2002年8月8日 13:48(木)晴れ


うふふ♪
やったね、さん。(笑)

心優しい方からのお知らせメールも嬉しかったですが、実はちゃんとチェック済みだった天慈です。(笑)
とはいえ、たまたまチェックしたってだけで、運がよかったというか、ガクトさんに「呼ばれた」というか。(///▽///)きゃん♪

昨日は、まあ施食会ということでしたので、お昼ご飯も寺から帰って来て義母んちで食べたんですよね。最近では新聞もほんっと読まないのですけど、まあTV欄くらいはチェックしてました。それでもまさかNHKまでは詳しくチェックしてないので、時々面白そうな番組を逃してしまうことあったんですよ。
昨日も義母んちの新聞をパッと開いたんですが、そこはまあTV欄。すると、欄外に番組の紹介が書かれてあって、ガクトさんの姿が。Σ( ̄▽ ̄;
おおおっ、いったい何の番組? と思って見てみたらNHKじゃん。時間は7時半から。私が「おおおおっ!」と叫んだら、野次馬息子くんは「なになになに?」と寄って来たんですけど、私が新聞を見せたら「あ、ガクトさん」(笑)
義母は「前はいいなーとか思ったけど、最近はなんかすかんわー」と嫌がってましたけど。(^_^;)
で、昨日もなかなか起きて来れなかった朝だったので、家のこともなーんもしてなかったので、お昼からちょっと家に帰り洗濯とかをしつつ、もちろんビデオもセットしときましたさ。昨日は夜も義母んちでご飯だったので。

さて。

そういうことで、昨日の「施食会」でのことについて。
まあ、お経読んでもらったり、ご焼香したりっていうのは普通だと思うんですが、説法───まあ、これも普通なんでしょうね。ただ、こういう檀家さんとしての行事っていうのは初めてのことですので、物珍しいと言えば物珍しい。説法をしてくださったのは他のお寺の和尚さんだったのですが、なんというか、「らしい説法」だなあと。(笑)
ご自分のガン闘病生活のお話から始まり、お知り合いの和尚さん、檀家さん、そういう方々の体験談とかを話してくださいました。いろいろ感慨深く拝聴しました。とはいえ、こういうお話って、聞く側の心をどれくらい改心させるかってーの、はなはだ疑問に思っている私でもあるので、妙にウケを狙った喋り方をする和尚さんに、ときおり寒いものを感じたり。あああ、やっぱり私って「いい人ではない」んだなあと思ってしまいましたね。

無常ならざるものなし

この言葉で始まる話は、ある若い奥さんのお話で、あるときいつもの通り会社に送り出した旦那さんが会社で倒れ、そのまま亡くなり、遺体で帰ってこられたんだそうです。もちろん、奥さんの嘆きは尋常ではなく、なんと慰めていいかわからないほどだったそうです。ところが、そのすぐあとに、今度は奥さんの子供さんが事故か病気か(ちょっと忘れた)で後を追うように亡くなり、奥さんはたった一人残された。もう何を言って慰めるべきか言葉を失ったということ。
とまあ、ここまで覚えていたことを書いたけれど、このあとどうやって和尚さんが話を締めくくったか───、一晩経って忘れてしまいました、私。(殴)

ただ、これを聞いて思い出したのは、以前勤めていたところの私の先輩に同じような話を聞いたなあと。もしかしたら前に日記で書いたかもしれないけれど。先輩のお姉さんなんですが、学校の先生をしていたのですね。で、当時小学生にまだ上がってない男の子がひとりいたのですが、お姉さんは乳ガンにかかって長い闘病生活の上に亡くなってしまうわけです。で、その旦那さんも確か学校の先生だったと思うのですが、その方もその奥さんを追うようにして、これまたガンであっという間に亡くなり、たった一人男の子が残されたそうです。しばらくは、先輩が預かっていたそうですが、あれからどうなったかはわかりません。先輩は男の子が欲しくて三人子供を産んだそうですけど、結局全部女の子だったので、もしかしたら養子にしたかもしれないし。

だけど、こう聞くと幼くして両親をいっぺんに亡くす───とか、一度に旦那さんや子供さんを亡くすのって、ほんと不幸だし、「どうして自分ばっかり」と思ってしまうのも無理はないと思いますよね。
けど、こういうことって、決して「自分ばっかり」ということじゃない。誰にだって起きるべきことではあるんですよね。自分だけは絶対にそんなことは起きない───ってことはない。死っていうのは、どんな人間にだって起きるべきこと。それが早いか遅いかで、その時期だけでその人が幸か不幸かなんて決められやしない。早く死んだから幸せってことだってあるし、長く生きたから幸せだったというわけでもない。

無常───その一言に込められていると思うなあ。そうは思いません?

それから、お話してくださった和尚さんは、以前家庭裁判所の調停人をしていたそうで、いろいろ財産分与などのことで骨肉合い争う場面をイヤと言うほど目にしたそうです。
で、兄弟たちの争う原因とは、まさに親の生き方に左右されるものなのだということをお話されていました。
お恥ずかしいながら、私の実家の母のその実家で、似たような争いというものがあり、母の兄弟たちは今でも反目し合っています。私にとっては優しい祖父や祖母ではありましたが、まあ私が生まれる以前にいろいろなこともあったでしょう。もちろん、子供たちである母たちの本質もあるんでしょうが、私はそういう現状を見続けてきたので、財産などというものを憎んでいるところがあります。それは旦那も同じであるので、私たちには財産と呼べるものはせいぜい趣味の品くらいでお金もなにもありません。
母は自分が死んだらお金を私に、土地と家を弟にと言ってますが、絶対にそれをあてにしようとは思いません。もし、それらのもので弟と争うなどということになったら、喜んで全部手放しますよ。日々暮らせる糧があって、ものを書き続けることができさえすれば私は十分です。どうにかすると、塀の中に入ったとしても、そこで紙と鉛筆だけあれば私はずっと生き続けられるなあなんていう究極な考えもあったりしますもん。
今はネットも出来ればいいと思っていますけど。今の私はこれなしでは生きれないところもあるので。飽きる兆候ないしなあ。(笑)

そういえば。

その説法の中でこういう言葉がありました。

『表向きは善人らしくしていながら、 実は悪人といわれても仕方ない私でした。』

今の私には、苦笑するしかない言葉だなあと思いましたね。(わかる人にはわかる)(謎)
たとえ、表の顔裏の顔のふたつがあろうとも、絶対に許せない悪人にだけはなってほしくないと思いますね、どんな人でも。世の中には許せることと許せないことってあると思う。それはもちろん、誰にとっても同じものではないかもしれないけれど、けれど、やっぱり「誰でもが許せないこと」は現実にあると思う。それをやってしまうことは──破滅。
私も、もちろん清く正しく生きているわけじゃないから、それこそドドスのように清濁併せ呑む人間だから、多少の悪人気質なところはある。だから、自分の心に闇がある人の気持ちだってわからないほどの分からず屋じゃない。けどね、悪人には悪人の心意気っていうものだってあるということはわかってほしいなあ。絶対やっちゃいけない「悪」だってあるということを、粋な悪人(って言うのもなんかヘンだけど^^;)はわかってる。それをごく一部のダメダメ悪人にもわかってもらいたい。
って、言っても、そういう「絶対やっちゃいけない悪」をやってる人には気付きもしないことなんだろうけどね。お手上げです。私はそれを気付かせてあげるほど親切な人間じゃないので、友達のある人が言ってたように「切り捨て」ますよ、はい。

ま、そういうことを思った、施食会でした。そういうどうしようもないクズの人間も、和尚さんの説法聞いて改心するんでしょーかねぇ?───無理でしょうなあ。やれやれ。┐(´ー`)┌

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