2002年3月30日 16:45(土)晴れ


お薬のおかげか、だいぶ胃の調子はいいです。(^^)
ただ、完全に不安が取り除かれたというわけではないので、時々痛くなるような気がしてます。はうう…どうすれば気持ちって自由にできるんでしょうねぇ。(;_;)

今日は昨日の雨が嘘のようにとってもいい天気で、久しぶりに早出をした旦那が出勤したあと、掃除洗濯をガシガシしたのですが、息子は今日が義母の仕事休みということで昨夜からまたまた泊まりにいってたので一人で仕事もはかどりました。
で、家事も一段落したあと大声上げて一人カラオケをしましたさ。(笑)
もちろん、大音量とはいえヘッドホンしてのカラオケなので、たとえ外に声が漏れてたとしても「あら、家事しながら歌でも歌ってらっしゃる」くらいでしょう、たぶん。(爆)
やっぱり一日1曲はこうやって一人カラオケしたいもんです。
というか、最近はあまりヘッドホンして音楽を聞くということがないので、それもストレスに繋がってるかもしれませんね。何のかんの言っても、音楽は心に潤いを与えますから。少し、音楽に耳を傾ける時間というものを作らなくては。それも何かしながらじゃなくただボーッと聞くってだけの。

それから、お昼ご飯を一人で食べてお薬飲んで、コーヒー飲んで一息ついたら、今度はチャリコで本屋さん巡りしてきました。市役所近くの書店で、ガクトさんの特集のある雑誌見つけて、思わずほしーなーと思ったけれど、今日は別のものを買う予定だったので泣く泣く諦めました。(;_;)
で、その雑誌で知ったのですが、なんですか? ガクトさんってマリス・ミゼルの一員だったの? 詳しい人プリーズです。(笑)

あ、そうそう。

今度の月曜日の「笑っていいとも」にはガクトさんがゲストです。録画して保存版にしなくては。o(^-^)o
んで、その本屋さんを出たら今度はこの間も行った例の古本屋さんに直行。
そうなの。今日は栗本さんの「仮面舞踏会 伊集院大介の帰還」と「怒りをこめてふりかえれ」と「天国への階段」をゲットしに、そして、日渡さんの「宇宙なボクら!」の4巻もゲットしに行ったのです。これで「宇宙なボクら!」全巻そろったので、いよいよ読破しなくちゃ。
で、ついでに友達が教えてくれた「GTO」の主題歌のラルクの「DRIVERS HIGH」をゲット。ついでに同じくラルクの「NEO UNIVERSE」も。で、本とCDしめて690円(と消費税も)だったんだけど、ガクトさんの特集の雑誌もそれくらいの値段だったよなー。うー、あれもほしかったのに〜。(笑)

そういえば、今日はお義母さんは米子にお医者さんに行くということで、息子もついていったらしい。朝電話があって、待ってる間はゲームしてるってことで息子がついていくって言ったそうな。んで、お昼は近くのホープタウンでご飯食べるからって。そういえば、お義父さんが生きてた頃は、休みのたびに米子のホープタウン(その頃はサティ^^;)だの、やよいだのとデパート巡りしていたんだよなー、ジジと孫二人で。そのおかげで私は執筆に専念できたんだけどさ。
おっと、ちょっとしめっぽくなっちゃったね。
じゃあ、ちょっと昨日書けなかったビョーインでのひとときを書こうかなっと。(笑)

昨日は朝10時半にダンナの車で連れてってもらい、旦那は今回はいったん帰りました。
受け付けの機械にカードを突っ込み「内科・薬」のボタンを押します。だけど、自動的に受診も受け付けされるので、内科の受け付けの前の椅子に座り呼ばれるのを待ってました。
そりゃね、一応センセーとお話しなくちゃならないんだろーから、どうやって話そうっていろいろ考えて、またまた緊張してくるんだけど、正直に話せばいいんだとか、だけども正直って何を話せばいいのかとか───待ち時間が長いからもー頭の中でぐるぐるいろんな考えが巡ってきて───はっきり言って疲れました、待ってるだけで、頭がね。(^_^;)
たぶん。そういうところが胃炎になっちゃう原因なんだろうけど、だってさーどーしよーもないじゃん? 性格を絶対変えようって思えば変えれるって人は言うけれど、そんなんわかんないじゃんって思う。生活変えても変るとは限らんし、誰も保証をしてくれるわけじゃないし───って、そう言うと旦那なんかは「それそれ、それがいかん。なるようになるって思えばいい」って言うんだけどさー。頭ではわかってんのよ、だけど、どうしようもないのにさ。(;_;)

ほんとは、なーんも考えずに楽しいことだけ考えてればいいんだろうけど、そういうわけにはいかないじゃん。私は妻だし親だし自治会だの何だのといろんなところに所属してるわけだし。なーんも考えずに言われたことをして動いてればいいって思うんだけど、それをしたら「支持待ち型はいかん」だの「自発的にいろいろしろ」だのと言う人もいる。(誰とは言わんけど、短大のときの担任だけど…はら言っちゃった^^;)
でもね、いろいろしなくちゃならなくて、言えずにしかたなくやってたせいで「春奈ちゃん事件」をかの女性は起こしてしまったわけだし。
私、彼女の遍歴を記事で読んで、私も似てるよなー、私も一歩間違えると彼女のような犯罪者になっちゃうよなーと思いましたよ。ただ、私は逃げるときは逃げるんで、もし付き合いたくない人がいたら出ていきませんよ。実際子供のことでの集まりなんて出ませんし。きっと陰では出てこらんって悪口言ってるんでしょうけど、犯罪起こすよりゃいいでしょ。(爆)
逃げれなかったら、きっと私自分の子供を亡き者にしてたかもしれませんよ。(^_^;)
この子さえいなければ学校関係にタッチしなくてもいいのに、とか、ふっと考えちゃうことありますもん。だから、そういうことにならないように、逃げれるとこまで逃げるんじゃないですか。虐待然りですよ。虐待しないためにも(究極の虐待は殺すことですからね)防衛策をこうじてるんじゃないですか。
ま、これらも私がPTA活動にまったくノータッチするいい訳と言われても仕方ないんですけどね。ただ、私の場合一度は広報で部長までしたという経歴がありますから(たった一度だけど)、まったくしてないわけではないと、それをたてにすることはできますが。

だけど、お願いだから、今の私を追い詰めないで。
歳のせいで、もう身体がストレスに勝てなかったから今回こんなことになっちゃったんでしょ。

はらはら。

ずいぶん話がそれたけど、そういうことで、ずーっと待合室で待ってたのよ。で、1時間が経ったところ、11時半頃に会計のほうで名前が呼ばれたのよ。「え? まだ受診してないよ?」と思ったんだけど、ここで内科の看護婦さんに聞けばいいのに、ぐじぐじと聞けずに悶々としながら待ってたら、結局待合室には私一人に。(^_^;)
何となく内科受け付けの人の視線とかが気になる。何か声かけてよーと思いつつ、もうすぐで12時。はああ〜息子が帰ってくるよー、どうしよー、と思ってたら「まだか」と旦那が迎えにきた。で、会計で呼ばれたんだけど…と話したら、「会計で聞いてみればいい」と言うんで、それならと行ってみたら「処方箋も出てますよ」あうう〜、じゃあ、呼ばれたときに来ればよかったー。すごーく時間を無駄にして、胃までおかしげになっちゃった私の時間を返して〜(;_;)
とはいえ、ちゃんと聞けなかった私が悪いわけです。

すべてにこんな天慈なんですよ。

これだから胃がおかしくなるんですね。
昔は、若さですぐに立ち直れたですけど、もう私は若くない。
これはやはりいちのせクンの言うとおり、心療内科のお世話になったほうがいいのかしら。精神安定剤で安定させたいよお。(それに頼りすぎるのもいかんのでしょうけどねぇ)

あ、そうそう。

待ってるときに救急車がやってきて、救急隊員がストレッチャーを内科に運び込んだんですね。どうやらここからどこかの病院に搬送する患者さんがいるらしく、ご家族の方、それから天慈のカメラを操作してくださった女医さん共々どこかに搬送されていきました。あそこからだと鳥取医大(今ミスで騒がれてますよねぇ^^;)か労災病院かなー。
で、その救急隊員の一人が、天慈の高校のときのクラスメイトのKくんでした。実は彼はこの間まで息子の学校のPTA会長さんでしたが。(^_^;)

そういえば鳥大医学部のミス事件。

いろいろ語り倒したいことはあるんですが、またしても長くなりそうだから今日はバス。

さて、話題を変えて。

今朝の新聞のコラムでハリポタと千と千尋のことを対比して、それが万人に受け入れられて人気を博したのはどうしてか───というのを書いた作家さんがいました。で、その方の視点で語られている記事を見て「なるほど」と思った天慈です。

結果的には、ハリポタよりもやはり千と千尋に軍配が上がってましたが、これはまあ映画を作成した側にも多少問題があるといわざるを得ないんだなーと思いました。
ハリポタは、いろんなところでも語られてる通り、原作は非常に素晴らしいけれど翻訳で質が落ちていると言われているのですが(だから読みたくないと言うわけではないんだけど)、お話自体はたぶん翻訳でも充分楽しんで読めるであろうとは私自身は思っています。ただ、やっぱり(言い訳になっちゃいますが)私には他にもっと読みたいものがあり、それを差し置いてまでハリポタを読みたいとまで思わないというだけですね。(爆)

ハリポタの世界はとてもリアルで魔法学校が現実の学校のように描かれて、キャラもまた現実にいるような子供たちばかり。それが子供たちに『自分たちの学校では満たされない夢を満たしている』と筆者は言います。そしてさらに『金もうけよりも温かい心情を、科学の力よりも古代からの魔法の幻想を大事にするこの小説が、現代人の息抜きとして読まれている』ということで、子供たちばかりでなく、大人たちをも夢中にさせる理由がここに語られていますね。
そして、筆者が一番注目しているのが、この小説はただ夢を見るためだけの物語ではないということ、魔法の世界も現実の世界と同じ厳しい管理社会であり、『頭角をあらわすためにはハリーのような強い意志、知的能力、運動神経が必要』ということ。そして、『魔法の世界は、過去の謎を解いていく意味でスリルがあるが、結局は行き止まりである。魔法は未来に向かって発展していく楽天性や希望をそなえていない。この小説には、現代の絶望を象徴する毒が含まれている』と、そのことに筆者は注目しているようです。
で、映画はその絶望感というものを表現してなく、それはそれで娯楽映画というてんではいいことなのだけど、ただ「ああ、おもしろかった」とそれだけで終わっていると筆者は言ってます。

で、反対に千と千尋はハリポタと非常に似通っている内容ではあるけれど、『金権力の支配する現代社会の暗喩としては「千と千尋と神隠し」のほうが格段にすぐれている』と筆者は言いきってます。
まあ、筆者がハリポタよりも千と千尋に個人的な共感を抱いていると感じられたとしても、それも無理からぬこと。だって、ハリポタはそれほどの人気ではなかったけれど、千と千尋はいまだに勢いが衰えず、今でも各劇場で上映され続けていることがいい例でしょうからね。
だけど、筆者が言いたいことは、この二つの作品で表現されている『そこでやりとげた成果は、現実にはなんの変化ももたらさない。そこに、むなしさと絶望がある。二十一世紀初頭の夢は、どうやら逃避としての夢でしかないようである』という言葉なのだろうなと、そう思いました。
だってね、昔ヒットした「バック・トゥ・ザ・フューチャー」など、タイムマシンで過去や未来に行くわけですが、それこそ夢の象徴なんだけど、そこで、何とか変ってしまった世界の起動修正させようと奔走する主人公が、結局は最後には現実世界までも変えてしまった───つまり、頑張っただけ自分も世界も変えられるんだというその時代を象徴していたわけで、それが最近ではそういうテーマのものはなかなか見られませんものね。

や、昔はよかったなどとは言いたくないですし、もちろん千と千尋に代表される現在の映画作品たちも素晴らしいんですけど、やっぱり昔の映画はパンチがあって胸がすくむようなドキドキ感と、やってやろーぜーという元気をくれたような気がします。
やっぱり作品には「毒」がなければなりませんよ、うん。
はうう…ちょっと語りすぎちゃった〜。(笑)
ちなみに引用させていただいた作家の方は加賀乙彦という方です。ありがとうございました。m(__)m


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