐ帰るからって言うのよ、でも最低でも一時間は動かなかった)私相手に延々と話をする。

どういう内容かはご想像の通り。(^^;;;

私はなんでかな、いつもそういうグチを聞くほうだった。
子供の頃から、話を聞いてあげるほうで聞いてもらうってことなかった。口ベタっていうのもあったんだけど、なんていうか、嫌われたくないっていうのがあったのかもね。
あ、だからといって、私は相手のグチ話を聞いて嫌な気持ちになるってことないし、なんていうか私って必要とされてるんだってそう思えて嬉しいんだよね。
私の場合は、自分がものすごくワガママでどーしよーもない自分勝手な人間だってわかってるし、話したってどうなるもんでもないってわかってることばかりだから、だからめんどくさくて話さない。うん、めんどくさいっていうのが一番の理由かも。
だって話された側は、私に対して何か声をかけてやらなくちゃって思うんじゃないかって、私はそう思っちゃうんだよね。
いいのに。ただ聞いてくれるだけで。慰めなんていらないのにって。

だからネットで公開する日記って、私にとってほんといい感じ。

ただ、サイトで公開してたときは、かなり情緒不安定だったな。なんでかな。なんかね、みんな読んでるってわかってても、その実感が得られなかったんだよね。
もちろん書いた物に対してメールくれたり掲示板にカキコしてくれたりしてくれた人はいた。嬉しかったよ、もちろん。けど、それでもトラブルがあったということは、やはり私が不安定だったからなんだと思う。
けど、このライコスで書くようになってからは、なんかやっと落ち着けたような気がする。特に今は。
たぶん、サイトと切り離したのが良かったのかもって思ってる。なんでか理由はわかんないけど。
カキコがなくてもそんなに実感を感じないってことはないっていうの、それはまあたぶんにアクセス数がわかるからっていうのもあるんじゃないかなあ。それと登録数とかも。だから、登録数がいっこでも減っちゃうと凹んじゃうんだけどね。(^^;;;

でまあ、こういうことを書きたかったわけじゃなかった。(爆)

おばあちゃん、いつも私に死にたい死にたいって言ってた。こんな辛い思いをするなら死んでしまいたいって。

それが悲しくて辛くて。

「私の花嫁姿見るまでは生きてよ」
「そうじゃなあ、お前の花嫁姿見んとな」

けれど、グチを話し出すと死にたいってまた言い出す。
今度は。

「孫見るまでは生きててよ」
「そうじゃなあ、孫見んとなあ」

その繰り返しだった。
私はだから祖母が来るのがイヤだった。正直聞きたくなかった。辛くて・・・でも、私が話を聞いてあげないと、祖母には誰も話す相手がいなかったから。

でも、それからうちに来る途中で転んで足の骨折っちゃったんだ。年寄りが骨折るともうダメだね。それ以来寝たきりになってしまって、それが進んでボケが始まってしまった。
その頃はもう私も就職してて、時々仕事を休んでは祖母の介護をしたりしたことがある。同じ家に住んでたわけじゃないけど。
祖母の下の世話とかして、それがイヤだというわけじゃなかった。ただ、私のこともわからなくなった祖母を見ているのが辛くて辛くて。祖母がやっと寝入ったあと、何度声を殺して泣いたことか。

生きててほしい。
生きててほしいけど・・・こんな祖母を見てるくらいなら、いっそ・・・そう思ったこともあった。
結局、私の結婚式まで生きていることはできなかったけど。
今でも祖母とのことは忘れられない。
私が小さい頃、夢遊病の気があって、真夜中ふろふろ祖母の家に迷い込み、はっと気付いたら「饅頭食べるか」とニコニコ笑ってた祖母。
小学生の時、老人会のバス旅行に祖母にくっついて行き、バスの中で一緒に「はとぽっぽ」を歌ったこと。それから「はとぽっぽ」を歌ったり聞いたりすると、祖母を思い出してつらいから、しばらく聞けなくて嫌いになった。

忘れられない。
死んでいった人たちは、ずっと私の心に刻み込まれて、忘れられない。
忘れちゃダメだと思う。
たとえ死んでなくたって、もう二度と逢えなくても、忘れちゃダメだと思う。
忘れてしまったら、人としてちゃんと生きていくことできない──そんな気が私はする。

ある人の日記を読んで、そう思った。
慰めの言葉、浮かばないけれど、私はきっと今のその人の気持ち、よくわかると思う。それだけ言いたかった。

ごめんね。
今までほんとごめんね。

23:26

ある人の日記を読んで、というか、私も母方の祖母の話を書いてて、さらにその母方の祖父のことも思い出したのでつれづれに書いてみようと思う。
きっと、おばあちゃんのことばっかり書いてすねてるかも?いや、それはないか。(笑)


祖父は軍人さんでした。
母たちが子供の頃はとにかく怖い存在だったそうです。でまあ、祖母はいろいろ苦労したそうですけど、あまり詳しいことは知りません。でも、祖母が私にグチを話してた中には間違いなく祖父のことも含まれていました、ということで。(^^;;;
けれど孫である私は怖いとは思ったことなかったですね。まあそういうもんだと思いますが。

祖母が亡くなってから、今度は祖父がすぐに具合が悪くなりました。あっというまにって感じです。ボケはしませんでしたけど、祖父は、祖母が寝ていた部屋に祖母が寝ていたように寝込んでしまいました。
ある時、なんでだったか忘れたけれど祖父に会いに行ったんです。当時付き合っていた旦那と、これからどっかに出かけるところだったんだけど。で、二人で祖父の寝床に行きました。もうその頃は結婚式も近かったので「この人が私の結婚する人だよ」って祖父に教えた。だって、もう結婚式には出席できないほど悪くなってたから。

そしたら、喫煙を止められていた祖父だったのですが、旦那を見ると「タバコを持ってないか」と聞いてきました。けれど、ちょうどタバコを切らしていた旦那は「持ってないです」と答えた。祖父は淋しそうに「そうか」と言った。その姿が今でも忘れられません。
それから結婚式の前夜、突然祖父の病状が悪化し、病院に運び込まれたんですね。
私と母は旦那に車に乗せてもらって駆けつけたのですが(もうその頃は私の父も目が見えなくなっていたので車は運転できなかったのですね)、一応病状は安定してました。けれど、このまま式を挙げていいものかどうか私は心配したのですが、死んだわけではないから式はそのまま挙げればいいと皆にも言われました。
式前夜の夜、ほとんど寝れませんでしたね。普通でも寝れないと思いますが、祖父がそんな感じで心配でしたから。

あの夜、最後に過ごした私の小さな城である子供部屋。
カレンダーを飾っていた壁を見つめ、来年からここにカレンダーは飾られないのだなとしんみりとした夜。

祖母にも祖父にも私の花嫁姿を見せることはできなかった。
父方の祖父母は、もうとっくの昔に亡くなっていたので、そっちのほうはそれほど感慨深くはなかったですけど。(^^;;;

私は祖母の存在をいつも感じてました。

信じてはもらえないかもしれないけれど、ただの錯覚かもしれないけれど、私が病気で手術をした時、術後何度も痛い思いをして、夜中に痛みで泣いて、こんな痛い思いするなら死んでしまいたいと思ったけれど、息子のためにも元気にならなくちゃと思いつつ、なぜかいつも祖母のことを呼んでいました。

「おばあちゃん、助けて」と。

すると不思議と痛みはなくなっていったんですよね。ほんとに不思議でした。すーっとなくなるんです。
私はきっと祖母が傍で私の痛いところをさすってくれてたんだと、今でもそう信じています。

人はいつか死ぬ。
それはどうしても避けられないこと。
けれど、こんなふうに誰かの心にずっと残るのなら、その人と一緒にずっと生き続けることができるんだなあと思いました。
私もそんなふうに誰かの心に残りたいなと思いました。



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