2002年9月21日 15:22(土)晴れ


今日は最初にちょっと真面目な話を。

実は私、ヤフーさんのIDを削除しました。
前々から削除しろと言われていたこともあったのですが、やっと削除する決心をいたしました。
とはいえ、その原因がヤフーの「栗本薫の本」のトピックスであるというのは違うということをここに銘記しておきます。というのも、恐らくあのトピの常連さんはうちの日記を読みに来ているのかもしれないということで、もうあそこにはしばらくの間カキコが出来ない私を「しもらーは逃げたんだ」と思われるのもちょっとばかり不本意だなーと思いまして。(ありゃりゃ、かなりいい訳がましいですねぇ^^;)

まあ、きっかけとなってしまったことは確かなのですが。(^_^;)

けれど、一番の原因はヤフーさんのメールサーヴィスに疑問を持ったということです。それ関係でちょっとトラブルに巻き込まれたので。いずれはまたIDを取得しようとは思いますが、とにかく削除願いが出ていたということで、削除をいたしました。

ご存知の方もおられると思いますが、中島さんの日記(この間私もここでご紹介しましたけど)の例の微妙な話題のことで、かなりトピで激論となっております。私もここでご紹介してしまったということで、本来なら何か発言を───と言われても仕方ないのかもしれませんが、私はそれはやってはいけないことと思っています。擁護することも、そして糾弾することも、誰もやってはいけないと私は思うようになりました。(以前はそういうことをやって、私自身も傷つき、そして何よりも中島さんにもご迷惑をおかけしたということもあるので、教訓として思い知ったというところですか)

それはなぜか。

あの話題は、確かに私の身にも起き得ることかもしれない、あなたの身にも起き得るかもしれないと、私もここで言いました。だから、忘れてはいけない、とも。
けれど、現実さらわれたのは私ではなくあなたではない「他の誰か」であったのです。どんなに想像しても、それは現実味を帯びはしない。
確かに、私も中島さんのように、その当事者が「こうだったのでは」「ああ思っていたのでは」と妄想を膨らませることはあります。それは物を書くという人間ですからもう仕方ないことではある。そういうことは皆さんもご承知のようです。

で、問題になっているのは、それを心にとめておくのではなく公の場所で公言されたということなのでしょう?
今回のことは、私も「そうだよなあ、そういうこともあるだろうよなあ」と思ったことは確かです。けれど、そういうふうには思えない人だっているでしょう。
どんなことを思ったっていい───それはみんなわかってる。
だけど「当事者の気持ちをわかれ、家族の悲しみを考えろ」───それは他人が言うべきことではありません。
家族の悲しみや辛さをわかってあげなくちゃ───と、思うことは思ってもいい。けれど、中島さんに「公に書くな」と言っているのであるなら、それを言う人も「公に書くべきではない」のではないでしょうか?

いいですか。

当事者、あるいは家族の方が中島さんに抗議されるなら当然のことでしょう。しかし、それを赤の他人が言うべきことではないのではないでしょうか。もしどうしても意見したいというのなら、あのような公の場所の掲示板ではなく、直接メールをすればいいわけです。それは当たり前のことだと思うのですが。(これは、私の短いネット活動で身に沁みて経験してきたことなので、言えることなんですけどね)
もし仮に、糾弾された方が被害者の家族であるというなら、それならまだわかります。それでも、ああいうところで書かずに、直接中島さんにコンタクトとるべきですけれど。なのに、プロフも公開しないような誰ともわからない人が、言うべきことではない。
だから、私も中島さんのことを擁護するつもりもないし、そして、糾弾している人たちの肩を持つ気もない。そして、私だってあそこに何かを書くつもりもないのです。

どうして、そういう子供でもわかるようなことを、皆わからないのだろうと思います。一人そういうわきまえを持っている人が果敢にカキコをされていましたが、ごめんなさい、ヴァレさん、私にはとてもああいう馬鹿な人たちの相手はできません。(私も馬鹿ですけど、私以上に馬鹿な人たちなんだもの)

ということで、この話題はおしまいです。
関係ない人にはイヤなお話をしてしまいました。申し訳ありませんでした。(→この記事に関連する掲示板でのやり取り

まったく、今日の壁紙にそぐわない話から始まってしまいましたね。(^_^;)
まあ、この私もよくここで暴走してしまってお叱りを受けるのですが、私の場合は私のグラウンドであるこのサイト内の掲示板なりメールなりで辛口意見はきますのでいいんですがね。
本当に売れっ子作家って大変だなあと思います。
中島さんがよく言われているように「作家なんていいもんじゃないよ」っていうのも確かにわかりますね。ただ、そういう辛いことでも果敢に立ち向かう気持ちさえあればやってはいけると思うので、そういうことはちゃんと理解して作家の道は目指さなくてはなりませんね。
私はどうもだめなような気がするなあ。(^_^;)
このまま死ぬまで趣味で書いていくのがいいのかも。ちょっと気弱になっている天慈さん。(^_^;)

が、しかーし!!(またしても、旦那の口癖がっ!^^;)
そんな弱きになってちゃいけやせんぜ、天慈さん。(爆)

ウダウダと日記を書きつつ、メルチェなんかしちゃったりしてたら、ものすごく嬉しいお誘いがきました。それはまあ、ここではまだ書けないことなんですけど、なんといいましょうか、私を詩人として見込んでのコラボのお誘いでして───見たか、ナ○シーポエマーとかぬかしている方々(爆)、ナルシーの第一人者(なにそれ、天慈さん?^^;)である私だって、認めてくれる人はいるんだよね。

私は、自分の詩とか小説が、他の誰かよりも優れているなんて一度だって思ったことはないです。

確かに、「私の書くものおもしろい」とか「私の書いたの最高」とか言ってますが、それは他人と比べてではなく──というか、比べること自体がおかしいと思っている私なので、そりゃー、他の人たちから見れば「くだらん自慰行為でしかない詩や小説だ」と言われちゃうかもしれないんですけど──私自身が読んでみて、何度も読み返しちゃったり、笑ったり泣いたりできるから、だから「私の話ってけっこういいかも」って思うんですよ。それをナルシーだと言われてもまあ仕方ないなとは思いますが。だけど、自分の作品はやっぱり自分が一番好きになってあげなくちゃダメだと思いますね。それからですよ、自作を客観視するのは。
ま、そういうわけですけど、幸せなことに、まったく誰にも見向きもされてないというわけじゃないですよね、私の作品って。それは信じてもいいんじゃないかなあって少しは思えます、こういう「書いてほしい」というお誘いがくるってことは。
私、嬉しいです。
ほんと、詩も小説も書いててよかったと思います。
新聞社への詩の投稿も、また再開してみようかなあとも思えるようになりました。書きたい詩が出てきたから。

がんばるぞーっ!(≧◇≦)ノ

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