18:52 02/10/31(木)晴れ時々曇り。


「天ちゃん日記」21号。

今日はやっぱりちょっとお疲れさんモードでした。(^_^;)
さすがに一気に短編を書き上げるということはできなかったですね。どうも取りかかりにグダグダしてるうちに時間が過ぎて行っちゃいましたって感じです。
ほんとは日記も書こうかどうしようかと思ってたんだけど、やっぱりいろいろ書きたいし。

まず、今書いてる短編の話から。

これは「NORNS」の遊樹美夜さんへのプレゼントなんですね。
19日がバースデーだった遊樹さんなんですが、その時に「おめでとー」と掲示板にカキコしたら、なんかさりげなく『月をテーマにした作品なんぞ・・ほしかったり(ヲイ』とか書かれちゃって、そう言われると何かあげなくては、という気持ちになる天ちゃんなんで、そういうことで書くことになったわけです。
何と言うか、それって強制されてるとか思われる方もいるでしょうが、考えようによっては、それだけ私は「親しい間柄」と相手に思ってもらえてるってことですよね。
確かに、相手に迷惑をかけたくないから、だから「あれして」「これして」って頼めないというの、わかります。私もそうだったから。けど、こうやって「書いて〜」と言われるって、ほんっと嬉しいもんだなあって思います。
今回、カヲルさんに鬼畜とも言えるリクエストをいただいちゃったわけですが(爆)、それもやはりそれだけ私のことを好いてくださってるからだと思います。私は無視されることが一番嫌な人なんで、やっぱりかまわれるほうがいい。愛情に裏づけされたいぢわるって、女にとって何より欲するものだと思うんですが、そうは思いませんか?

とと、ちょっと話がソレてきた。(笑)

で、その遊樹さんにプレゼントしようと思って書いているのが、「Voice Of Moon」という題名の短編です。遊樹さんのサイトで今流れている「遠い旅人」という曲をテーマ曲として流しつつ執筆進めています。ちょっと物悲しくて幻想的な恋愛を書こうと思っています。
まだ「遠い旅人」は配布になっていないので、そのうち配布されたらうちのサイトで公開するときにバックに流そうと思います。それと、遊樹さんは青とか月の壁紙、クリップアートの素材屋さんもしているので(今はまだ準備中)、その壁紙とかイラストを使って小説を飾りつけようと思っています。

さて。

巨人優勝しましたね。(笑)
珍しいとお思いでしょう、私が野球の話するなんて。
つか、野球のことはどーでもいいんですよ。(爆)
夕方ニュース見つつ夕食の支度してたんですが、以前私が勤めていたところでもその巨人優勝セールというのをやってて、その様子がTVに映ってたんですよ。
で、社員さんが何人か映っていたのですが、一人二人「お、あの人だ」という見覚えある人が映ってたんですよねぇ。その中には、この間日記に書いた私の上司だったMさんがいました。はらら〜ちっとも変ってない〜。(^_^;)
辞めてからもう5年経ったのよねぇ。辞めて以来一度も事務所を訪ねるってこともなかったし。店内は何度か行ったけど、ここ2年くらいはほとんど行ってない。Mさんにもまったく会わなかったしなあ。
まあ、私がちっとも米子を徘徊するってことがないから、顔を合わせるってこともないだろうし。ま、別にいいんですけど。

そういうことで。
今日もまたある人の日記から転載。

 長編が好きなんだと思う。小説を書く話だが。
 短編は、せっかく考えたアイデアや世界が、あっと言う間に終わってしまって嫌いである。といっても、実は、あっと言う間に書きあがってくれる事は、全然嫌いじゃなくて、むしろ嬉しいのだが、問題はその後。すぐに次のアイデアを考え出さなきゃならない事で。そこが大嫌いである。

 だいたい、小説を書く作業は、どのフェーズも嫌いなのだが。
 なのに何故書くかと言うと、大抵の事はどんな仕事でも大嫌いで、やりたくない。しかし、始めると、どんな仕事でも結構集中できて面白い。だから世の中救われると思うのだが。しかし、ものによって、集中の度合いが違って、その違いで、できが変わる。
 負けず嫌いの私は、たかだか集中の度合いで、せっかく大嫌いな仕事をしているって言うのに、人に負けてしまうって事が我慢ならなくて。仕方が無いから、もっとも深く集中できる事をやろう、と小説を書くわけだ。まだ負け組だが、それはちょっと置いておいて。

 それで、その大嫌いな書く作業だが、中でも、真っ白の中から、形の足がかりを掴む部分が一番嫌いである。なぜなら、今が、その真っ最中だからだ。きっと、足がかりができたら、枠がある中で、でも、枠を思考から外して空想をしなきゃいけない、書き始めのフェーズが一番嫌いだ、と言っているに違いなく。書き始めると、すぐ、先の構成に囚われて、今の今、夢中にならなきゃならない場面を忘れて流れてしまう、途中が嫌い、と言い。最後にくると、全部を纏め上げなきゃならないのに、つじつまがなかなかあってくれないところが嫌、と言い。書き上げた瞬間。どんな話しを書いていたか忘れちゃって、出来がわからなくて不安で嫌い。となるに違いないのだ。合間、ちょこっと「やったぁ〜! 終わったぁ〜!」となるのだが、それはちょっと置いといて。

 なので、今は、書く前のアイデアを練るこの瞬間が一番嫌いなのである。でもって、一度アイデアをしぼったら、しばらく考えなくても良い長編が、断然好き! なのだ。

私はどうだろう。
私はアイディアだけは星の数ほどある。
ただ、書き始めると長くなってしまう。短編を書くのが苦手なのよね。
昔はそんなに長く書くってことができなかった。それはやっぱり表現力がなかったから。
というか、今でも表現力はまったくない。だったらどうして長く書けるのかというと、私はこういう日記のような独白型の書き物となると異常に長くダラダラと書けちゃうからだ。
どこかで誰かが言ってたけど、こういう独白型の小説っていうのは読みにくいとか。あまり歓迎されないんだって。私はそういうの読むのも好きだから、だからどうしたってこういう書き方になってしまうし、それ以外だと書きにくくてしかたないのね。
今回の遊樹さんの短編にしたって、最初は一人称じゃない書き方してたの。「彼女はどうしたこうした」とか、そういう書き方。ところが、やっぱり進まない。で、一人称、「あたしは思った」という書き方に直したら、おもしろいほど進む。うーむ。私は一人称しかもう書けないのだろうかとちょっと怖いですね。
実は、以前から「書くぞ書くぞ」と言ってる「君に捧げるロザリオ」という物語は三人称なんですよ。だからなのかな、なかなか進まないのは。けど、この話は絶対一人称では書けない内容なんで、というか書けないことはないんだろうけどとっても難しいので、やっぱり三人称で書かなくちゃなーと思ってます。ストーリーはかなり凝ってて早く書き上げて投稿したいんですけどねぇ。

で、↑で転載した日記の作者が、ショートショートを書いて妹さんに読んでもらったけど「わけわからん」と言われたそうな。好奇心持った私はそれを見せてくれいと送ってもらって読んだんだけど、ワケわからんものじゃなかったんですよね。
思うにショートを読んだことがないんじゃないかなと思って聞いてみたら、やっぱりそうだった。ショートっていうの、星新一を読んだことある人なら「こんな感じ」っていうのがわかると思うんですが、最近ではそういうショートのいいものってあまり聞かないですよね?
まあ私が知らないだけで、もしかしたらショートのうまい作家っていうのいるかもしれないですが、私にとってショート作家といえば星新一ですもん。これがまたブラックユーモアがきいた素晴らしい作品ばかりで、読んだことない方は読まれたらいいと思います。ただ、このジャンルは好き好きがあるかもしれない。SFがほとんどだし、たいがいサラリーマンとかが主人公であることが多いからね。

サラリーマンといえば、何となく思い出すのが眉村卓です。(なぜ?^^;)
この間新聞に眉村さんのコラムが載ってて、ほおほおと思ったことが書かれていました。
眉村さんは病気の奥さんのために毎日三枚以上のショートを書いたそうです。その奥さんも亡くなり、今はもう書いてないらしいですが、その奥さんのために書いていたショートというのが

『大上段に振りかざしたものではない日常的な、実生活の体験豊富な人にこそ面白いであろう、少しひねった明るい話』

だったのですが、まさに星さんが書かれていたショートというのがそういう感じのものでしたね。
ただ、眉村さんは

『こういうのを楽しんでくださる方が少なくない半面、大方の「本読み」には何の興味も呼び起こさないらしいということを、思い知らされた』

だそうです。
で、

『それは、小説とか読み物に対する欲求の違いなのかもしれない』

と言われています。

いつだったか、小説を読むのはどうしてか、という話をある人たちとしたことがありますが、やはりほとんどの人が「日常的なものじゃないのがいい。夢を見させてくれるから、だから夢のあるものを読みたい」ということでした。

それはもちろん私だってそうです。

私が物語を書くのは、「私」という人間ではできないことを物語で書いて擬似体験をしたいからであって、読む側に立ってもそれは同じです。夢のあるステキな話を読むことで擬似体験をする。そういう本の読み方はとても幸せで安定しているんですよね。
たとえば、今私がのって書いてる「恋愛物語」にしても、「私」ができないことを主人公にしてもらって擬似体験をするっていうことで、それが受けて皆も「いい、いい」と言ってくださるわけです。

けれど、物語ってそれだけじゃないんですよね。

私が「文学の横道」で書いてるような純文学傾向の話にしても書きたい欲求はあるし、またあの作品はわりと共感を覚えてくださり、けっこう好きだと言って下さる方もいるんですよね。

眉村さんはこう言ってます。

『青春時代に擬似体験として、あるいはカタルシスのために読む小説と、社会体験を積み自分なりの生き方ができてから読む小説は、違っていて当たり前なのではあるまいか。この両者の間に小説どころではない時期を置くと、山が二つの「ふたコブらくだ」のかたちになるのだ。』

そうだよなあと思います。

私なんかも好んで読む小説がなんか昔と違ってきている気がするし。いわゆる恋愛ものなんかは昔はマンガとかなら好んで読んでたけど、小説で恋愛物ってあまり読まなかったですね。ほとんどSFばっかりで。まあそのSFにも恋愛っぽい逸話とかあったけれど、それ本位というわけじゃなかったですね。
けど、今はバリバリ恋愛物が読みたい〜と、ドロドロした愛憎物なんかツボ〜ってなってるんだから、やっぱり趣味趣向が変ってきているよなあと。
つか、それって昼メロじゃんとか思ったり。やっぱり、私はハーレクィーンを目指してるかもしれない。(爆)

inserted by FC2 system