2002年7月6日 16:12(土)晴れ時々曇り、台風近いせいかすごい風(><) とうとう来ました!(笑) マイナスイオン扇風機! 今日からキミはイーちゃんと 呼んであげよう!(≧◇≦)ノ ところがね。2対1でセンちゃんという名前にしようってことになったの。なしてぇ〜? センちゃんなんて、ぜんっぜんひねった名前じゃないじゃん。(><) 普通の扇風機なら別にそれでもかまわないけど、マイナスイオンだよ? マイちゃんとかイーちゃんとか、そういう名前がいいじゃん。まったく、キミたち(旦那と息子^^;)はわかってないなあ。(爆) さて。 今日の話題はまたしても新聞ネタ。(^_^;) 作家の宗田理さんが書かれていたことですが、
という見出しで始まる記事ですが。 学校の先生に
と言われたことはあるかということが書かれていました。私はそうですね。センセーに言われた覚えはないですね。というか、誰にも言われたような覚えがない、ような気がする。言われたかもしれないけれど、私は覚えていない。 小中学は別に努力しなくても成績はそんなに悪くなかったんで、勉強しなさいとか、そういう学業のことで何か大人に言われるってことはなかったと思う。 ただ、高校に上がり、現国以外はすべて成績が落ちまくり、特に数学なんて在学中に一度として赤点から脱したことがなかったんで、あのときゃ一生懸命努力して勉強したよなあ。 でもね、どんなに努力したって、私の数学はよくなるこたあなかったね。あれで、私は悟ったよ。 どんなに努力したって 成功しないもんは成功しないって。 まあ、だからといって、努力せずにいりゃいいなんて思っちゃいないけどさ。 たとえば、宗田さんは
と書かれていました。 確かにそうですよね。 私も、昔ピアノの楽しさを知ってからは、それまではあんなに練習が嫌いでならなかったのに、一日何時間も練習するようになったもの。 確かに、好きなことばかり努力したってイカンのだろうし、好きなことをやってるということを努力しているということもなんか違うような気もするんですが、嫌いなことを努力するのは間違った努力の仕方じゃないかなと思うんですよ。 その嫌いなことがどんなことかでまた違ってくるとは思いますが、基本的には嫌いなことは努力してもいつまでたっても向上はないでしょうね。だけど、その嫌いなことをどうしても克服したいというなら、まずは好きにならなくちゃ。どうかしたいと思ってたら、きっと好きになれると思うんだけどね。 それから。 がんばれという言葉が嫌いだから、周りにはそれを言われたくなくて、そして自分のペースでやりたいからほっておいてくれという子供がいて、宗田さんは、その気持ちはわかるけれど
と言ってました。 私に置き換えてみて。 努力したって作家になれない人もいる。 努力しないでも作家になれる人がいる。 けれど、諦めることだけはしたくない私がいる。 たとえ作家を職業とすることはできなくても、書くということが好きで好きでたまらないのは事実。 だから、それを少しでも向上させる努力は努力とも思わないよ。きっと、周りから「努力してるね」と言われても、ハッキリと「努力なんてしてない」と言い切るだろうね。だって、ほんとに努力してないんだもん。それを嫌味と取られちゃ心外だよね。 5年前の私と今の私では、格段に文章は磨かれていると思う。これはうぬぼれじゃない。そうでなければ、たとえ中央の文壇ではないにしろ、佳作とかに自分の小説が選ばれるわけはないと思うし。 もちろん、まだまだヘタクソだとは思うけれども、そうだな、文章とかっていうのは数学と違って「これが正しい」というものがないから、だからイヤだという人もいるけれど、少なくとも私は「どれでもが正しい」ということで、私の感性には合っているなーと思っています。 ところで、ラストに宗田さんが
と書かれていました。 私は思いました。 そんなこと誰にもわからない。 だって、そうでしょ。 何の努力もしないでなんでもできる人の気持ちなんか、こうじゃないかなと想像することはできても、本当のその人の気持ちなんてできない我々に完全に理解なんてできないじゃない。 けれども、そういう「努力せずに何でもできる人の気持ち」ということを想像できなきゃ、また作家としてやっていくことはできないんだろうなあ。 ああ、一度でいいから、努力せずに何でもできる人になってみたいと思ってしまった天慈でした。(大爆) |