2002年3月22日 16:52(金)曇り時々雨


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ということで、もうちょっとだけ話させてくださいな。
というのも、いつだったかの新聞の切りぬきで「痛みの原因を見極める」というのがあって、そこに書いてあったことでいろいろ考えたことがあったのを思い出したんですね。

今回の私の場合は、十年前のようにあきらかな痛みというものはなかったわけです。まあ舌がヘンな感じがしてたっていうのは、結局胃があれて出てきた症状だったわけだし。
喉の異物感というのは、疲れがたまると出てくるものだったし(厳密に言うと手術してから出てくるようになった症状ですが)、つまりはその喉の異物感が出てきだしたらそれは身体が「休んでー」と叫んでいる証拠であるということだったわけで。

ええと、何が言いたいのかというと。

記事には『痛みは身体の異常を知らせる信号』と書かれていたわけですが、私の喉の異物感も身体の中からの信号だったわけです、つまりは。
で、最初は身体が疲れていたための信号だったのが、いつものように休んでもすぐに治らなかったために、それ以上の「何か」を感じた心が引き起こした胃の異常だったわけですね。

世の中には『先天的に痛覚が欠如している人』がいるらしいのですが、そういう人は重大なケガをしてもそうとは気づかずに手遅れになってしまうわけです。
それが、痛みとかじゃなく、心の領域で「辛いことを辛いと感じられない」ということになっても同じようにヤバイのではないかと。私の知り合いにそういう人がいますが、周りが「ヤバイよ」と言っても本人は「どっこもなんともないよ」と言うだけで自覚がないんですよね。
でも、私のようにちょっとのことで大げさになってしまう人間から見たら「いいなあ」と思うのですが、今回のカメラの一件にしても「気持ちいいもんじゃないけどねぇ、そうたいしたことないよ」と言いつつ普通の顔して検査を受けに行ったおばさんを見ましたが、ほんっとそのときだけそのおばさんと神経を交換したいと思いましたよ。
おりもおり、栗本さんの「いとしのリリー」という多重人格の本を読んで、「こんなときに自分の中の誰かが私の代わりにカメラ飲んでくれないかなー」「人格交代してくれないかなー」なんて都合のいいことばっかり考えてましたね。ほんっと多重人格の方に失礼な言い草なんですが。だけど、それくらい怖くて逃げ出したかったんだもん。(^_^;)

というか。

こんなことを私がつらつら書いてると、これからカメラを飲むのが嫌になる人が出てくるかもしれないので、ほんとは克明に書かないほうがいいのでしょうけど、人によってはちゃんとどういうものかをキチンと知っていれば心構えができていい場合もあったりします。
考えてみれば、私が出産するときにしても、私はまったくマタニティースクールとか行ったりしなかったもので、ちまたで売ってる本なんかを眺めつつ、ものすごく痛いものだとか、そのときにはアソコ(失礼^^;)をハサミで切るんだとか、そういうことばっかり耳に入ってきて恐怖を感じていたわけですけど、結局は出てくるものはいつか出てくるわけで、どうしようもなかったわけなんですよね。
でまあ、結局「切った」わけですが、思ってたほど「切られた」ことについてはアドレナリン放出しっぱなしだったせいかなーんも感じませんでしたね。お腹のほうがそれ以上に痛くて。(爆)
ようするに一番辛かったのは最初の破水から産まれるまでの陣痛の間ですな。長いんだもん。まる一日以上うんうん痛みに耐えるんだよー。女だから耐えるようになってるらしいという話だけど、まったく。いつかは男も出産できる時代がくればいいのに、シュワちゃんの映画みたいに。(笑)

つーか。すげー話ソレまくったね。σ(^◇^;)
つまりね。
その記事にも書かれていたのだけど、ちゃんと「痛み」とかの信号が出ることはむしろいいことで、それをまあ無理に薬で抑えるのはよくないってことだって。原因がわかるまではその痛みを残しておいて、どこからその信号が出ているかを知ることが大事なんだよね。

さて。

ゆっくりするなんて言いつつ、ちょっと今日は詩なんぞを更新しました。→「絶望」
これはまあ、以前書いたもので、HP開設当初にも公開していたものでして、もしかしたら覚えておられる方もいると思いますが、別に今回の出来事の心境をあらわしたものではないのですね。だけど、なんとなく今回のことにも通じるものがあるかなーとも思わせる内容でしたね。ちょっと暗めですが、ご興味ございましたら読んでみてください。


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