2002年8月10日 14:26(土)晴れ


毎日暑いです。
新しく家族になったジャンくんは元気みたいですけど、実はまだ私はジャンをこの手に乗せてないんですよね。(笑)
旦那も息子も手に乗せては「噛まれた〜」と言って目じりを下げていますが(爆)、私は見ているだけでいいです。

はぁ。

今日はすでにものすごく語ってしまったので(謎)、どうも日記書きモードになりませんな。σ(^◇^;)
それに、ちょっとだけまたヘコんでいるので(あ、さくらちゃんの批評のせいじゃないですよ? 別口ですよ?)、今日はMIDIの更新準備にいそしもうと思います。すごく短めで申し訳ないですけど、ここまででカンベンしてください。(><)

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表で書くとネタバレになっちゃうし、けど、どうしてもロバの耳がほしい私としては、ここで喋くってしまいますね。(爆)
もし、裏サイトのあの作品と表サイトの姉妹作品を読んだことなく、これから読もうと思っている人は今日の裏日記は読まないほうがいいと思います。

まず、ボツボツと感想をいただいているのですが、その中でもいろいろびっくりすることがありました。なんというか、昨日の日記でも書いたような、その、運命を感じるようなことが、です。(^_^;)
ある人が今回の話のキャラの名前に惹かれたとおっしゃっていたのですよ。

アイザックとアーシェラ。

私は全然気付かなかったのですが、アイザックもアーシェラもSF作家だったのですね。(笑)

アイザック・アジモフとアーシェラ・K・ル・グイン。

アジモフはまあ小説も読んだことあるし、大好きな作家ですのでわかるとして、グインという人は名前しか知りません。しかも、ごく最近になってから知った人です。ヒューゴー賞やネビュラ賞を取っているということも知りませんでした。「ゲド戦記」は題名は聞いたことあるんですが、私の中ではどうやらこの人の作品ってSFというよりはファンタジーを書く人っていうイメージがあるみたいです。
そういうことで、アイザックという名前は私が高校生の時に考えたものだからまあいいとして(笑)、アーシェラのほうは今回の話を思いついたときに考えた名前です。というか、実はまだこの名前にはいろいろとありまして。
裏で公開した小説のアイザックはサイレーンだったんですね。で、表の小説を書くときにちょっと間違えたらしくセイレーンとしてしまいました。今ちょっと慌てているのですが、これからサイレーンに戻そうと思います。考えて見ればセイレーンもサイレーンも同じ意味です。で、私としてはやっぱりサイレーンのほうがしっくりくるなーってことで。
けれど、実は、アーシェラの名前も最初はアーシェラじゃなかったんですよ。アーシュラというのが最初につけた名前です。ところがいつのまにやらアーシェラになっていた。もう、いいやって感じでアーシェラに統一したのですが、このアイザックとアーシェラ両巨匠の話を聞いてから、やはりアーシェラという名前に私が呼ばれたのかなあと思っています。ほんと不思議なことです。

さて。

それから今回の作品を書いたことで、いろいろな妄想が生まれたんですが、それについてちょっと語ろうかなと。
裏と表とふたつ読んでもらったらわかると思いますが、アイザックの過去に何があったとか、社長とのこととか、そういう諸々のことでアイザックの性格が決定付けられてきたということなんですけども。

それを語る前にちょっとこのことを。

執筆のお友達のある人は「人を書いていきたい」と言ってました。
小説を書くということは、いろいろな心の動きからそういう行為に走ると思います。何かあってとか、何か心に抱いている思いとかがあって、それを小説で表現したい、何かを誰かに伝えたい、そういうことで書くという場合もあるし、いろいろな理由があると思います。
もちろん「人を書きたい」というのは、それだけではなくて「ストーリー」だって書きたいと思っているわけですから、人を書いてストーリーを蔑ろにするってことはないんですけど、そうですね、私の場合はストーリーは実はどうでもいいって思っているところがあるかもしれないな。
私は「人を書きたい」という言葉を聞いたとき、私なら「人の心を書きたい」と言うだろうなと思った。「人を書く」と「人の心を書く」───似ているようで全然違う、と私は思うんですが、どうでしょう。
その人が以前私に言ってくれたことですが、私は、主人公がただ座って延々と語るだけの小説だって書けるんじゃないかと、そう言われたことがありました。
すごいな、よくわかってるなと驚いたものですが、この人は今でもその鋭い観察力と読解力で他人の書く物を検討する能力を発揮しています。実を言うと、この人の批評って、もっとも私の旦那の批評に似ていると思っています。だから、正直な気持ちで「ここの批評はなるほどと思うが、こっちの批評は受け入れられない、これだけは譲れない」と思ったりします。

批評のことはまあここまでにして。

では、人の心を描くことによって私は何を書こうとしているか。
何を書こうとしているか、というか、前々から言ってきていることなんですが「物語を書くということは、他人のためではなく自分のため」ということが、私にとって一番の書く理由であるんですよね。
他人がどう思おうが、自分が「これを書きたい」と思ったから書いたのであって、究極な話、誰の心にも叶う物語を書きたい、誰かを幸せにするために書きたい、などとは微塵にも思っていないということです。
それは、私が初めて物語を書いたときから感じていたことで、最初から、そして今に至るまで、モデルがどうしたって私でしかないというところからも伺えると思います。

私はこういう人になりたかった。
私はこういうことをしたかった。
私はこんな人と愛し合いたかった。
私はこんな親友がほしかった。
私は───私は───私は。

とにかく、私がしたいことを物語にする、それが楽しくて、それが嬉しくて、夢にまで見た宇宙へ出ること、こことは違うどこかへ行くこと、私がこうありたいという人物に変わること、それだけがすべてだったんです。
そして、たまたまそれらの物語を「おもしろい」と言ってくれた人がいたってだけで、私は誰かのために物語を書いているわけではなかった。

私は、だから、プロには絶対になれないんじゃないかと思います。

考えてみれば、私の尊敬する作家は誰かのために小説を書いているわけではなく、やはり自分が書きたいから書いている人なんですが、ただ、彼女と私が違うのは、彼女には才能があり、私には才能がないということ。才能があるんなら、今までにでも彼女のようにあれよあれよというまに中央で活躍しているでしょうから、やはり私はここまでのものでしかないと思います。
だいいち、才能なかったら努力すればある程度のところまでは行けますけど、私は努力することが嫌いだから、だめですよ、まったく。
だから、本当に今の私はプロになることよりも、とにかくひとつでも多くの「自分が書きたいもの」を書き残す、ただそれだけだと思うんです。
投稿する場合は、やはり努力していろいろ勉強なり書いたものの推敲なりをみっちりしなくちゃならないでしょ。そんなことしている暇は私にはない。とにかく、この心にたまっている「書きたいものを吐き出してしまう」それこそが私が生きていく理由なんじゃないかなと。最近ではそう思うようになりました。

少し話がズレましたが。(笑)

人の心を書いていくと、私の場合は不思議とそこに物語が出来あがっていきます。つまり、プロットを組むのではなく、今書いているキャラの心を解きほぐしていくことによってそこに物語が展開していく、それを私は書き取っていくだけという、そんな感じです。

たとえば、今回の話を例にとっていうと。

一番書きたいことはアイザックが私のモデルであるキャラと幸せになっていくことです。
元々の話は、二人の少女が主人公で、まるでダーティペアのような話でした。アイザックは彼女たちの所属するアソシエーションのある部署の部長という肩書きで、主人公の一人の少女が彼に惚れてしまっていろいろ騒動が起きるっていうドタバタSF活劇になるはずでした。彼らの所属するアソシエーションは、まあいわゆる宇宙の秩序を守る組織みたいなもので、それに対抗する悪の組織っていうのがあって、それらとの衝突を交えて話は進んでいくはずでした。
ところがまあ、私が高校卒業してしまって短大に入り、多忙になってきてとても小説どころではなくなってしまったので、心残りではありましたが、ずーっと今までそのまんまになってしまっていたのです。たぶん、あのままずっと仕事を辞めずに定年まで仕事を続けていたら、私はもう二度と小説を書くということもなかったでしょう。けれど、こうやって書く機会を与えられた私ですので、できうる限りのところまでは書きつづけようと思っています。
だから、今の私は時間を無駄にしたくない。
書きたいものがあるなら、投稿でさえも投げ打って私は書こうと思う。

しまった、またズレてきた。(爆)

えーと、つまり、そういうことで、あの話はあんなふうな内容になるはずだったけれど、キャラ自体はとても気に入っていたので、いつかリメイクするぞとは思っていたわけです。けれど、今度はダーティペアのような二番煎じにするわけにはいかないので、それ以外の何か別の組織を作らなくてはと思い考えたのが「宇宙を舞台にした芸能話」なんていいなあと。これはまあ、感想掲示板にも書いたのですが、昔読んだ少女マンガの中に、「夢は宇宙空間でコンサート」というのが心に強烈に残ってて、私もそういう物語を書きたいと思っていたわけです。そして、何年か前の映画「フィフス・エレメント」の異星人の歌の舞台を見て、やはりこういうのを書きたいと思った。それで、まずは短編をということで、裏サイトと表サイトで公開した話を書いたわけですが。
表ではあまり語られていませんが、裏でずいぶん克明に書いたアイザックと社長の関係。結局は社長は話だけで全然出てきませんが、「悪魔のような社長」ということで、この社長ってどういう人で、どんなことを思い、どんな野望を持ってて、アイザックを助けたのはどうしてか───ということをいろいろ思うようになりました。

社長の心を描きたい───今強くそう思っています。

悪魔ではあるけれど、そうですね、一番モデルにしたいと思っている既存のキャラがいますが……O2かな。(笑)
ふーむ、そうなるとやはりアイザックに対しては屈折した愛情というものがなければなりませんねぇ。
やっぱり、キャラのことを考えるってめちゃくちゃ楽しいです。彼はこうだろう、こう思うだろう、こうするだろうって考えると、自ずとそこには物語が出来あがっていく。ただ私はそれを書き取っていくだけ。ほんと、そんな感じです。

私は、物語を書いてるのではなく、人の心を書いている。
だから、すべての人の心を覗きたい。
そこには、その覗いた相手の心の清らかさ、汚らしさ、そういうものすべてを感動するでなく、嫌悪するでなく、とにかく「純粋に知りたい」だけの私がいる。
それが私の執筆スタイルなのかなと思います。

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