2002年9月13日 22:25(金)雨時々曇り


昨日はほんとにいいんだろうかっていうくらいに、ジャンのせいで(せいで?──なんていう声が聞こえそうだ、カラカラという回り車の音とともに^^;)その前の日のトップとはエライ違いの「のほほーん」としたトップになってしまいました。
ほんというと、元の秋チックなトップに戻すつもりだったけど、あまりのラブリーさにしばらくジャンのトップにしようと思う───よい?(誰に聞いてる、誰に^^;)

けどねー。

昨夜仕事から帰って来た旦那に、嬉々として見せたら「あ、使ってやんの」って言われた。Σ( ̄▽ ̄;えっ、使っちゃいけなかったの?
というか、「同じこと考えてるし」と言われたんですが、実は旦那も「ジャンのお部屋」っつーもんを作ろうと思ってたんだって。で、何枚かジャンを写したのがあるんですが、あの写真が一番よく撮れてて、一番ジャンの性格が出ている写真だったので、あれをトップにしようと思ってたらしい。それを私が先取りしてSISのトップで使っちまったというわけ。
壁紙を作って日記に貼りつけるっていうのは話してたけど、トップのカットを作るとは言ってなかったので、ちょっと残念がっている旦那さま。(><)ひーん。。すみませんです〜。

でも
かわいいでしょ?(笑)

ということで、「天慈が一番っ!」な私は(爆)、しばらくあのトップでいかさしていただきます。つーか、ほんとうちのサイトってなんのサイトなんでしょうねぇ?σ(^◇^;)

今日は雨がかなり降ってました。今はもう降ってないですが、日曜日は晴れとまではいかないまでも運動会に差し障りない天気になってほしいです。あまりに天気が良すぎるのも困りもんですし。私がまいってしまいますのでね。(^_^;)

というか、なんですか、それ?(爆)

何でも5年生の種目に「ビューティーコロシアム」というものがありましてぇ(爆)、息子が「もしかしたらお母さん、呼ばれるかもよ」なんて言うもんですから、「それは絶対いやー(><)」と叫びましたさ。お願い、天慈さんにそんなこと頼まないでー!(><)……その種目が始まったら雲隠れしよう、うん。(ダメダメ天慈さん^^;)
あああ、ただでさえ運動会なんていう行事が苦手なのに、それ以上に私に精神的苦痛を与えないでほしいです。今から日曜日がユウウツなのに。。。ああ、こもっていたい。(ρ_;)

んで、本日は義母が病院に行く日なので、いつものように旦那が運転手をしたのですが、私も買いたいものがあったので(製本用の紙もね^^)ついていきました。今日は明日から連休ってこともあって患者さんが多くて帰るのも遅くなってしまいました。帰りがけに、その病院の近くのスーパーで適当なものを買って帰ったのですが、そのスーパー、私たちが新婚時代に毎日買い物してたスーパーだったんですね。やー、なんかちょっとばかしノスタルジー。息子に旦那が「おまえが生まれる前にこの近くに父さんたちは住んでて、母さんは毎日ここで買い物してたんだぞ」って言ったら、「へー」と興味津々でしたよ。

あれから10年経ったんだよなあ。なんか感慨深いですね。

あの頃は二人だけの生活がスタートしたばっかりで、何もかもが初めてのことで、毎日が一生懸命で───幸せだけれど、時々ふっと「私何やってんだろう」とか思いつつ、スーパーからアパートに帰る道をビニール袋をワシャワシャさせながら、坂道を歩いてた。
ちょうど夕焼けが差す時間帯で、近くの中学校(だったと思う)の校庭や校舎が赤く染まっているのを見つめながら「もうどれくらい小説書いてないんだろう。このまま一生書くことなく終わってしまうんじゃないだろうか……」とか思ったとたん、何だか猛烈に怖くなってしまったことを思い出します。

あのとき見た夕焼けは今も忘れられない。

こうやって今は、思う存分創作に思いを馳せ、小説を好きなだけ書くことができ、あまつさえもネットという媒介を通して、今まで知らなかった人たちに私の小説を読んでもらえるなんて───本当に夢のようです。
とと……今日はそんなことを語るつもりじゃなかった。(^_^;)
ついつい懐かしい場所に行ったので、昔の思い出に引きずられちゃいましたね。

ええと、そういえば。

今朝TVで、セイン・カミュさんが入籍したと言ってました。お相手は日本人の女の人───つーか、初めて知ったんですが、セインさんって純粋な外国人というわけじゃなかったんですね?(^_^;)
なんかお相手の女性って浜崎あゆみ似ということですが、写真みた限り「似てなくもないな」って感じで、かわいい方でしたよ。
セインさんって最初に知ったのがさんまさんの番組だったのですが、やーあれ好きでね。昔「ズームイン朝」でウィッキーさんっていう黒人さんが似たようなことしてましたが、ああいうのって楽しいですよね。

さて。

今日は久しぶりにちょっと新聞ネタを。しばらく新聞をまったく見てなかったのでたまっちゃってたまっちゃって。とりあえず先月の終わりあたりのを何日か目を通したのですが、やっぱ出てきますねぇ、興味ある話題が。

まずこれ。

うちは鳥取に住んでいるので新日本海新聞を読んでるのですが(全国紙は読んでません)、その新日本海新聞が公開しているHPから記事削除というのが載ってました。なになに? なんだろうと思い読んでみると、社には田村耕太郎さんという記者がいらっしゃるのですが、その人が書いてらっしゃるコーナーで、某誌の記事を引用して論じたものについてその某誌が『弊社がWeb上で提供している記事の版権に抵触する』ということで削除要請がきたということ。

ふーん、やっぱりそうなんだなあ。

や、そりゃ、そういうことは以前からよく聞くことだし、私も自分の日記でよく新聞とかの記事を引用したりして自分の考えを発表したりしてるんですが。だからこそ、私の場合、自分が精錬潔白であると言えないのですけれど───どうなんでしょうね。
私もそういうことを意識し出して、私の日記でもよく引用する中島さんの日記も、あちらのHPで「部分引用禁止」とか書かれていたということもあって、一応過去書いたこともあるということを申告したこともあります。まあ、削除してほしいということなら何か言ってきてくださるだろうと思ってましたが、その後何もないので許していただけたのだろうと思います。
まあ、すべての方が「ダメ」というわけではないのだから、今回のようにちゃんと要請という形で何らかのアクションがあるのはいいですよね。記事を書かれた田村さんがどう思われたかはわかりませんが、新聞社側は『版権に抵触するかどうかの判断はすぐには出ない』としていても、一応削除はされたそうです。

私だって、「削除してくれ」と言われれば、相手の方の気持ちは尊重して削除します。そういう態度はちゃんと持ちたいと思ってます。けれど、それは不本意ではあるのです。引用しなければ伝わらないこともあるからです。ここらへん本当に微妙な問題で難しいことなんですが、
確かに、私の要約するという能力がないと言われてしまえばそれまでなのですが、どんなに文章の達者な方でも、読まれる人によってはいかようにも解釈違いしてしまうことがあるのです。
だから私はよく引用してしまうのですが、出所はキチンと明記してますし、もし要請が来ればちゃんと削除はします。そりゃね、一番いいのは書かないことだし、どれを書いていいかいけないかを判断する能力なんですが、それはどんな人にも無理なことなんじゃないかなあ。書かないってことは、ただ書かないだけで簡単なことなんですけど、判断することは絶対無理です。
まあ、ほとんどが「無断転載禁止」とされているわけだから、勝手に書くということは絶対ダメなんでしょうけど、わりと申請すればOKが出ることもけっこうあると思うのです。ただ、できれば事前にというより「事後でもいいので申告してください」というふうにしてほしいなあと私は思います。こういう話は以前にもしたと思いますが。

何かを見たり読んだりしたときに生まれる思いとか考えって水物です。その時にババっと書いてしまわないとすぐに興味が薄れてしまうんですよね。そういう感じで、私の手元にはたくさんの切り抜きがあります。書かれている記事とかについて思ってた感想とか考えとかを書こうと思ったのですが、今はもう書く気がしないものとか、時期が全然外れてしまったものとかがほとんどです。まだ私の場合はけっこう書いてるほうなんですがね。小説書くのがどうも気乗りしないときにはやはり日記に力が入りますし、小説書きモードに入るとなかなか記事に対しての思いが素通りしてしまいますから。

で、結論。(いきなりですか^^;)

たぶん、今回の新聞社と某誌に起きたことは、やはり利益とかが出るからキッチリとしなくちゃならないんだろうなあと。もちろん、ネット上の個人のHPとかでも利益とか関係なくても版権って存在するものですから、あだやおろそかにするものではないんですけどね。

それからもうひとつ、話題は変って。

こういうのが載ってました。『デジタル音楽の功罪』っていうの。
ようするに、パソコンなどでのデジタル音楽のおかげで、楽器のできない人や音譜を読めない人も簡単に作曲や演奏ができるようになったのだけど、そのせいで楽器を弾けない、音譜を読めない音楽家が増えてきているという副作用を生んでいるということです。
確かに記事に載ってるように「危機感」っていうのもわかるんですが、私はちょっとそれは違うよなーとか思ってますね。楽器を弾けない音楽家と言いますが、実際に音楽家と呼ばれる人たちはやはりそういう学校とかにきちんと行って勉強するもんだと思うし、デジタル音楽が流行ってるからといって、楽器を操る魅力は誰でもあると思いますよ。
ただねー、音楽するのってすごくお金かかるんですよ。そこらへんのことちゃんとわかってるんですかねぇ。これは私の偏見かもしれないし、事実じゃないかもしれないですけど、音楽学校って医大とかと同じでお金持ちが入る学校という感じがしないでもないです。まあ、働きながら勉強している苦学生とかもいるかもしれないですけど、楽器なども安いもんじゃないですから、誰でもが本格的に音楽するってなかなかできないと思います。

以前からよく出てくる、私の高校時代の友人Sくんは音楽が好きで、それで音楽関係の大学に行きましたが、そこまでにかなりのお金をつぎこんだということを聞きました。
彼はトランペットをしてましたが、それだけでなくピアノからエレクトーンからいろいろレッスンを受けたりして、週一だったか月一だったか、確か東京だかの有名な先生のいるところまで飛行機に乗ってレッスンを受けに行ったりしてました。しかも、ピアノも持ってたし、彼の持ってたラッパなんて当時30万もするものでした。
彼は「親には感謝している」というようなことを言ってました。それらすべてを自分がバイトして買うべきなんだとは思いつつも、それをしてたら大学に入る勉強ができないからと、親に全額出してもらっていたのですから。だから、危ないと言われていた大学も一発で受かるほどに頑張って勉強してましたね。当時、彼がよく遅刻したりしても、先生でさえ「彼は頑張ってるようですね」と感心するほどでしたから。彼が入った大学は、ここらあたりではけっこう難しいと言われてた大学で、しかも特音科はとても競争率の高い学科だったんですよ。

とまあ、ちょっと話が横道にそれちゃいましたが。(笑)

だけども、パソコンで音楽するのって、わりと手軽にできるじゃないですか。しかも、演奏なんか複数の楽器を全部自分でできるわけだし。
でもなんだか、作曲家の湯浅譲二さんという方が『安っぽい電子音が社会の中に浸透し、ものすごく人間の感覚を貧しくしている』と言い、『人間の感性を弱めてる』と言ってますが、とんでもないです。とてもクオリティ高いですよ。ネット上で公開されている音楽サイトの曲聞いて感じたことですが。
そりゃ、私は作曲家さんとは違って素人ですけど、私は自分の感性を信じていますよ。その私がネットで知り合った方々のオリジナル曲を素晴らしいと思うのは、その曲たちを聞くことによって、さらに私の中の創作意欲を燃え立たせるということで、電子音が安っぽいなどということは断じてないと言いきります。
というか、確かに大量に溢れているものですから、中には言われるような「安っぽくて俗悪なもの」もあるんでしょうけど、そういうのは淘汰されていくと思います。いいものはちゃんと残るんですよ。だからこそ、古い曲でも残されて行くんですよ、あの「大きな古時計」のようにね。

生演奏だけに限るBGMだったら『音楽はもっと貴重なものになる。流すほうも聴くほうも真剣になる』『決まり切った演奏の繰り返しは、想像力を刺激しない。創造的な、人間的な音楽にはならない』ということですが、私はそうは思いません。
どんな音楽、どんな演奏法だって、作る側が真剣に作ったもので、聴く側が真剣に聴く人だったら、みんなちゃんと真剣になりますよ。これは音楽の問題ではなく、人間の問題です。
どんなに拙いものだって、そこに真剣さがあれば、相手に伝わります。
そして、どんなに機械的なものだって、それを作り出したのは人間です。人間の心が「音楽が好き」となってれば、それはちゃんと人間的なものになるはずです。そう私は思いますね。もっと音楽の力を、人間というものを信じてほしいですよ。

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