16:42 02/10/08(火)曇時々雨


「天ちゃん日記」第3回目。

ちょっとカウンターの回りが激しくて複雑な気分。(^_^;)
たぶんー、いろんなとこから物見遊山で来てるんだろうなーって思う。物見遊山程度ならいいけど、頼むからもうケンカ腰カキコはやめてね。(爆)
てゆーか、もう突っ込むネタなんかないもんねー。わははは。(ーー;)…なんかむなしい。(大爆)
誰かが呟いてましたが、なんかもうカウンターいいやって。たくさん人が来たら来たで、いちゃもんつけてくる人いるだろうし。確かにたくさん回ってるのは嬉しいっちゃ嬉しいけど、今回の回り方はやっぱ大手掲示板が原因でしょーし。
まあ、なんだなんだとやってきて、「おや、けっこうおもしろいじゃん」ってなってくれれば儲けものだけど、小説まで吊るし上げられたらかなわんよなー。真摯に批評してくれるんならこっちだって嬉しいけれど、やっぱさ、「こいつ嫌い、だから書いてるもんもクズだ」ってことになったら、イヤじゃん。ま、私の耳にさえ入らなきゃ、別にどんなに好き放題叩かれようがかまやしないんだけどね。

えーと。

今日は旦那は休みだと思ってた。けど仕事でした。
昨夜帰ってくるなり「頭痛い〜、吐き気する〜」と倒れこむように寝てしまいました。
疲れでそうなったんだと思いましたが、まあ明日は休みだしゆっくりすればいいじゃんと思って、私はダレンの本を読んだりたまってた新聞を読んだりしてました。で、12時頃になってさあ寝るかと思ったらごそごそ起き出してきたんですよ。
寝たらちょっとよくなったって。
で、ご飯食べるっていうので用意しました。一応「えー、もう寝ようと思ったのにー」とぶつぶつ言ったんですが、まあ明日は休みだしーってことで。
結局寝たのは1時頃だったのですが、旦那は私が寝たあとお風呂に入ったらしいです。そっこーで眠っちゃったんで、なんか髪乾かしてる音がしてたなーってくらいしか覚えてません。けど、よくよく考えてみたら、次の日が休みならわざわざお風呂入ったりしないよなあって。(^_^;)
で、今朝7時にいつものように携帯時計のカノンで起きたら、隣でボソッと旦那が「今日仕事だから」って。えー、そんなー、ご飯しかけてないよー。眠たい〜と思いつつ起きて(まあ、息子ちゃん起こさないといけないからねぇ)ご飯を炊く準備しましたさ。

それにしても、旦那さん、えらい。(^_^;)

前も日記で書いたかもしれないけど、以前の旦那だったらこんなとき絶対休んでたな。まあ、今だってほんっとにしんどい時は「休む〜」となりますが(当たり前だ)、以前はそれが半端じゃなかったんだもん。一週間は平気で休んでた。(や、平気じゃなかったとは思うけどね)
ほんと旦那さまさまです。いたわってあげなきゃ。

さて。

ダレン・シャンの2巻目の話いきましょか。(笑)
1巻で虜になっちゃいましたが、2巻では、さらに今度はこの話を書いた作者に興味が出てきました。
TVで優しそうなおじさん(とはいえ、たぶん私とそんなに歳が違わないと思うけど)が出ててその人がダレン・シャンだと知りましたが、なんというか、最近ka-koさんとの間で「シンクロ〜♪」というのが流行ってるのですが(笑)、ダレンに対してもそう思っちゃいました。(^_^;)
やー、別にこの話を書いてるから、話の中で語られているいろいろな世界観とかをダレン自身が「本当にそうなんだ」と信じているかどうかはわかんないのですが、やっぱり読んでる側の気持ちとしては、自分と似たような考えが物語で書かれていたら「おおっ! 私もだっ!」となっちゃうのは仕方ないよねぇ。(読者のワガママってやつですな)

というのも、2巻では自分をバンパイアに引きずり込んだ男と一緒に旅をダレンはしてるのですが、その中でいろいろと「バンパイアというものは」というのを聞かされるわけです。
で、驚いたことに、そのバンパイアの性質というものが、私が今書いている「ガーディアン・チルドレン」に出てくる神と同じだったんですよ。
それから、クレプスリー(ダレンをパンパイアにした男)にダレンが「神さまや天国を信じる?」と聞くのですが、天国というか「楽園」というものがあって、まっとうな暮らしをしていたら死ぬときに魂がたくさんの星や銀河を越えて、宇宙の彼方のすばらしい世界に辿りつくというんですよ。
おー、これって私の小説で言うところの「常盤の彼方」ってやつですかー?(ごめんなさい、読んでない人にはわかんないですよねぇ^^;)

そりゃね、私の考えた世界観っていうものも、今まで読んできたマンガや小説に基づいて作り出したものでしかないので、誰かが考えたっておかしかないんですが、何だかダレンの考えた世界観が一番私の世界観と似ているっていうの───なんかやっぱり私の前世って日本じゃない、西欧のほうなのかなあって思います。

ところで、話変りますが。(笑)

やっぱり私は中島さんの考えに共感するところあったりします。
ああ、こうやって好きなだけ中島賛歌できるっていいですねぇぇぇ。ふむ、こんなだから「中島教祖の信者だ」と言われちゃう所以なんでしょうが、頭悪いヤツだけだよ、そういうこと言うのは。(^_^;)
確かに、私が中島さんの言われることで「そうだよねぇ」って思えることだけしか取り上げてないからそう思っちゃうんでしょうけど、それこそ何も知らずに決めつけてるってことですよ。ちゃんと本音聞いてから判断しなさいって。
私に議論ふっかけてきた人だって、ようするに私の本心を知りたかったわけでしょ。(ああ、また話をぶり返してるよ天ちゃんってば、ま、いっか^^;)
本心知りたかったら、まず最も親しい友人になる努力しろよって。いきなり初めてやってきた人間に、そうそう本心なんか喋るかってんだ。(またキャラ変ってます^^;)

(`´メ)ヾ(^_^;)どうどう。(笑)

えっと、そういうことを話そうとしてるんじゃなくて(爆)、今日の中島さんの日記(10/8)でこう書かれていました。できたら全文は向こうで読んでもらいたいけど。

『小説のほうが技術的にあるレベルに達してないとなかなかひとを感動させたり動かすことはできないですね。まして、文字という、非常に一応理性的であるべき媒体を使って感情を動かすわけですからね。』

これ見たとき、私の小説でそれがお世辞でも何でもなく、本当に「感動して涙出ました」と誰かに言ってもらえたとしたら、それは私にも少しは才能っていうものがあるのかなあって、そう中島さんは言ってくれたのかなあって思いました。そうだとしたら、何だかとっても救われた気がします。
今までに私の小説で「感動した」「涙出た」という声は、少ないながらも聞いてきましたが、それが嘘ではないと信じきっていいものかどうか自信がなかったりします、実のところ。こんなこと言ってはせっかく感想くださった方に失礼なことなんですが。だって、本当のことを言ってるかどうかなんてやっぱりその本人にしかわからないことですからね。
けど、少なくとも自分自身は自分の書いたもので泣いたことはあります。
だから、きっとたった一人でも誰かきっと本気で泣いてくれた人がいただろうと思う。そうであってほしいと思います。

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