2002年2月7日 21:18(木)晴れ


只今の時間は午後1時過ぎ。

午前中何件かサイト巡ってカキコしてきたんだけど、10時頃からまたしてもネットに繋げなくなってしまいました。今もまだダメです。旦那曰くプロバイダのせいだと言うんですが。
この間もこんな感じでさっきまで繋がってたのにいきなり繋がらなくなったんだけど、もしこれがプロバイダのせいなら、こんなにしょっちゅうおかしくなっちゃうのも困るよねぇ。1、2時間で繋がるんならまだしも、この間なんて今ぐらいの時間から夜10時過ぎまで繋がらなかったのよ。
まあね、たかだか6、7時間、始終ネットに接続してない人にはそれほど打撃というわけじゃなし、私だってネットに繋げないからって仕事に支障するなんてことはなし、それくらい我慢しろよってな感じですがね。
だけど、私のこと云々よりも何時間もネットに繋げないなんてちょっと問題でしょ。とりあえず常時接続でお金払ってんだからさ。基本はいつでも繋げれるってことっしょ。
まあ、本当にプロバイダに問題があるかわかんないとこですが、この間だって旦那がいろいろかまってみましたがどこにも問題がなく、首をひねってたらいきなりまた繋がったので、「ほれ、やっぱりプロバイダのせいだ」と言ってました。だけど、あとで障害情報見ても記載されてなかったみたいなんだけど……うーむ、よくわかりません。

つーか、申し訳ございません!!(><)
プロバイダのせいではなかったみたいです!!
どうやらルーターのせいだったみたい。σ(^◇^;)
あははは…ごめんなさいね、疑って、プロバイダさん。(あえてお名前は言いませんです^^;)


今日も夜まで繋がらないのかなぁ。
昼間のうちにDLしたい素材屋さんがあるのに。
ポエムの部屋で使わせて頂いてた「地球屋」さんが、素材屋をお辞めになって普通のサイトとなられたために、これからもポエムとかのバックにでも使わせてもらおうと思ってたフォト素材がなくなってしまい、ちょっとショックだったのです。
使っている素材は、そのまま使ってもらってもいいと言ってもらえたのですが、公開していた素材はもうないし、これからアップされるフォトはもう素材として使えないと思うし……ああ、こんなことなら全部素材を保存させてもらっとけば良かったと思ったときには時すでに遅し。
この写真もあの写真もいつか使えそうって思ってたもんで、とっても残念。

ADSL以前は、接続代が気になって、なかなかサイトで公開されている素材をじっくり見てってことができなかったんで、とりあえず全部保存させてもらい、素材屋さんごとにファイル管理していた天慈です。で、定期的に新規で更新されていないか確認にいき、その都度またDLさせてもらって、いざという時に使わせていただくっていうことしてました。
だけど、ADSLになってからは、接続代を気にしなくてもよくなったので、素材屋さんに直接その都度伺い、接続したままじっくり見て「これは」と思ったときにそこからDLということができるようになりました。だから、それほど自分のところに保存しなくてもいいってことで、素材屋さんがそのまま保存場所と化していたのですよ。

ところが。

昨夜ちょっと覗きに行った素材屋さん(「晴天電脳工房」さん)が近いうちに削除するファイルがあるから今のうちにDLしてねってお知らせしてて、大慌てでDL作業したんですよ。
だけど、とても全部はDLしきれなくて、しかも夜はビジーになるのでなかなかDLにも時間がかかる。まあ、晴天さんは全部圧縮ファイルなんでわりと簡単なんですけどね。
それでもやっぱり夜は遅いってことで、比較的さくさく落ちる昼間にやってしまおうと思っていたのですよー。えーん、早く繋がってよー。(><)
これからまたしばらく、お気に入りの素材屋さんの素材ファイルをDLしまくり、フォルダに管理しなくちゃなーって思ってます。これがまた時間かかるんですよねー。ふー大変。ちなみに、私は絶対サイトごとDLさせるプログラムは使いません。あれ使うと他の人の迷惑になりますからねぇ。地道にちまちまとDLさせてもらいます。

あ、そういえば。
 今日もとーっても天気が良くて、まるで春たけなわって感じです。今朝のTVで言ってましたが、札幌でもすごい陽気なんですってね。雪祭りの大雪像が溶け始めてるということじゃないですか。うーむ、やはり異常気象だ。普通さ、夏が暑いと冬は寒くなるっていうのに、今年は絶対寒くない冬だもん。こんなの冬じゃない〜。寒いのは確かに嫌いだけど、異常だよね、これはやっぱり。

さて。昨夜見ましたよ。「アンドリューNDR114」を。
見て思いました。ふむ、これはSFというよりヒューマニティードラマだなと。確かにそういうてんでは「ドラマ」の棚にあってもおかしかないか、と思いました。
ということは、つまり、私が映画に求めるエンターテイメント性はない内容だったと言わざるを得ません。
つまらなかったということではないですよ。ただ、映画として大画面で見たほうがいいというものではなく、見れればどんな画面でもいいということです。
だって、見せる物語ではなく、考える物語なんだもの。
すごく考えさせられるものでした。
見たことある人ならわかると思いますが、この作品は一ロボットが人間になっていく物語なんですよね。なぜアンドリューというロボットだけが「人間になりたい」と思っていくようになっていったかは、映画では明らかにされてなかったですけど(それでも一応彼の型には多少欠陥な部分があったとロボットを作った会社は説明してましたが)、たぶん私が考えるに、もらわれていった先の子供がロボットをちょっと嫌悪していて人間の命令に逆らえない彼に「そこの窓から飛んで」と言ったために、二階から落ち、そのときに何らかの障害が起きたために他のロボットとは違う存在になっていったのではないかと思います。
もちろん、それだけでなく、普通ならば故障だろうかということで一度リカバリして白紙に戻し、目覚め始めた自我を取り去ってしまうところなんでしょうが、このアンドリューの持ち主は彼のユニークさを伸ばしてやろうと思ったわけです。そのことにも彼がいずれは「自分はいったい何のために生きているのだろう」と思考せずにはいられなくなる要素を与えてしまったとも言えるでしょうね。後にご主人の娘が父親に「お父様が彼にそう考えさせるよう仕向けた」と言ってましたし。

それにしても。
こういう物語の常で、人の形をしたロボットが、どうしてこうも人間のように自我に目覚め、人間になりたいと思うと私たち人間は想像してしまうのでしょうか。
それは恐らく、私たちが人形には魂が宿ると信じているからだと思います。
私、よく恐怖番組とかで「人形の髪が伸びる」とか「人形が喋った」とか、そういうのを見るたびに思うんですが、ロボットもこういう人形みたいに、きっと魂は宿るんじゃないかと思っちゃったりします。
まあ、いわゆる人形に宿る魂っていうのは、以前この世に生きて存在していたものなんでしょうから、ロボットに目覚める魂とはちょっと違うとは思いますが。

映画のラスト近くでは、かなりのところまでアンドリューは人間に近づいてきて、あとは寿命さえ限られたものになれば人間であると認められるところまで来ました。
実際、現在SFでいわれるような人間になりたがるロボットというのがいるなんて聞いたことないですが(だってまだあんなロボットってちまたに溢れてるわけじゃないしね^^;)、もし仮に、この映画のように「私は人間だ。だから人間であると認めて愛する人と結婚することを許してほしい」と宣言した場合、それを世の中は認めてくれるのでしょうか?
そういうときが来てみなければわかりませんが、たとえばキリスト教を信仰している人々は、それを認めなければ嘘だと私は思いますね。
だってそうでしょう。
人間は神によって作られたと信じているわけでしょう、少なくともキリスト教では。宗教のほとんどが絶対的な神の存在があって、その神によって人間は作られていると言われているわけだから、いわばロボットを作り出すということは、その神と同じような行為をしているわけであって、人間もまたロボットたちにとっては神に等しいということ。
それを考えると、確かにロボットは生物学的には人間ではないけれど、作られたもの同士ということで人間と同等ではないかと思うのですが。(うーむ、ちとニュアンスが違うかもしれないけれど^^;)

ちょっと待てよ。
それって、人間が神と認めてくれと神に対して言ってるのと同じことになるか……あ、でも、人間にも時として「我は神なり」と宣言する人もいるわけだから、そういう人と「我は人間なり」と宣言するロボットは同じだよなあ。
とすると、やはりロボットが「自分は人間なんだ」と言い出すことは別に不思議なことじゃないよな。あってもおかしくないというわけだ。

ラストで、アンドリューは完全に人間になってしまって(たぶん脳だけは機械だったと思いますが)よぼよぼの年寄りとして人間の代表の前に立って己を人間と認めてほしいと訴えるのですが。
そのとき「物事にはすべて意味があるはず。なぜ私はこういう私なのか」と言います。
私も日頃からすべてのことにはきっと意味があるはずだと信じてきているので、彼の言葉には重みを感じるのですが、人によって「意味などない」という人もいることも知っています。そして、私もそれを否定できない。だって、私はすべてのことを知っている神ではないから。
意味はあるかもしれない、だけど、ないかもしれない───それは誰にも言いきれるものじゃないし。ただ、自分が信じていればいいだけだと思います。

彼は人間として人間に受け入れられたいと願うあまり、永遠に生きられるロボットを捨て、わざわざ限りある人間の身体になったわけです。機械として永遠に生きるのではなく、人間として死ぬことを選んだ。
考えてみれば、ロボットだからといって永遠に生きられるというわけじゃないと思います。壊れてそれが直せない場合は、それは「死んだ」というべきでしょう。形あるものはいつか壊れます。それはロボットだろうが何だろうが例外なく訪れる「死」であります。
彼は人間の身体になる前に、同じ型のロボットに自分と同じような自我に目覚めたものがいないかどうか世界中を訪ね歩きます、20年もの月日をかけて。
で、その旅の間、すべてのロボットが壊れ、打ち捨てられているの目撃します。残ったのはたった一体。だけども、そのロボットも自分のように自我があるわけではなかった。
つまり、彼はロボットにも「死」というものがあるのだと気づいたはずです。私はそう思いますね。
だから、彼にとって人間の身体になって人間として死ぬということが重要だったんですね。ロボットとして死ぬというわけじゃなく。

最後に彼は『こういう自分であることを受け入れてもらうために、それだけのために死ぬことを選んだ。称賛とか容認は不要。素直に受け入れられること。私はそれを求めて生きてきた。生死を越え、私は毅然とした態度で──それを達成する』と言いますが、私はこれを聞いて、「ああ、やっぱり彼はロボットなんだな」と思いました。
人間って、全部じゃないけれど、こんなに達観できるもんじゃないと思います。仏さまのように解脱した人ならそういう考えとかもできるかもしれないけれど、やっぱり人間って「死ぬ」ってことはもっとも怖いことだと思うもの。
だから、私が考える人間って「死ぬことを怖れる生き物」というふうに捉えているので、アンドリューはやはり「人間ではないな」と思いました。
もちろん、彼のような人間というのもいますから(死を恐れない人間ですね)ある意味においては彼もまた「人間である」と言えるでしょう。
だけど、私が、天慈が抱く人間像ではないです。
私は死にたくない。
できればロボットのように永遠に生きたい───そう思います。
私はロボットになりたい人間かもしれない。アンドリューとは逆で。私が仮にロボットになったとしたら、そういう場合、ロボットは私をロボットと認めてくれるのでしょうかねぇ。(笑)

【2005/02/07コメント追記】

みつめむれつくり (KGR)

2005-02-07 09:55:46

みつめむれつくり、三つ目群れ作りと書きます。

もう30年も前に作られた鳥型ロボットです。
相手を認知し、相手との距離を一定に保つよう動きます。
つまり、遠すぎれば近づき、近すぎれば遠ざかる。
まったく同じ個体が2つあれば、一定の距離に近づいた後何もしない(出来ない)はずですが、これを沢山作って動かすと面白いことがおきます。

名前の通り、群れを作って行動するのです。
このとき、設計上は同じ回路なのにパーツの些細な誤差のせいでしょう。
必ず先頭になるやつと、必ず最後尾になるやつがいるそうです。
これを個性と言えるのかどうかはわかりませんが、TVで見たときには確かに「群れる」性質を感じました。
30年も前の話で、しかもTVで見ただけですが、その名前といい、動きと言い、今でも記憶に残っています。
しかし、その後これら「機械の個性」「群としての性質」について語られた物は見聞きしたことがありません。
アシモを10体作って自動で動かしてみると面白いかもしれません。
(アシモは自立行動できたのでしたっけ?)

すごいですねえ (天ちゃん)

2005-02-07 10:19:32

30年も前にそんな機械(というよりもほんとロボットですな)が作られていたんですね。
確かにその話を聞いてると、機械といえども何らかのクセが各々にあるっていうのを感じますね。
その性質が人間でいうところの個性とも言えなくもないかも。

機械のことはまったく知らない私なんで、情報を聞かせていただき、タメになりました。
ありがとうございます。

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