2002年6月7日 23:21(金)晴れ あたしの名前は〜 今日から「天ちゃん」(爆) お友達の凪沢さんとこで「天ちゃん」なんて呼ばれて、てれてれになっちゃった天ちゃんです。(爆) ええっと…本日は「ガーディアン・チルドレン」のメニューをプチリニュしたんですが、あそこを飾る壁紙を捜し求めて、素材探しの旅へぐーるぐーる回り続けたもので、疲れちゃいました。(@_@) で、結局、ある素材屋さんの素材リンクで見つけたところに飛んでみたら───なんとそこはお友達の運営する素材屋だったというオチが。(大爆) 何だか運命みたいなものを感じ、しかも、捜し求めていた雰囲気の壁紙があったもんだから、ますます「赤い糸で私たちは結ばれていたのね♪」と思いこみ(バカ)、そっーこーでリンク貼っちゃいました。 はぁ…、それにしても、今日はとっても疲れたから、日記書けないかなーと思ったけれど(それはね、またしても昨夜夜更かししたせいだろ…と自分で自分に突っ込み入れる天慈さん^^;)、なんでだろ、それでもやっぱりやっぱり書いてしまう天慈さん。(爆) いやはや、お友達のさくらちゃんとこの掲示板で、久々に物書きとしての議論が展開してて(数人の芸術家と^^)、一頃のうちの掲示板のようだわーと嬉しくなってしまったからなの。o(^-^)o 昔からの常連さんなら覚えておられる方ももしやいるかもしれませんが、うちの日記の掲示板では創作談義をよくやってたのよねぇ。今はもうサイト閉じちゃった人とかとも熱く談義したもんさ。その頃はさくらちゃんも足繁く通ってくれて(今はさくらちゃんも原稿が忙しいからなかなか創作談義もできませんけど)長々と話しこんだよねぇ。 ま、それは、今ではさくらちゃんとこの掲示板で時々できることだから、別にうちでやるまでもないんだけど。私はどこででも話ができればそれでOKだからさ。 小説を純粋に楽しく読むことができない───か。 私はどうだろう。 私の場合はそれはないと思う、たぶん。 というか、私がミーハーだからかどうかわかんないけど、読み始めたらその世界に没頭してしまうタイプだからかな。 確かに「ん?」とか思う個所ってひとつやふたつは出てくることもある。それは、お金出して買った小説でもあったりするから(ほとんどないけど、そういうことって)ウェブの作品で絶対にないとは言わない。 ただ、そのほとんどが誤字脱字の場合であって、多少無理のある展開だろうが何だろうが、勢いのあるストーリーってそれを感じさせないことがあるからね。というか、冷静に読めないっていうのがある。 というか、きっと私にはきちんとした判断力っていうのがないのかもしれない。 ここはこうすればよりスリリングになる、とか、ここはそうじゃなくてこうするのがいい──っていう判断がつかない、というか、思いつかないんだよね。 さくらちゃんが自分の日記で、他人に意見したとしても『作者はその部分は敢えてこうしたんだ』というふうに思ってたら、どうしようもないっていうようなことをカキコしていたけど、そういう作者のこだわりがいい方向に転がる場合もあるし、悪く転がる場合もあるということで、どれが正しいか───と言ったら、どれも正しくもあり、またどれも正しくないともいえるんじゃないかなと思う。 ようするに、こればっかりはハッキリと言い切れない領域のことであって、「そこはこうすればいいよ」という言葉を受け入れるか受け入れないかは、もうその人の心一つにかかってて、その態度自体がその人の才能のうちに入っちゃうんじゃないかと私は思う。 つまり、反発して受け入れないことで成功する場合もあるし、素直に受け入れたことで成功する場合もあるってこと。その批評がいいものか悪いものかを判断することまでもひっくるめて、それは批評された側の才能にも繋がるってことだと。 結果がすべての世界だからなあ、いわば。違うっていう人もいると思うけど。 さくらちゃんちの掲示板を見てくれたらわかると思いますが、お友達のひろぽちゃんが言ってることが、けっこう私の胸に響いたな。
これが本当の才能ある人なんだろうって思う。ひろぽちゃんってばいいこと言う。(≧◇≦)ノ それから、もうひとつ、そうだそうだと思ったこと。
そうだよなーと思いました。 果たして私は小説を書くことが本当に好きだと思っているか───実のところ、それに自信がなくなってきているので、特に心にズシンとのしかかる言葉だよなあ。 自分を幸せにするために書き始めた物語。 まず自分を幸せにできなくちゃ、人にもその幸せは届かないのかもしれないね。 |