2002年7月21日 14:34(日)晴れ


『わからんか、愛だ、愛』
『いいなあ、愛の力だなあ』

でへへ、菅原さんgooですよ〜(^^)───こんにちわ、4度目の鑑賞会しつつカキカキしている天慈です。(爆)
さすがに続けざまに見ていると、どんなに好きなものでもゲップ出ちゃいますねぇぇ。ま、仕方ないのですが、諸事情により見続けなくちゃならなくてさ。あと何回か見なくちゃならんのですよ、はい。(T_T)

さて。

昨日UPいたしました「過去をうつす夢」に感想を寄せてくださったのがお二方いらっしゃいました。たぶんリアクションあるだろうなと思っていた人たちだったので「これは得たり」と朝からご機嫌な天慈です。(笑)
一人は原案者の方、そしてもう一人の方の感想で思わずニヤリとしてしまいました。(笑)
とっても怖がってくれたみたいで、いやー書き手として「やりぬいたぞ」という満足感で満たされましたよ。

『怖かったです。ウヒィィ。なんていうか、
 その嫌がらせ?メール見て
 うっとりしてるあたりとか、
 こう足の体毛がチリチリしましたです。
 このしもらーさんは「自分がカヲルさん」って
 自覚してるのですね。
 ああそれもちょっとツライ・・・。』

あの表現って、たとえこれが創作であったとしても、一歩間違えれば人格疑われるようなものだと思いますけれど。世の中には、書かれているものはすべてその作者の内なる声なのだと信じてしまう愚かで優しい人々がいることは確かで、かくゆう私もかなりそういう傾向はあると思いますけれど、それがごく平凡な人間に共通しているものなのだと思っています。
そして、それを怖れるがあまり、赤裸々な悪意とか、ドロドロな欲望とかを小説で表現することにためらいを感じて、つきつめた小説を書けない人たちがいることも確かです。
これは昨日母と話をしたときに母が言った言葉ですが、

『小説を書くということは、通りを素っ裸で歩くことと同じだ』

と。たぶん、母も誰か作家の方がそう言っていたのを頭の隅に覚えていたのでしょうね。私も聞いたことある言葉でしたし。
母も私に触発されて小説を書いてみたいなと言っています。元々が文学への才能もないとはいいきれない人なので、きっと書けば素晴らしいものが書けると思います。なにせ、私よりも知識は豊富ですし、いろいろな経験もしているかなりアクティブな人種ですから、私の目指すものとは違うジャンルでしょうが、純文学ではかなりいい線いくと踏んでいますね。

私はどんなものでも、どんなことでも、書いて恥ずかしいと思ったことはないです。これだけ赤裸々に日記で書くことができる人種ですから、書くことに関してはとても貪欲になれます。けれど、絶対に書いてはいけないことが存在しているということもわかってはいるし、おそらく自分の中の線引きというものはそれほど世間とズレてはいないと思いますが、それはやはり私が本当に常識的な人間であったらの話で、その実、自分がちゃんと世間でいうところの配慮というものをきちんと把握しているかどうか今一つハッキリと確信できていないような気がして、だから常に不安にかられてしまうのですね。
だけども、そこで人はためらい書かないことを選ぶのでしょうが、私にはそれができない。たとえこれが誰かを傷つけてしまうとわかっていても書いてしまう───これはいったいなんなのでしょうね。私は時々自分が恐ろしくなることがあります。そして、自分はやっぱり正しい人間ではなく、どこか悪魔に魅了されてしまった、闇の住人なのではないかとさえ思ってしまうこともあります。
けれど、そのことを嫌悪しつつも、どこか不思議と「それでいいのだ、それが本来の私なのだ」と感じてしまうことを否定できないのです。

まあ、それはさておき(爆)、昨日はそういうことで人の親として大変な一日ではございましたが、999も見れたことだし、退屈疲れはしましたが(爆)、思いのほか楽しいひとときを過ごしたので悪くはなかったですね。

で、昨日は失念してて書くの忘れてたことがあります。

みなとタワーの展望台は有料なもので今まで上がったことはなかったのですが、昨日は清水の舞台から飛び降りたつもりで(そこまで言うか^^;)お金払ってエレベーターで上がってみました。ガラス張りのエレベーターなので、圧巻でした。(^^)
それと、クイズスタンプラリーなんぞというものを開催してて、各階のクイズに答えて応募すると何かもらえるらしい?──というか、詳しく見てないのでどうか知らんのですが。(爆)
クイズは隠岐まで何キロあるかとか、その階のどこかで答えが見つかるというものでしたね。(笑)
展示場ではシアターがあって鳥取砂丘の生き物たちをやるということだったのですが、ちょうどいい時間でなく1時間も待ちました。その間子供たちはキャーキャーと騒ぎまわってましたが、私と母は備え付けの図書をパラパラと見てました。
で、その中で米子市の同人が発行している「米子文学」という同人誌があってその去年発行されたものを見ていたら、はらら、同じようなこと考えている人やっぱりいたなーという小説を見つけました。(^_^;)
今回私の書いたネット恋愛みたいな感じの小説なんですけど、それは延々とeメールの内容を綴っていくというもので、こちらは男の視点で書かれたものでした。ううむ…けれどもやはり私の書いたものと似たような感じで、恋愛小説といっても差し支えないような内容でしたね。
題名はずばり「eメール──夢幻」というもので、題名からして不思議な共感を受けてしまいました。書いた方は男の方らしいですけど。

あ、そうそう。

これも昨日カキコ忘れてて、今日も書き忘れちゃうとこだったけど。
そのキャライベントの一環で、いろんなグッズとか売ってたんですよね。あと、UFOキャッチャーとかでワンピや犬夜叉のキャラ人形のもあったんですけど、あーゾロとかチョッパーの人形ほしーって思った天慈さん。ですが、ダメなんすよねぇ、UFOキャッチャー、どんくさいから。(爆)
あああ、カップルの男の子がゾロ取ってっちゃったのを横目で見つつ、いいなー、あたしだって旦那がいたら絶対取ってくれるのにぃ〜と、息子うっちゃってて(爆)思ってたダメダメな母でした。σ(^◇^;)

それにしても。

確認しないままに掲載しちゃいますけど(許されよ、友よ^^;)、999を見たという私にメールを送ってきてくれた我が親友が、こんなことを書いてました。

『昔、TVシリーズしっかり見てました。
 あの話も明るい話じゃないですねぇ。
 どっちかと言うと、「いかに生きるべきか」
 という、ずいぶんと子供には難しい
 哲学的テーマでしたからね。
 後々、『ポーの一族』でも扱われる
 「永遠の命」について、
 考えるきっかけになったんですが・・・。
 こういうことをじっくり考えちゃう子供って、
 どこか可愛げないですよね!
 ガラスのクレアのエピソードも覚えています。
 自分で望んだんじゃなく、
 見栄っ張りのお母さんにガラス製機械の体に
 変えられちゃったんですよね、確か。
 で、自分の元の体を買い戻すため、
 999で働いているという・・・。
 でも、結局鉄郎(字これかなー?)を守るために
 命を落とすんですよね。
 うぅ、可愛そう・・・。
 でも、
 全体的に悲劇ばっかりだからなぁ・・・『999』は。
 それでも、再放送あったら、
 きっとまた見ちゃうんです。』

ぜひとも再放送していただきたいですね。
このアニメを昔父親と見ていて、彼は「なんと壮大で夢のある話だろう」と呟きつつ、傍らの窓から見える星空を見つめていたのを思い出します。
何のかんのと衝突のある私たちではありますが、間違いなくこの父親から私は生まれてきたのだなあと感じた瞬間でしたね。母親とはウマが合うし、文学少女(笑)というてんで似たようなところあるなと思いますが、母はすごく現実的な人なので、私の機微なる想いというものは理解できるとは思えません。
まあ、だからといって、母は大好きですし、深い愛情を持っていますけど、私は父親に一番似通っていると思います。だからこそ、それを辛く思って父親に慣れないのかもしれませんね。

ところで、松本マンガでは私はヤマトよりも999が好きです。
というか、ヤマトは松本さんがキャラデザインしていますが、私にとってはあれはどうも松本さんの作品という感じがしませんね。いろいろ著作でもめていらっしゃいますけど。
ううう…また999が見たくなってきたぞ。でも、千と千尋をまた何回か見なくちゃならんのだ。(爆)

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ということで、この間から書こうと思ってた某タレントさんの自殺のこと。

最初は表で書こうと思ってたけれど、聞けば聞くほど義父の自殺に状況が似ているのでこちらに書くことにしました。
彼女はまあ義父のように明日をも知れぬ病気ではなかったわけだし、仕事だって順調、傍目での友人関係だって何か問題があったわけじゃないわけです。まあ、深いところではわからないことなんでしょうけど、一見自殺なんてする要素は見当たらないわけです。
けれど、以前自殺未遂を引き起こしたお姉さんが言ってらしたように「私みたいにしょっちゅう死ぬ死ぬと言ってる者が案外長生きして、妹のような人が突然っていうのはあると思う」という言葉に、ほんと感じるところはありました。
義父は、まあそのてん「死ぬ死ぬ」と言うことはなかったらしいですが、病気のことではきっと絶望に苛まれていたと思います。私の息子のためなら本気で死んでもいいとまで言っていたので、自分が病気であることは孫の足かせになると思っていたことでしょう。それが普通の病気ではなくガンなのですから、どんなに意志の強い人間でも精神的にまいってしまうことは確かです。
そんな義父を誰もとめることはできなかったと思います。
こういう時の意志はすごいものなんだなあと、改めて驚愕しましたもの。
そして、それがいいことなのか悪いことなのか、私たちには決められないことだと思う。
人は「バカなことをした」と言ったりしますが、私には本当に義父の気持ちが痛いほどわかって、今でも義父の気持ちを考えると涙を禁じえないですもの。

自殺未遂と自殺は歴然として違う───とコメンテーターの神経科の方が言ってました。

飛び降りとか首吊りっていうのは、それこそ「助けてくれ」というコールをしているものではないとのこと。不屈の精神で死ぬことを選んだ、あるいははずみでといったものだということです。
息子は不幸にも第一発見者となってしまったわけですが、私も義父の死に顔を見ました。けれども、とてもおだやかな死に顔で、話に聞く「首吊りは汚くて見られたものじゃない」っていうのは嘘だと確信しましたね。
まあ、実際に首吊り死体など見る機会なんて、警察関係の人くらいしか見ることないと思うのですけれども。
ただ、そういう機会を与えられて、これを創作に活かせれば───などとふっと思った私は、本当に悪魔のような人間だなーと思いました。
けれども、泣いてしまう自分も本当の自分だと思うので、何もかも心が悪魔であるとは信じたくないのですが。


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