2002年5月23日 15:51(木)晴れ


だからぁ〜なんで天慈に聞くかなぁ?

と、叫んだって、そりゃー知ったこっちゃないよねぇ?(^_^;)
ほんと、この間から天慈さん、よく道を聞かれるんですよ。しかも同じところに行く道を。
ええ、確かにここ境港市の近くにあるんですけど大根島。そこにはボタンで有名な由志園もありますけど。でも、お願いだから天慈に聞かないで───なーんて言ったって、天慈さんがどんなに方向オンチかなんて知りませんよね、他人は。

昼から雑貨屋さんのひまわりに買い物に行ったのです。

今朝の新聞に、なんとカラーのチラシが入ってたので(爆)、息子の靴下とか半ズボンやTシャツなんかを買いに行こうと思ったんですね。ついでにその近くのスーパーで夕食の買い出しもすませちゃえってことで出かけたんです。
で、そのスーパーの自転車置き場にチャリコで乗りつけたとたん「すみません」という声が。最初声をかけられたのが私だと気づかなかったんですが、もう一度「すみません」と後ろで声がしたんで振り返ったら、車から顔を出しているおじさんが。「大根島にはどう行けばいいのですか?」と聞くんで、ああ〜、この間も聞かれたんだよなーと思わず心で苦笑しました。
ついこの間もチャリコで走ってて、ちょうど交差点で赤になってとまったときに、交差点から離れたところに車をとめたおじさんがわざわざ私のところまでやってきて「大根島にはどう行けばいいんでしょうか?」と聞いてきたんですね。
うおー、あそこらへんにあるっていうのは知ってるんだけど(爆)、あそこに行くまでをどう説明していいんだかわかんない〜。(><)
こんなとき、旦那とかだったら上手に教えてあげるんだろーなーとか思ったら、なんかちょっち悔しい。(対抗してどうするよ^^;)
で、この間のときは「これこれこうで…」って何とか説明したんだけど、絶対辿りつけてないと思う。まあ、きっとまた別の人とっつかまえて聞いてると思うんだけどさ。
今日はまあ、まだ説明しやすいところで聞かれたから、たぶん大丈夫だと思うけど。

だけど、いつも思うんですが、皆さん、どういう基準で道を聞く人を選んでるんでしょーね?
聞きやすい人だから聞くのかもしれないし、たまたま聞きたいときに通りかかったからなのかもしれないし、いろいろな思惑があって聞かれるんでしょうが。
んで、なんでか天慈さんってよく人に道を聞かれるんですよねぇ。ま、私がいつも外での移動がチャリコか歩きかのどちらかなので、とっつかまりやすいんでしょうが。
それに、チャリコとか歩きの人って地元の人っていう認識があるんでしょうから、ここら辺りのことは聞いてもちゃんと答えが返ってくると思うんでしょうね、きっと。

だけど、私だったらそういう人には道は聞きませんね。

私が知らない土地で道を聞くとしたら、お店屋さんで聞きます。または見つかれば交番で。交番で道を聞くのは、まあ当たり前だと思うけど、なかなか交番って見つからないと思うんで、やっぱりお店だと思う。それも、スーパーのようなとこじゃなく商店街みたいなところにあるお店。田舎とかだったら、自宅兼商店っていうところはけっこうあると思うんで、そういうところのおじさんおばさんに聞くのが一番だよね。あと、喫茶店とか散髪屋とか、そういうとこでもいいと思うし。案外道行くおばちゃんなんかはうまく道順を説明できないかもしんない。(爆)
おじさんとか、男の人はけっこう上手に説明するかもしれないけれど。ほら、女って地図を描くのがわりとヘタな人が多いって言うじゃないですか。そういう関係で女の人に道を聞くより男の人に聞いたほうが確実なんじゃないかと思うわけです。頼みますから、天慈に道を聞くのだけはやめてほしーなぁ。σ(^◇^;)

さて。またもや新聞ネタ。(笑)

今日は20日の新聞を読んだんですが。
それに本の紹介が載ってたのですが、装丁家の菊池信義さんのコラムが載ってました。
本の装丁表現は日本は世界一進んでる───ということですが、外国では本屋でボーッと本を眺めるということはあまりないらしいですね。

それもツマンナイことですが。

だけど、旦那なんかも本屋には目的の本だけを買いに行くっていう人で、どんな本があるだろうって思いつつ時間をかけて見るような人じゃないんですね。まあ、そんな時間も余裕もないっていうのが実情で、時間さえあればじっくりいろんな本を眺めたいって思っているのかもしれませんが。
んで、菊池さんのお友達に、

『書店の包装紙に包んだまま読んで、包んだまま書棚に入れる』

っていう人がいて、装丁家の自分としては、

『せめて包装紙取ってから本棚に入れろ』

って言うんですって。

私なんかも昔はそういう人でしたね。

だけど、私の場合は本を汚したくなくて包装紙に包んだままだったんですが。指紋の一つもつけたくないっていうこだわりがあったんですね。今ではそんなめんどくさいことはしてませんが、それでも読むときはカバーかけたりすることもあります。菊地さんはこう言います。

『いかに人を読者にするか、読みたいという思いを生み出すか、そのために、精いっぱいの本の装丁を考え、つくりたい』

ということだそうですよ。(笑)
外国の本って見たことありますが、実に美しくない。
日本の本は、ハードカバーの本だけでなく、文庫本とかでもすごくキレイですよね。カバーとかの質とかだけじゃなく、イラストにしても、デザインにしても、とにかくキレイ。
私だけじゃないと思うんだけど、あの装丁の美しさでつい買ってしまうっていうこともありますよ。
中身で勝負っていうのもあるでしょうが、中身だけでなく、やはりまず見栄えもそそるようにしていくことも、本を買わせる戦略でもあると思いますよね。
最近の若者は本を読まないと嘆くんではなく、売る側ももっと工夫をしろっていうことですか。それは別に売れるストーリーを生み出すってだけじゃなく、本自体にも売れる装丁を施して行くのもひとつの知恵なんじゃないかなぁ。

人ってやっぱりキレイなものが好きですもん。

だから、私も少女向けの文庫本が、イラストをきらびやかにしたりするのっていいんじゃないかなって思います。
たとえ中身がたいしたストーリーじゃなくても。というか、まず手にとって読んでもらうように仕向けなくちゃ、いいストーリーもたいしたことないストーリーも読まれないっていう点で同じことですもんね。
読ませるまでが大事なことで、それから素晴らしい物語は残っていくだろうし、たいしたことない物語は廃れて行く───こうやって淘汰されていくんじゃないかなー。というのは私の独断と偏見ですが。
どこまで読者を信じていいのかもほんとのところわかりませんしね。案外たいしたことない物語ばっかり残ったりして。(天慈さん、天慈さん、それは言いすぎってもんですヾ(^_^;)

あ、そうそう。
本日「天慈のMIDI館」で新曲更新しました。
チャイコフスキーの「悲愴」とベートーヴェンの「運命」とブラームスの「子もり歌」です。3曲とも2バージョン用意してあります。ぜひ聞いてみてくださいませ。

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