2002年2月3日 15:09(日)曇り時々晴れ




や、ややや、驚きました?σ(^◇^;)

昨日はそれほどに気分が良かったってことですよ。
昨夜、その勢いで、以前から何か差し上げたいと思っていたともさんのためにと、ともさんの大好きな河村隆一さんのイラストを描いてみようと思い立ったのさ。
この間ガクトさん描いたけど、ちゃんと描けるかなーと心配はしておりやした。隆一さんの歌はけっこう好きなんですが、大ファンというわけではないので愛情こめて描けるだろうかと思ったんですよ。(爆)
で、できたのがあれです。一応明日PCを立ち上げるまではあのままにしておこうと思います。

ともさんに差し上げたのはトップで飾っているのよりももっとデカイやつなんですが、それでも見逃した方のためにトップに飾ったやつよりもっと小さいサイズにして見れるように「かりん党」の「天慈のお部屋」にでも以前のガクトさんのイラストと一緒に飾ろうかと思います。どうぞ、ガクトさんも隆一さんも見逃した方は「天慈のお部屋」で見てやってください。(今日はまだアップしてないですからね^^;)
こんな感じで、あとミッチーの麗しいご尊顔もいつかは描いてやろうと思います。天慈さんちのトップはこれから見逃せませんねぇ。ほっほっほ…鬼畜天慈さんですので、そらそら、毎日日参しておいでなさぁ〜い。(^。^)

この間からほんとヒットな日記は、さくらちゃんの日記なんですが。いつかはまとめてアップしてくれるそうなんですけど、私としては日参することをオススメしますね。特に執筆に関しては「ほぉほぉ」と勉強になることは間違いなしですし、それについての意見も掲示板で活発にされてますから。(そのほとんどが天慈のカキコだったりして^^;)
執筆する方じゃなくても、さくらちゃんというキャラを思う存分楽しめていいですよ。(爆)
今日なんかも「日本人は察することができるが西洋人はそれができない」という話で、なかなか興味深いことが書かれていました。

さて。今日は今読んでる最中の「聖闘士星矢」の話をちょこっと。(笑)

そのさくらちゃんの日記にも書かれていたことにも関係あるんですが、私が感じたことで、どうも少女マンガは「察するストーリー」で少年マンガは「説明するストーリー」であると感じるのですが。

もちろん、すべてというわけじゃないです。

たまたま今読んでる星矢が、えらくくどくどしく説明が入ってるというのに気づいて、そういえば戦闘ものなんかそういう傾向だよなあって。
戦闘をしている二人がいて、いろんな必殺技を繰り出すんだけど、それをいちいち大声で発するとか、それの特徴を見ている誰かが口で説明するとか……小説とは違ってちゃんと形として視覚で捉えられたとしても、そういうのがなければ、いったい彼らは何をしているのだろうかってことになります。だからそれはそれでいいのですけど、よく考えてみたら登場人物がわざわざ説明するのって現実的じゃないですよねぇ。
だから、そういうのに慣れている人にとって少女マンガってなかなか理解しにくいのじゃないかとなります。もちろん、少年マンガも少女マンガもどちらも好きっていう人もいますけど。

とまあ、その話はそれくらいにして。

この間読んだ8巻で、戦いに明け暮れる主人公の星矢を気遣う少女が出てきたのですが、それに対して星矢がいった言葉にジーンときちゃいました。(笑)

いまどきの若い者たちは、流行やらなんやらにどっぷり漬かって青春を楽しんでいるのだけど、死と隣合せで戦っている自分たちがそんなに不幸だと思っていない。むしろ、心の中の小宇宙(コスモ)は燃焼し、誰かが作り出した流行にのせられて生きているよりよほど充実して生きていると。

 で、次の言葉が肝心。

『人間はそれぞれの星の下に生まれた運命によって生きるのだ。幸福の星の下に生まれるヤツ。不幸な星の下に生まれるヤツ。いろんな人間がいる。だけどオレは、いかなる星の下に生まれようと雄々しく生きてやる。キズついたままじゃないさ。そのキズを乗り越えてさらに大きくなってやるさ!!』

うおー!!(><)
すげーベタなんだけどぉ、すっげーいい言葉じゃーんって思いますっ!!
これが本物の男なんだーって、なんかスゲー感動しちゃいましたよ。

あと、コミックスの表紙裏には毎回作者の車田さんのコメントが載ってて、それがけっこーツボでした。
それと、いつも巻末にいろんな方のコメントやらファンレターの内容が写真と名前入りで紹介されてて、今読んでてこの人たちは今どこでどうしているのかなーなんて感慨深く思ったりして。たとえ、いつか車田さんのファンじゃなくなったとしても、自分が載った本は生涯宝物だろうなーなんてね。
そうそう。9巻の巻末には陸上自衛隊北部方面輸送隊の人たちからのコメントが載せられていました。昭和63年に札幌雪まつりで星矢の大雪像を制作されたそうで、その時の話とかが書かれていて、思わずジーンときてウルウルしてしまいました。(爆)
なんか、すごい歴史っていうものを感じます。
こんなすごい物語を作り出した車田さんに、ちょっと天慈さん嫉妬なんか感じちゃったりして。σ(^◇^;)
名作はいつまで経っても名作ですね!!

さて。これをアップしたら散歩がてらに買い物してきます。o(^-^)o

というか…たった今、中島さんの日記を見に行ったら、

「公的に文章やら意見やら感想を公表するということの怖さ」

ということについて書かれていて、ちょっと考えてしまいました。

私も素人でこうやって不特定多数の方に自分の正直な気持ちとか意見とかを聞いてもらってますが、私は中島さんほど一本通った意見というものを持って公開しているというわけではない──と思います。
つまり、中島さんの言われることは、誰に叩かれても「そういうつもりで言ったわけではない」とか、自分の言ったことに責任を感じずに弁護してしまうのはダメなんじゃないかと、たぶんおっしゃっているのではないかと思うわけです。
また私の解釈違いかもしれないけれど、私はそう感じました。

でも、私は中島さんほどの覚悟がなければ絶対ダメなんだということはちょっと違うような気もしています。

自分の言ったことで叩かれるということで、以前私が新聞で書いたことについて「あなたはバカだ」と言われた時のように「私はそんなつもりで言ったわけではない」といいわけじみたことを言ってしまったこともあります。あれはほんとにあとで考えてみれば私も少し考えなしであったと今ではわかりますし、そういう意味では私も覚悟のない物書きといえるでしょう。もちろんプロではないんだからそうなんですけど。
だけど、そうやって自分の意見というものを公にしなくては、自分が抱いている考えというものはどうなんだろうか、ちゃんと筋が通っているのだろうかということはわかんないと思います。だから、たとえフラフラしていたとしても、公に公開することにやぶさかではありません、少なくとも私は。

叩かれ、罵倒され、そこでいろいろ考えさせられて成長すると思いますし。

ただ、私としては、意見は匿名で公開するものではないという気持ちはあります。特に、辛口な意見とか批判めいたものをする場合は、必ず相手に名前は告げるようにしていますし。
まあ、この日記でも、かなり辛口めいたことを発表していますので、本来なら本名を掲げて──ということになるでしょうが、一応公開しているのですよね。PNからして本名みたいなもんですし。
もちろん、相手の方が自分もちゃんと本名を告げてくだされば、こちらも誠心誠意本名告げますし。

そういうことで、私も一応信念を持って自分の考えを公開していると思います。ギリギリのところでですが。(爆)
そりゃー、何でもかんでも正直には言えませんよねぇ、さすがに私も。そこらへんのことはいかな私でもわきまえっていうものはあります。
うん、もっと自分に自信を持って生きていこうと、今日の中島さんの日記を見て思いました。対等になんて怖れ多いですが、そういう気持ちを持ってこれからも中島さんを、栗本さんを応援して行きたいと思います。

天慈の愛よ、あなたに届け〜。(^^)/~

さあ、今度こそ買い物だ!(笑)

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