2002年9月22日 23:00(日)曇り時々雨
またまた
注意報発令!! ***** 今日もちょっと爆裂してます 読んで気分を害されたら ごめんなさい 責任持てないので ヤな予感する人、 そして 読みたくないなーって人は 今すぐ回れ右してください ああっ! もうっ! なんで私の言いたいこと わかってくれないかなぁ? ええ、そりゃね、私の文章能力がてんでなってないからだと思いますよ。けどね、私が言いたいのは。 どんなにひどいことされたからって どんなに理不尽なこと言われたからって それでも それでも 許そうっていう そういう気持ちが 戦争をなくすってこと それを言いたいんですよ。 日常に起きる小さな出来事。 ちょっとした嘘や裏切り───そういうことに泣いたり腹立てたりすることは数限りないほどあると思う。 けれど、それが起きてしまったからといって、それをずーっと引きずって好きだった人を憎み続けるなんて───そういうことをする人は、口でどんなに「平和になりますように」って言ってても、私は「それは偽善だ」って叫びますよ。 なんでわかってくれないんですか、そういう簡単なことを。 まず、 自分から 相手を許すってことを やってみようじゃないですか それは理想論だ。 そんなこと言ったって、自分がその立場になったら「許せるのか?」って言うでしょうね。 もちろん、その瞬間は憎みますよ、それは確かです。 けれど、それをずーっと引きずることは絶対ないです。 以前にも日記で告白しましたが、私は少女の頃に乱暴されかかったことがあります。許せないと思いましたよ。確かに。それ以降男性恐怖症にまでもなったくらいですからね。 未だに犯人はわかりません。そりゃ警察に届けてないし、相手の顔なんて覚えてないですからね。 けれど、悪夢ではありましたけど、すでに私の心の中ではそれも思い出として片付けられ、そして、そういう悪夢でさえも「私」という人間を形作る重要なものとして位置付けられています。それを私は不幸だなどと思っていません。 ただ、私は強姦された女性の気持ちは痛いほどわかると言えるだけです。これは経験したことのある人にしか言えないことでもある。 だけど、たとえば他人に、「それは不幸ではあったけれど、大変貴重な経験なんだよ」と言われて、逆上なんかしませんよ。そう思わなくちゃ、この世界を生き抜くことはできませんからね。 確かに「強姦されかかったことと拉致されて処刑されたことは違う」のかもしれません。でも、私は言いたい。 なんで比べるの? 事件そのものは違うでしょうよ。 けど、どういう事件がその人にとって辛く痛々しいことかなんて、その人にしかわかんないんですよ。もしかしたら、拉致されて処刑されることよりも、虐待されてる子供の方が悲惨なんだって思う人だっているかもしれない。 どうしてそんなこともわかんないのか 私はそのことに憤りを感じます ……ちょっと感情的になりすぎました。 すみません。 あるものを見て、ちょっと取り乱してしまったので。あ、例のトピのことじゃないですよ。(爆) 私はね、思うんですが。 平和を望む人、戦争をなくしたいと思っている人の中に、どれくらい本当になくしてやろうという気持ちを持っている人がいるんだろうってね。 平和や戦争皆無のために、すべての人が同じことを考えるようにすればいいのだと本気で思っている人がなんと多いことか。 同じことしか考えない、同じ思想ばかりに固執する───それがどれほどの悲劇を生むか知ってるはずです、みんな。なのに自分とは違う考えを持っている者を攻撃する───まだ認めないくらいならマシだと思いますけど、明らかに行動で、言葉で攻撃する──そのことの恥ずかしさをどうしてわからないんでしょうか。 自分が正しいのだと思うことは勝手です。だけど、それを押しつけないでほしい。呟いているだけならいいですよ、まだ。中にはそれさえも許せなくて、攻撃する人もいますけど。 どんな意見があったっていいじゃないですか。 罵り合うんじゃなく、もっと相手を尊重しつつ、配慮しつつ「私はこう思う」って言えばいいと思うのに。「配慮してない」と言ってるはなから配慮に欠ける攻撃してるんですものねぇ。 とにかく、自分の正しいと思っていること、それに酔いしれないことだと思います。常に自分は「もしかしたら正しくないのかもしれない」と思う心が大切なことなんじゃないでしょうかね。 よく私は「天慈さんのことわからなくなった」と言われることが多いのですが、どうやら私の本心というのがわからないということで、そういう言葉がでるらしいですね。 旦那曰く、 「お前の書くものはカオスだ」 と。 特に日記を読んだら「こう言ってたのに、今度は逆なこと言ってる」となるらしい。 私って前にも言いましたが、「こう一本筋の通ったもの」っていうのがないんですよ。どんな考えも、どんな行動も、どれも間違ったものはない、どれも正しいものってないっていうところがあるからなんです。 そういう人間が小説を書くっていうのはおかしいと言われる方もいると思いますが──実際言ってる人を見たことありますし──けれど、小説を書くことと私の資質は別にして考えてもらいたいと思います。 それこそ、中島さんが例のところで「人間性を疑う人が書くものなんか俗悪だ」みたいなことを言われていますけど、確かに、その人間の持っている匂いというか、雰囲気は作品に出てくるとは思いますが、少なくとも私に限り、たとえ「やだわ、この人」っていう人の作ったものでも、作品が素晴らしければ、作品だけ見て評価しますよ。そこらへんわりと客観的に私は見るほうだと思いますけど。 ま、だからといって、「私はこの人が嫌いだから、この人の書いた物なんか嫌い」っていうのもアリでしょうし、そういう人のことも認めたいと思いますけど、たぶん、そういう人は人間的に成長できないんじゃないかなって私的には思います。別に成長なんかしたくないってその人は思っているかもしれないんで、私も親切に「それじゃダメだよ」なんていうことは教えたりはしませんけど。(いぢわるなのはカヲルさんだけの特許じゃないんだよ^^;) とと、だから、「カオス」の理由はですね。(話がソレたわ、またしても^^;) 私の考えがフラフラと定まらず、どっちにも転がっていくということです。一応私の中にも基本っていうのがあって、それに基づいていろいろ見聞きしたことについて考えたりするんですけど、旦那の考えがまた私とはわりと違うっていうのもあって、それで旦那の考えとかを聞いたりして「ああ、そういう考えもあるよなあ」となってしまうからです。 うーん、わかります? つまり、私の日記は私の考えや旦那の考え、あるいはいろんな友達の考えがごちゃまぜになってて、混沌とした場所になっているということで「カオスだ」ということなんですよ。 でも、思うに、一方向だけにがむしゃらに進む───っていうのもいいですけど、やっぱりいろいろなものがあって、切磋琢磨してぶつかり合って進んでいくっていうのがいいと思いません? まあ、そう言ってしまうと、例のトピも違う意見がぶつかり合っていいのかもしれませんけど、あれはいただけない、ただの苛めじゃないですか、今は。みっともないのはどっちですか。まったく。 いやはや。 なんか今日もまたしても喧嘩腰な日記になってしまいましたね。 ま、しかたないか。 裏日記やめたし、メールとかでいろいろ聞いてもらったりしてはいるけど、どうにもこうにも腹に据えかねることもでてきてしまっちゃったしなあ。σ(^◇^;) けど、私の場合は引きずりませんよ。それは保証します。そこらへん、私の母親の血を受け継いでいますので、大丈夫。 私は、どんな人でも基本的に好きです。そして、いったん好きになったらとことん好きであることはやめません。たとえ、嫌われようが何しようが、私の「好き」は永遠です。 ……こういう人がストーカーになっちゃうんでしょうね。σ(^◇^;) あ、でも大丈夫。とっても小心者だから、心で思ってるだけですから。たまに小説のネタにしちゃったりするくらいかな?(それがイカンのかも?^^;)(→この記事に関連する掲示板でのやり取り) |