15:04 02/10/16(水)晴れ。


「天ちゃん日記」9号。

昨日はそういうことで(笑)、日記書きモードにはなれませんでしたねぇ。書きたいことはあったんですけど、もうHP作業しか頭になくて、なかなか諸々のことまで思いを馳せるということができませんでした。
それに今日はいよいよ夜に学校に行くことですし。なかなか気もそぞろでって感じでいかんですなぁ。

まあ、そういう話から入るとまずこの話になっちゃうのですが、掲示板にも書いた「サイコドクター」に絡んだ話。まああちらには突っ込んだ話は書けないのでこっちに書くことになるんですが、かなり不快な話までしちゃうことになろうかと思います。ご覚悟願います。(笑)

まず。核心の話の前に。

さきほど「サイコドクター」を見終わった後に夕飯の買い出しに行ってきたのですが、チャリコを走らせつついろいろぼんやり考えてました。
というか、はたと思いついたことだったのですが、今夜私は学校に行くことになっているのですが、やっぱり行くのがユウウツなんですね。自分で「行く」って決めたことではあるんですが、何とかして行かなくてもすむような言い訳っていうのを無意識のうちに探しているんですよ。

で、思った。

私ってこういうことってよくあるよなあって。しかも、行きたくない場合に限らず、行ったら絶対楽しいってわかっている場合でも「行く」という段階になるととたんにユウウツになって行かなくてもいいことにならないだろうかって考えちゃう。

これって、何だかおかしいぞって思ったんです。

普通だったら遊びに行くことでユウウツなんて感じないものじゃないですか。けど、どうもよくよく記憶をたどってみると、私って必ずといっていいほどどこかに行くことになると「行きたくない」という気持ちに囚われる。
だけど、それはどうしてだろうって、考えても考えても理由がわからないんですよ。ただの根性なしとか、ナマケてってことかもしれないけれど、それにしちゃあ「行きたくない」だけじゃなく「行きたい」って思っててもユウウツで、行かなくちゃならない時間になるまでずーーーーっとそのことばかり考えてしまって、神経がまいってしまうんですよね。

やっぱ、これって一種の神経症なのかなあとか思ったりしますが。

どこにも行く必要なくて、こうやって家にいる分にはすごく安定してるし、ちょっとそこまで夕飯の買い出しくらいならユウウツになるってことはないんですよね、むしろ散歩してる感じで気持ちいいし。
けど、ちょっとそこまでの買い物っていうのは「この時間までに行かなければ」っていう圧迫感がない場合はいいんですけど、やっぱり「この時間までには帰っておかなくては」というのがあるとユウウツになりますね。

で、核心。

今回見たドラマの内容は、見たことある人ならわかると思いますが、高所恐怖症の女性が、どうしてそうなってしまったかというのを解いていくというのだったんですが。
その女性は幼稚園時代の記憶が一切なく、どうやらその頃に何か記憶をなくしてしまうような出来事があったということ。で、まあそれが父親が突き落とされて死んでしまい、それを目撃してしまったためにショックで記憶をなくしてしまったというわけです。
けれど、高所恐怖症というものが残されてしまったということは、完全に記憶っていうのは消去されるわけではないということですよね。そうじゃなきゃ、恐怖症なんてものが残るわけないもの。だけど、好きだったおじさんに父親が殺されてしまったという記憶は、彼女から消えているわけです。
たぶん、そういうことって実際にあることなんでしょうが、やっぱり実感としては感じ取れないところがあります。

そもそも、どんな悲惨な出来事だったら人の記憶ってなくなるもんなんでしょうか。
私だって思い出せないだけで、忘れてしまっている事柄ってあると思います。ただ、ドラマで紹介されていたようなひどい恐怖症というものがないので、ドラマの女性のように悲惨な経験ってなかったんだろうなと思いますが。
けど、だったら、私が経験した「あの出来事」はどうして記憶から消えてないのでしょうか。
まあ、「あの出来事」というのは去年の日記にも書きましたが、乱暴されかかったことですね。未遂だったとはいえ、あれはショックでしたよ、小6の私にとっては。
けど、ありありとあの日のことは覚えています。
雨がしとしと降ってて、道はぬかるんでて、私は赤い傘を差してて、着ていた服装までハッキリと覚えています。
なぜあのことは私の記憶から抹消されなかったのだろうか。
未遂だったからなのか?
もし私が不幸にして強姦されてしまっていたら、どうだったんだろう?
忌まわしい記憶だということで、ドラマの女性のように記憶を封印されてしまっていただろうか?
いや、待てよ。
今気づいたんだけど。
もしかしたら年齢がすでに12歳だったから、だから神経が耐えることができたのかもしれないなと。

恐らく、年齢がだいぶいってしまっても、それでも記憶喪失になってしまうというようなことはあると思います。きっと、私の身に起きたことなんかよりももっと悲惨なことが起きた場合に、なんでしょうけどね。
私の身に起きたことはそれはそれで不幸なことではあるんだけど、世の中に転がっている悲惨なことに比べたらまだマシなこと。
けど、どこだかの掲示板で言っていたような「死ぬよりマシでしょ」と言われるほど軽々しいことではない。
人にはね、死んでしまったほうがまだマシだと思えるようなひどいことっていうのはたくさんあるんだよ。そんなこともわからんヤツが「死ぬよりマシ」なんて言うな。あんときゃほんっと怒り心頭でしたね。なら、てめぇも同じ目に遭ってみろって。想像力のかけらもねぇヤツが利いた風な口きくなって言ってやりたかったさ。
けど、ああいう手合いは、絶対に認めようとしないんだよ。まったく、どっちがクズなんだか。

とと、怒ってる場合じゃなかった。σ(^◇^;)

ええと、不快な話っていうのは。。。

今はもう大丈夫なんですが、一時期、実は私の記憶違いで、本当は未遂じゃなかったんじゃないだろうかって疑いを持っていた時期があったんですよ。
まあ、私もけっこうマセたところがあったんで、よくお話とかで「処女の人が初めて交渉を持ったら膜が破れて出血する」っていうことで、昔は結婚する女性が棒かなんかを突っ込まれて処女であることを証明したとかいうのも聞いた事あったんですよね。
ところが、私の場合、まあ恥ずかしい話(こういう言い方もマズイんでしょうが)旦那が初めての相手です。けれど、出血がなかったんですよ。そういう話を旦那としたかどうかちょっと忘れちゃいましたが、出血しなかったということで一時期「私って処女じゃないのかも?」と自分自身を疑ったことがあります。でも、そういう交渉を持ったということを忘れるわけないと思いますから(しかも、男の子とお付き合いしたことないですし)、普通なら「考え過ぎ」ということで片付けるんですけど、あいにく私の場合はそういう未遂事件というのがありますので、疑惑がどんどん膨れ上がる。

もしかして、未遂というのは記憶違いで、本当はされてしまっていたのでは??

まあ、それも今では知識がありますので、処女でも出血しない人はいるんだと知っています。けれど、当時はとにかく記憶喪失になっているのではと、悶々とした時代がありましたね。

それにしても。

やっぱりこういう心理関連の話は、どうにもこうにも心が惹かれてしまいますね。短大の時、心理学がけっこう得意な私だったんですが(かくゆう就職の時の履歴書には心理学が得意って書いたんだ^^;)、人の心というか、考えを聞くのは本当に好きですね。

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